2008.03.10 簡略字を50年以内に廃止しては
こんな「言葉」が!(25)  中国で

丹藤佳紀 (早大講師)

 漢字の本家・中国で、新中国、つまり中華人民共和国になって「革命的」に変わったものは多い。そのひとつが、画数の多い複雑な漢字を簡略化した中国独特の簡略字(簡体字)を制定したことだ。ここでは表示しにくいのだが、イメージしてもらいやすいものを挙げれば、開=門構えのなかの鳥居に似た部分だけでこの文字を表す、漢=サンズイに又、係=系などである。
 われわれ漢字を使う日本人にとってもさまざま関係の深い問題だが、その簡略字を「これから50年でやめたらどうか。その間は現行の簡体字と元の繁体字を併用する」という意見が中国の文芸評論家からネット論壇に提出された。
 「国学教典」という、いわば専門サイトへの書き込みだから、まだ一般的なものではない。ただ、読者のそこへの書き込みを見ると「こんな問題、考えてもみなかった。でも、この結論は当面、最善だと思う」など熱心な内容のものが寄せられ、一定の範囲でかなりの論議を呼んでいる。
 「簡体字を50年以内に廃止」と提案したのは、文芸評論家で『中華文学選刊』編集長の王幹さん。同氏はこの主張を『市場周刊』(3月号)に寄せたのだが、その前書きで「ここに書いたのは論文ではなくブログだ。こんな大問題はブログでは言い切れない。しかし、ブログだからこそ賛否両論を交わせるだろう」と述べた。それに反応してか、たちまちあちこちのブログにも書き込みが寄せられた。
 王幹さんの「簡体字50年以内廃止」という主張の根拠を見よう。
 第一は、簡略化漢字の存在理由がなくなったという。
新中国の言語政策は、1)方言を超える共通語(普通話)の制定と普及 2)そのためのローマ字使用による共通語発音(漢語拼音)の普及 3)文字を知らない人達への援助・負担軽減法としての簡略字(簡体字)制定−を三本柱に進められた。
 王幹さんの廃止論にはいくつか理由が挙げられているが、その第一は漢字簡略化の理論的根拠がなくなったというもの。これは、新中国になっての言語政策が、毛沢東の1951年に発した「漢字は必ず改革し、世界の文字に共通する表音文字の方向に進まなければならない」という指示に基づいていたことをさす。
 かなりの歴史を持つ「文字改革」の流れは、1958年、上記3つの政策、普通話・漢語拼音・簡略字の制定に絞り込まれた(漢語拼音方式だと、北京=Beijing、餃子=jiaozi)となる。
ゆくゆくは漢字を廃してローマ字化するということが暗黙のうちに最終目標に据えられたから、公文書を含むすべての文書の(左からの)横書きが制度化され、英文スタイルにならって書き出しは2文字下げと定められた(新聞も雑誌もすべてこのスタイル)。
 しかし、毛沢東没し、改革開放にいたって1980年代以降、文字・言語をとりまく環境は激変した。
 王幹さんの第2の理由は、コンピュータの発達と「現代の華昇」といわれる科学者、王選・北京大学教授の漢字入力・版組革命によって漢字がコンピュータで扱いやすくなったこと。それにより、タイプライター時代まであった文章作成・印刷の欧文とのギャップが少なくなってローマ字化の必要が薄れたことである(華昇は明代に活版印刷を考案した)。
 新中国の建国当初、6億といわれた国民の8割が文字を知らなかった。煩雑な漢字の画数を減らした簡略字は識字教育の手段としても必要だったのである。
 いま、王幹さんのあげる理由には、「文盲を減らすうえで簡略字は効果があったが、これからは文盲一掃が中心課題ではない」、「漢字簡略化によって中華文明の根源(漢字・古典)への接近が阻害された」という功罪が含まれている。「50年以内」という併用期間を設定したのは、簡略字教育が少なくとも3つの世代に及んでおり、一挙に切り替えを断行しようとしたら混乱を生むからだ。
 東アジアの漢字文化圏は、ご本家の中国が独特の簡略字を使い、祖国に戻った香港はこれまで通り繁体字を使う。また、台湾と韓国もそれぞれ繁体字を使用し、日本は独自の簡略字を含む常用漢字(基本は繁体字)を制定している。
 王幹さんは、中国と繁体字を使う香港・台湾との間でのやり取りの不便さを挙げたが、これは海外華僑との間にも通じることだろう。そうした対外関係を扱う中国人の名刺はもともとの繁体字を使ったものが多く見受けられる。
 中国共産党機関紙『人民日報』の海外版は初め繁体字で発行された。やがて、それが本紙同様の簡体字に切り換えられたが、『人民日報』内部では繁体字か簡体字か、かなり論議が交わされたという。
 日本では漢字検定ブームがはやされる一方でカタカナ語の氾濫や「KY」語の若者への伸長が指摘されている。漢字字自体については人名用漢字の追加など常用漢字の枠を広げる傾向がうかがわれるのだが、こうした動きには日本語の中の漢字のありようを見据えたしっかりした根拠があるのかどうか。
Comment
中国にいながら知りませんでした。漢字を日本語の中に取り込んで2000年くらい経っているとすればもう捨てることはできません。私は日本語の音標文字化には反対ですから、漢字簡略化には同意できません。同じ論理で簡略化した中国が元に戻すというならば、大賛成。われわれも真剣に考えたほうがよいと思います。
阿部治平 (URL) 2008/03/10 Mon 11:19 [ Edit ]
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