2008.04.08 済州4・3事件60周年慰霊祭におもう――歴史認識、韓国と日本
暴論珍説メモ(37)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 済州島済州市で4月3日におこなわれた「4・3事件60周年慰霊祭」に参加した。「4・3事件」といっても、ご存知ない方も多いと思われるが、日本の植民地統治から朝鮮半島が脱して、南北二つの国家に分かれた当時の歴史の一こま、と言ってしまうには、あまりに大規模で悲惨な出来事である。
 第二次大戦で日本が降伏した後、朝鮮半島の南半分は米国、北半分はソ連(当時)の占領下に置かれた。1947年3月1日、済州島では1919年の「3・1万歳事件」(日本統治に反対した独立要求闘争)を記念する集会とデモ行進がおこなわれたが、それを解散させようと米軍政下の警察が発砲、子供を含めデモを見物していた6人が死亡し、8人が怪我をする事件がおこった。これに対して済州島民は大規模なゼネストで抗議、「発砲は正当防衛」とする米軍政当局と対立、その後、1年にわたって島は警察、右翼による民衆の逮捕、拷問に明け暮れる日々が続いた。
 この状況に共産党(南朝鮮労働党済州島党)は、1948年4月3日、武装蜂起する。島民の抵抗に依拠し、合わせて当時、米国が半島の南半分で選挙を実施し、国家を分断しようとしていたのを妨げるためであった。
 米軍政当局は現役軍人の大佐を済州地区最高司令官として派遣し、選挙を実施するが、それは失敗に終る。しかし、半島南半分での選挙によって、この年8月15日、大韓民国が成立し、それを追いかけるように9月9日、朝鮮民主主義人民共和国が成立して、朝鮮半島は南北に分断される。
 済州島では当局が海岸線から5キロ以上の内陸部分(「中山間地域」)に住む者を、一方的にハルラ山(朝鮮の最高峰・1945メートル)を根拠地とする武装隊を支持するものとみなし、無差別に放火や疎開などの焦土化作戦と集団虐殺を推し進め、全域を死の山と化した。
 ハルラ山の立ち入り禁止区域が全面開放されるのは蜂起から7年以上が経過した1954年9月のことであり、その間、軍と警察の「討伐隊」と「武装隊」との間で武力衝突が展開され、犠牲者は政府に申告されただけで14,300人に達し、未申告を含めれば25,000人から30,000人に達すると見られている(後の2003年10月に政府が発行した「真相調査報告書」)。
 しかも、その後も済州島では軍事政権が続いていた80年代半ばまで「4・3事件」を口にするのも憚られる状況が続き、事件についての議論は徹底して抑えられていたという。
 その間、関係者は真相究明を求める声を国の内外で粘り強く上げ続けたが、転機となったのは87年にチョン・ドゥファン(全斗煥)大統領を退陣に追いこんだ「6月民主革命」であった。それを受けて88年にソウルと日本で初めて公開追慕行事が行われたのに続いて、89年には済州島の現地で「済州抗争追慕祭」が開かれるにいたった。
 そして1999年12月、遺族会や研究機関、市民団体などの努力によって、国会で「済州4・3事件の真相究明および犠牲者の名誉回復に関する特別法」が成立した。2003年10月、政府は前掲「真相調査報告書」を発行、同月31日、ノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領はこの報告書にもとづいて「国政に責任を負う大統領として、過去の国家権力の過ちに対して、遺族と島民のみなさまに心から謝罪と慰労の言葉を申し上げる」と、公式に謝罪した。(以上の経過は社団法人 済州4・3研究所発行「4・3歴史フィールドワーク資料集」2008年4月による)
 そして事件から60周年あたる今年の4月3日、現地では約3万人を集めて大規模な慰霊祭がとり行われた。出席すると伝えられていたイ・ミョンバク(李明博)大統領は当日、出席を取りやめたが、慰霊祭の模様は国営KBSテレビを通じて中継された。
 悲劇を記憶の闇に封じ込めようとする権力側と、それを明るみのもとに晒したいとする被害者とそれに列なる人々のせめぎ合いは後者の勝利に帰した。いかに長年月を経ていようとも真実は必ず明らかになると、人々を勇気づける結果である。

 ひるがえって、つい日本の状況を考えたくなる。先月28日、大阪地裁で敗戦直前の沖縄戦における住民の集団自決について、軍が自決を命令したことはないと主張する当の部隊長らの訴えについて、直接の命令があろうとなかろうと、集団自決には軍が深く関与していたことは明らかだとする判決が出された。
 この判決は当然のものであるが、同時にこの裁判自体、明白な歴史事実を覆そうとする動きであり、この判決を喜ばなければならない現実は、歴史に対する日本人の危うさをあらためて浮き彫りにした。
 真実は年月を経れば明らかになるとは必ずしも言えない。韓国の4・3事件のように明らかになることもあれば、年月を煙幕に明白だった事実が曖昧なものとされ、否定されるに至ることさえある。1945年までの歴史について、日本では明らかに後者の動きが目立つ。この沖縄戦の悲劇もそうであり、南京大虐殺もそうであり、従軍慰安婦もそうである。首相が靖国神社参拝を繰り返すことによって、あの戦争を引き起こした戦争犯罪人でさえ、いつの間にか戦争犠牲者に衣替えされそうな雲行きである。
 明白な歴史事実に対してさえ、誰かが特定の意図をもって反論を唱えれば、それを捉えて、文科省などは待ってましたとばかりに、「異論が存在する、つまり論争の対象である、したがって事実とは確定されない」という論理で曖昧のベールに包み込もうとする。日本人は白黒をはっきりさせるより、薄ぼんやりした曖昧な世界のほうが居心地がいいらしい。
 もっとも韓国でも、大統領の交代を契機に右翼勢力が台頭の兆しを見せているといわれる。4月3日の慰霊祭に出席を予定していたイ・ミョンバク(李明博)大統領が当日、それをとりやめたことは前述したが、それは4・3事件に対してこのところ右翼勢力が03年の政府報告書に批判を強めていることが原因ではないかと関係者は見ていた。
 「国家正体性回復協議会」、日本風にいえば「国家の真実を回復する協議会」とでもいうことになる右翼団体が慰霊祭に向けて先月末から『東亜日報』『中央日報』『朝鮮日報』といった新聞に『「濟州4・3平和記念館」開館は延期されるべきだ!!―捏造・歪曲された「濟州4・3事件真相調査報告書」をまず是正しろ―』といった意見広告をあいついで掲載していたことが、大統領に圧力となったのではないかというのである。「これから反動の時代が始まるのではないか」と憂慮する声も聞いた。
 真実を守るには努力が必要なことはどこでも同じである。
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack