2008.04.10
〔書評〕植民地文学の割り切れない矛盾や曖昧さに焦点を当てる
フェイ・阮・クリーマン著・林ゆう子訳
『大日本帝国のクレオール 植民地期台湾の日本語文学』
(慶応義塾大学出版会、¥3360)
日本語のすでに滅びし国に住み短歌(うた)詠み継げる人や幾人
孤逢万里(1926〜99)編著『台湾万葉集』(集英社、1994)に収められた和歌一首である。
「日本語のすでに滅びし国」とは他ならぬ台湾である。日本による台湾統治50年は自分の感情や 感性を表現するには日本語、しかも和歌が一番だという「日本語世代」と呼ばれる台湾人を育てた。
著者フェイ・阮・クリーマンの両親はともに日本の占領下で生まれ、教育を受けた「日本語世代」であるという。
著者は本書の意図を「この戦後半世紀と言う長期にわたって沈黙を強いられ、忘却の彼方に押しやられてきた植民地期台湾の日本語文学の作家と文学作品を、二十一世紀の今に蘇らせること」であるとし、その背景に「植民地時代の台湾にて日本語で書かれたテクストは、日本の文学史では一言も言及されていない」こと、「民主化が進んだとはいえ、現在の台湾では、文学史は中国中心で、植民地時代の日本語文学はここからもはずされている」ことの2点を挙げている。
『大日本帝国のクレオール 植民地期台湾の日本語文学』
(慶応義塾大学出版会、¥3360)
雨宮由希夫 (書評家)
日本語のすでに滅びし国に住み短歌(うた)詠み継げる人や幾人
孤逢万里(1926〜99)編著『台湾万葉集』(集英社、1994)に収められた和歌一首である。
「日本語のすでに滅びし国」とは他ならぬ台湾である。日本による台湾統治50年は自分の感情や 感性を表現するには日本語、しかも和歌が一番だという「日本語世代」と呼ばれる台湾人を育てた。
著者フェイ・阮・クリーマンの両親はともに日本の占領下で生まれ、教育を受けた「日本語世代」であるという。
著者は本書の意図を「この戦後半世紀と言う長期にわたって沈黙を強いられ、忘却の彼方に押しやられてきた植民地期台湾の日本語文学の作家と文学作品を、二十一世紀の今に蘇らせること」であるとし、その背景に「植民地時代の台湾にて日本語で書かれたテクストは、日本の文学史では一言も言及されていない」こと、「民主化が進んだとはいえ、現在の台湾では、文学史は中国中心で、植民地時代の日本語文学はここからもはずされている」ことの2点を挙げている。
読者は先ず、著者の厖大な日本研究に敬意を表すべきであろう。文学のジャンルで藤井省三や河原功の研究成果が取り入れられているのは当然として、岩生成一の史学や鳥居龍蔵、柳田國男の文化人類・民俗学までが研究範囲とされている。ただ、後藤新平や司馬遼太郎への言及が公正を欠いている。取り上げられている作家は、佐藤春夫、呉濁流、林芙美子、林房雄、西川満、中島敦、埴谷雄高、保田與重郎、邱永漢ら多岐に及び、しかも日本人の批評家の視点では見過ごされがちな指摘にあふれている。
台湾の植民地化にあたり、日本は現地の言語を排除して日本語を導入するとともに、先ず台湾における中国の歴史を削除し、日本の歴史に差し替えることに躍起となった。
中国系台湾人とは、中国大陸から過去400年の間に台湾にやってきた移民の子孫であり、また第二次世界大戦後に大陸から流入した中国人(外省人)との関係において、それ以前の漢民族の移住者(本省人)は先住の「現地人」とみなすこともできる。本省人と外省人とでは話す中国語が違う。
このように、台湾はもともと複雑な多民族・多言語社会であるが、植民地政策が進んで大陸とのつながりが弱まってゆくと、日本語は島の住民の過半数以上が共有する一般的な言語へと成長して、言語の面で、その複雑さを更に推し進めた。日本の統治時代が終焉し、蒋介石の国民党政府が台湾語と日本語を禁止しても、植民地という環境で育った世代の台湾人にとって、旧宗主国の言語である日本語は容易に捨てられない必要な言語でもあった。
こうした植民地時代の台湾の言語的アイデンティティの段階的変遷を背景にして、著者は、台湾人の作家たち及び台湾と深いかかわりを持った日本人作家たちを紹介している。
「第一部・第三章 南方の作家たち」では、林芙美子(1903〜51)と中島敦(1909〜42)の2人の作家が取り上げられ、中島の『光と風と夢』(1942)と林の『浮雲』(1949)は、「日本の植民地における特定の時と場所を捉えた文学作品として時の試練に耐えるもの」と評価されている。
「第二部 在留日本人のアンビヴァレンス」の主要な対象は西川満(1908〜99)である。2歳から台湾で暮らした西川は「その植民地体験を文学にまとめようとした作家」で、「稲江冶春詞」(とうこうやしゅんし)(1940)、「赤嵌記」(せきかんき)(1942)、唯一の歴史小説『台湾縦貫鉄道』などの作品がある。しかし、戦後、日本に帰国した西川が「作家として台湾時代のような名声を再び博することはなく、日本の文壇ではアウトサイダーとして、一般に名が知られぬ地位にとどまった。一時は家族を養うために占い師として働くことさえ余儀なくされた」と、著者は哀惜の念をこめて結んでいる。評者(私)は西川が99年まで存命であったことを本書で知った。慙愧に似た虚しさを感じる。
「第三部 台湾人が描いた〈帝国〉」で、「台湾文学の伝統においては、植民地支配者文化の全面的拒否から、積極的受容・同化まで、幅広い立場が見てとれる」としつつも、「そこにどのような善意があったにせよ、二つの異なる民族的・文化的伝統が真に一つにまとまることの不可能性を暴露」せざるをえないとしている。この指摘こそ、植民地文学の「その明白な白と黒の間に存在する、割り切れない矛盾や曖昧さに満ちた灰色の部分に焦点を当てる試み」と位置づけた本書の、辿り着いた結論の一つであろう。
引き込まれるように読みながら、日本語世代の子であるという著者の年齢を絶えず測り、読んでいる自分に気がついた。
日本語世代の両親を持った著者には戸惑いと葛藤があったはずである。それは、「『台湾万葉集』の歌人たちは日本語世代を代表するが、私は彼らを擁護する立場になく、またその必要もない」、「日本語で教育を受けた世代全員が、植民地の最後の記憶、言語、詩歌をあの世に持っていってしまうまで、ポストコロニアルの時代は真には始まらないのだ」といった文の行間ににじみ出ているし、本書の意図について、学究として「植民地文学回復のため」としつつも、一方で「どんなに時代の波に翻弄されようとも人間としての尊厳を保ちながら生きてきた彼らと彼らの世代を取り上げた」と吐露していることからも伺える。
私事ながら。何を隠そう、台湾の母、台湾人であるわが妻の実母は「日本語世代」である。母は著者が「長い波乱の旅」と形容した日本植民地期を生き、終戦直後の転換期、激変した戦後社会を生き抜いてきた。「伝統的な台湾社会の父権制度の中で、自らの運命を決定する自由はほとんどなかった女性」、「厳しい植民地統治の下で人並みの暮らしをするために懸命に努力する農民達」に、著者の筆は及んでいるが、母はそうした女であり、農民である。
日本人では稀な視点、とりわけ日本人に一般的な〈二項対立〉的歴史観に対する警鐘がちりばめられた本書は、台湾を知り、今もあの島で生きている台湾の人々を知る上で欠くべからざる本である。
台湾の植民地化にあたり、日本は現地の言語を排除して日本語を導入するとともに、先ず台湾における中国の歴史を削除し、日本の歴史に差し替えることに躍起となった。
中国系台湾人とは、中国大陸から過去400年の間に台湾にやってきた移民の子孫であり、また第二次世界大戦後に大陸から流入した中国人(外省人)との関係において、それ以前の漢民族の移住者(本省人)は先住の「現地人」とみなすこともできる。本省人と外省人とでは話す中国語が違う。
このように、台湾はもともと複雑な多民族・多言語社会であるが、植民地政策が進んで大陸とのつながりが弱まってゆくと、日本語は島の住民の過半数以上が共有する一般的な言語へと成長して、言語の面で、その複雑さを更に推し進めた。日本の統治時代が終焉し、蒋介石の国民党政府が台湾語と日本語を禁止しても、植民地という環境で育った世代の台湾人にとって、旧宗主国の言語である日本語は容易に捨てられない必要な言語でもあった。
こうした植民地時代の台湾の言語的アイデンティティの段階的変遷を背景にして、著者は、台湾人の作家たち及び台湾と深いかかわりを持った日本人作家たちを紹介している。
「第一部・第三章 南方の作家たち」では、林芙美子(1903〜51)と中島敦(1909〜42)の2人の作家が取り上げられ、中島の『光と風と夢』(1942)と林の『浮雲』(1949)は、「日本の植民地における特定の時と場所を捉えた文学作品として時の試練に耐えるもの」と評価されている。
「第二部 在留日本人のアンビヴァレンス」の主要な対象は西川満(1908〜99)である。2歳から台湾で暮らした西川は「その植民地体験を文学にまとめようとした作家」で、「稲江冶春詞」(とうこうやしゅんし)(1940)、「赤嵌記」(せきかんき)(1942)、唯一の歴史小説『台湾縦貫鉄道』などの作品がある。しかし、戦後、日本に帰国した西川が「作家として台湾時代のような名声を再び博することはなく、日本の文壇ではアウトサイダーとして、一般に名が知られぬ地位にとどまった。一時は家族を養うために占い師として働くことさえ余儀なくされた」と、著者は哀惜の念をこめて結んでいる。評者(私)は西川が99年まで存命であったことを本書で知った。慙愧に似た虚しさを感じる。
「第三部 台湾人が描いた〈帝国〉」で、「台湾文学の伝統においては、植民地支配者文化の全面的拒否から、積極的受容・同化まで、幅広い立場が見てとれる」としつつも、「そこにどのような善意があったにせよ、二つの異なる民族的・文化的伝統が真に一つにまとまることの不可能性を暴露」せざるをえないとしている。この指摘こそ、植民地文学の「その明白な白と黒の間に存在する、割り切れない矛盾や曖昧さに満ちた灰色の部分に焦点を当てる試み」と位置づけた本書の、辿り着いた結論の一つであろう。
引き込まれるように読みながら、日本語世代の子であるという著者の年齢を絶えず測り、読んでいる自分に気がついた。
日本語世代の両親を持った著者には戸惑いと葛藤があったはずである。それは、「『台湾万葉集』の歌人たちは日本語世代を代表するが、私は彼らを擁護する立場になく、またその必要もない」、「日本語で教育を受けた世代全員が、植民地の最後の記憶、言語、詩歌をあの世に持っていってしまうまで、ポストコロニアルの時代は真には始まらないのだ」といった文の行間ににじみ出ているし、本書の意図について、学究として「植民地文学回復のため」としつつも、一方で「どんなに時代の波に翻弄されようとも人間としての尊厳を保ちながら生きてきた彼らと彼らの世代を取り上げた」と吐露していることからも伺える。
私事ながら。何を隠そう、台湾の母、台湾人であるわが妻の実母は「日本語世代」である。母は著者が「長い波乱の旅」と形容した日本植民地期を生き、終戦直後の転換期、激変した戦後社会を生き抜いてきた。「伝統的な台湾社会の父権制度の中で、自らの運命を決定する自由はほとんどなかった女性」、「厳しい植民地統治の下で人並みの暮らしをするために懸命に努力する農民達」に、著者の筆は及んでいるが、母はそうした女であり、農民である。
日本人では稀な視点、とりわけ日本人に一般的な〈二項対立〉的歴史観に対する警鐘がちりばめられた本書は、台湾を知り、今もあの島で生きている台湾の人々を知る上で欠くべからざる本である。
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