2008.04.14
神か仏か、ただの人か
―チベット高原の一隅にて(15)
3月14日ラサ「騒乱」を伝えるテレビ画像、パネル写真は漢人を怒らせ、チベット人を困惑させた。この街頭行動に対する当局の非難も鎮圧も、映像の放送もすばやかった。しかも映像はいい角度から写しているものが多く、説得力があった(注1)。
30日新華社は「ダライ集団」が黒幕となってラサ「騒乱」を画策したと非難したが、攻撃の矛先はおもに「チベット青年会議」に向けられた。同日ラオス訪問中の総理温家宝は、分裂活動をやめるなどのいくつかの原則の下でなら、ダライ=ラマと接触し談判を進めてもいいといった。(「南方週末4月3日」)
中国政府新聞弁公室は4月2日、チベット情勢に関する記者会見をひらき、中央党学校の研究者らがダライ=ラマを非難したうえで、ダライ=ラマが「特に若いチベット僧に対し一定の影響力を有している」と分析し、チベット僧を対象に愛国主義教育をさらに進めるべきだと主張した。胡岩同校教授は、チベット僧は僧侶である以前に「中国国民」であるべきだとして、今後の対策として「(共産党が)チベットを平和的に解放した事実」を周知徹底する必要性があると訴えたという。(共同)(注2)
わたしもチベット・チュルク系・モンゴルなど少数民族が「中国国民」意識を持つことは、「中華民族形成」にとっては困難だが重要な課題だとおもう。
阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)
3月14日ラサ「騒乱」を伝えるテレビ画像、パネル写真は漢人を怒らせ、チベット人を困惑させた。この街頭行動に対する当局の非難も鎮圧も、映像の放送もすばやかった。しかも映像はいい角度から写しているものが多く、説得力があった(注1)。
30日新華社は「ダライ集団」が黒幕となってラサ「騒乱」を画策したと非難したが、攻撃の矛先はおもに「チベット青年会議」に向けられた。同日ラオス訪問中の総理温家宝は、分裂活動をやめるなどのいくつかの原則の下でなら、ダライ=ラマと接触し談判を進めてもいいといった。(「南方週末4月3日」)
中国政府新聞弁公室は4月2日、チベット情勢に関する記者会見をひらき、中央党学校の研究者らがダライ=ラマを非難したうえで、ダライ=ラマが「特に若いチベット僧に対し一定の影響力を有している」と分析し、チベット僧を対象に愛国主義教育をさらに進めるべきだと主張した。胡岩同校教授は、チベット僧は僧侶である以前に「中国国民」であるべきだとして、今後の対策として「(共産党が)チベットを平和的に解放した事実」を周知徹底する必要性があると訴えたという。(共同)(注2)
わたしもチベット・チュルク系・モンゴルなど少数民族が「中国国民」意識を持つことは、「中華民族形成」にとっては困難だが重要な課題だとおもう。
ダライ=ラマの影響力は僧侶に対してはいうまでもなく、チベット・トゥ(ツァハンモンゴル)・モンゴルなどチベット仏教の俗人信徒全体にもあり、彼らの崇拝対象ともなっている。寺院にはたいてい十世パンチェン=ラマの像か画像がある。そのスミやウラには小さいダライ=ラマの写真があることがある。農牧民はもちろん、地位のある人でも自宅仏間に仏像やパンチェン=ラマの画像をおくと同じことをやる。ダライ=ラマの写真は禁止されているが、やらずにはいられないという感じだ。漢人幹部がチベット人は「両面派」(二股膏薬)だ、というわけだ。ラサ事件の後、テレビなどでチベット人幹部が口を極めてダライ=ラマを罵ったが、漢人でも事情通の人は「本気だ」とはおもわないかもしれない。
わたしの印象では、一般に農牧民の老人たちはダライ=ラマを心から敬っているが、だからといって反政府の考えはない。逮捕や吊るし上げなどがなくなって昔より世の中はよくなったという。テレビがジャワ=リンポチェ(ダライ=ラマ)をいくら悪くいっても彼らは意に介しない。ただ「ジャワ=リンポチェがチベットへお帰りになること」を夢見ているのではないか。というのは2,3年前、農牧民のあいだに「ジャワ=リンポチェがお帰りになる」というとんでもないうわさが広がったことがある。冷静に考えればウソだとわかりそうなものだが、信じた人々が大勢西寧近郊のクンブム僧院(塔爾寺)に集まり野宿をして待つという騒ぎがあった。
亡くなった十世パンチェン=ラマは文化大革命後漢人の婦人と結婚し娘が二人ある。ゲールク派の僧としては破戒僧である。それでも誰も文句をいわず崇拝する。彼は少数民族のために国政レベルでいい仕事をしたが普通のチベット人はそんなことは知らない。崇拝するのはチベット仏教第二の転生ラマだからだろう。
同じ仏教徒としてチベット人学生に「転生ラマの制度はシャカの教えとなんの関係もない。ツォンカパ(チベット仏教改革者・哲学者)が自分の転生を考えたことがあるか。ダライ、パンチェン二人のラマもただの坊さんだ」といったことがある。このとき学生がわたしを見た「このばちあたり!」という表情は忘れられない。
日ごろ不信心に見える人でも多少とも仏教の知識のあるものは、修行僧や転生ラマを尊重する。彼らにしてもダライ=ラマやパンチェン=ラマは最高位の修行者であろう。
わかりにくいところだが、チベット仏教信徒はダライ=ラマを崇拝しないではいられないような精神構造を持っているのではないか。カソリック教徒のローマ法王崇拝に似ているかもしれない。
中国当局はそれをただの人とするだけでなく、悪党として批難をくり返してきた。かれが独立ではなくチベット人地域の大自治区と「高度自治」とを求めるようになってからも「蔵独」批難はつづいた(注3)。にもかかわらず、民族運動は数年ごとにラサ街頭に現れた。イデオロギー攻勢だけでは効果が小さいのだ。
もちろん中央政府は少数民族地域に多額の財政投入をしている。チベット自治区などまるでカネのブラックホールだがその恩恵を農牧民が受けたか否か。それに制度上の平等があるにしても現実的不利は否定しがたい。たとえば、民族自治州といっても手紙の表書きさえ中国語でなければ受付けてもらえない。自民族の文字が読書きできても漢字が読めないと領収書すらわからない。わからないとバカあつかいされる。皮衣を着るうえに習慣上あまり体を拭かないから、臭い汚いといわれることもある。商売や新規開業は漢回にかなわない。いいところは外来人にさらわれたと感じてしまう。
「民族中学」出身のものの大学一般学部への道は狭い。そのため地方の民族幹部・金持などは西寧にマンションを買って子弟をそこに住まわせ、(進学に有利な中国語による)普通学校へ通わせることもある。こうして民族語を失う「わが人民」も毎年かなりの数で生産される。東部臨海地域と違い、西北では高校や大学を卒業しても全部が全部就職できるわけではない。漢人だって就職難だ。少数民族は中国語(標準語)能力などに問題があることがあるから就職難もひとしおだ。たいていは2,3年は仕事を探しながら故郷で畑を耕し牛羊の尻を追わなくてはならない。仕事があってもたいてい臨時工だ。
わたしは少数民族の社会生活上の不利・差別がひとつでも解消すれば、その分中国を「わが祖国」「わが国土」と考える若者が増えるとおもう。
北京政府とラサ政府の「チベット和平17条協定」に関与し、チベット「和平解放」のために大きな役割を果たしたプンツォク=ワンギェルはいう。
民族は大小にかかわらず平等であるべきだ。民族平等は要因であって団結はその結果である(この待遇「不平等は要因で不団結は結果だ」も真だ)。少数民族の異議申し立ての背景には「己の欲せざるところを人に施すなかれ」といいたくなるような、多数民族の大民族主義がある。かつて毛沢東や周恩来もそれについて語ったことがあると。
チベット・モンゴル文化は仏教の、チュルク系文化はイスラム教の衣をまとっている。文化と宗教の維持発展は二重写しになっている。ところが仏教研究は衰退し僧院の観光化は免れがたい状況におかれている。民族文化喪失の危機感は増すばかりで、どこに発展の契機をもとめるか苦悩するものもいる。
少数民族が伝統文化や言語文字や風俗習慣を喪失せずに、誇りをもって学び働き生活し信仰して死んでゆけるならば、僧侶も俗人も中国を「わが祖国」と考えるだろう。そうなれば「騒乱」などそうそう起きるものではない。
このままだと少数民族が問題を起こすたび当局は焦燥感を強め、武力鎮圧など強硬策が説得力を持つようになり、仏教徒やイスラム教徒のほうには激しい殉教精神が生まれる。これは悪夢だ。それへの傾斜はすでに現れている。オリンピックが終わったあとの中国少数民族地域はどうなるだろうか。
(注1)テレビ画像をひとめ見たとき「多数の民衆が参加した大規模な騒乱事件」だとおもったが、じょじょに田畑光永さんのいう「大勢の群集がいる場面ではなく、どちらかというと人気のあまりない情景の中でそういう行為(破壊・暴行)が行われていた」という判断に変わった。すぐれたジャーナリストの目は鋭い。1950年代末から日米安保条約破棄などの反政府闘争にあけくれ、日中国交回復のために世論を味方につけようと悪戦苦闘したものからみると、ラサ3月14日の映像は暴力のための暴力、破壊のための破壊であって、政治要求をもった街頭行動としてはきわめて不自然である。
映像の中で商店を襲撃し通行人をぶん殴った連中、抜き身の長刀をひっかついで暴れまわった人物は一体なにものか。かれらの正体がわかれば真実に一歩近づけるとおもうが、まだ全体像は明らかではないから、事件そのものについては何もいえない。
(注2)平和的解放とはいうものの、教え方によっては反中国効果が生まれるかもしれない。
1950年誕生間もない中国は金沙江右岸のチャムド(昌都)を攻略し十八軍はチベット軍を粉砕した。チャムド作戦勝利を背景に「チベット和平17条協定」ができ、十八軍1万6千がラサに進駐する。ただちに食糧問題とインフレが生じチベット人の反感が深まる。チャムド作戦ではカムパは解放軍に上下をあげて協力したが、1956年からの中共の「民主改革」はカムとアムドの強烈な武装抵抗をうんだ。
(注3)民族独立派は、台湾は「台独」、チベットは「蔵独」、新疆は「疆独」とよばれる。
わたしの印象では、一般に農牧民の老人たちはダライ=ラマを心から敬っているが、だからといって反政府の考えはない。逮捕や吊るし上げなどがなくなって昔より世の中はよくなったという。テレビがジャワ=リンポチェ(ダライ=ラマ)をいくら悪くいっても彼らは意に介しない。ただ「ジャワ=リンポチェがチベットへお帰りになること」を夢見ているのではないか。というのは2,3年前、農牧民のあいだに「ジャワ=リンポチェがお帰りになる」というとんでもないうわさが広がったことがある。冷静に考えればウソだとわかりそうなものだが、信じた人々が大勢西寧近郊のクンブム僧院(塔爾寺)に集まり野宿をして待つという騒ぎがあった。
亡くなった十世パンチェン=ラマは文化大革命後漢人の婦人と結婚し娘が二人ある。ゲールク派の僧としては破戒僧である。それでも誰も文句をいわず崇拝する。彼は少数民族のために国政レベルでいい仕事をしたが普通のチベット人はそんなことは知らない。崇拝するのはチベット仏教第二の転生ラマだからだろう。
同じ仏教徒としてチベット人学生に「転生ラマの制度はシャカの教えとなんの関係もない。ツォンカパ(チベット仏教改革者・哲学者)が自分の転生を考えたことがあるか。ダライ、パンチェン二人のラマもただの坊さんだ」といったことがある。このとき学生がわたしを見た「このばちあたり!」という表情は忘れられない。
日ごろ不信心に見える人でも多少とも仏教の知識のあるものは、修行僧や転生ラマを尊重する。彼らにしてもダライ=ラマやパンチェン=ラマは最高位の修行者であろう。
わかりにくいところだが、チベット仏教信徒はダライ=ラマを崇拝しないではいられないような精神構造を持っているのではないか。カソリック教徒のローマ法王崇拝に似ているかもしれない。
中国当局はそれをただの人とするだけでなく、悪党として批難をくり返してきた。かれが独立ではなくチベット人地域の大自治区と「高度自治」とを求めるようになってからも「蔵独」批難はつづいた(注3)。にもかかわらず、民族運動は数年ごとにラサ街頭に現れた。イデオロギー攻勢だけでは効果が小さいのだ。
もちろん中央政府は少数民族地域に多額の財政投入をしている。チベット自治区などまるでカネのブラックホールだがその恩恵を農牧民が受けたか否か。それに制度上の平等があるにしても現実的不利は否定しがたい。たとえば、民族自治州といっても手紙の表書きさえ中国語でなければ受付けてもらえない。自民族の文字が読書きできても漢字が読めないと領収書すらわからない。わからないとバカあつかいされる。皮衣を着るうえに習慣上あまり体を拭かないから、臭い汚いといわれることもある。商売や新規開業は漢回にかなわない。いいところは外来人にさらわれたと感じてしまう。
「民族中学」出身のものの大学一般学部への道は狭い。そのため地方の民族幹部・金持などは西寧にマンションを買って子弟をそこに住まわせ、(進学に有利な中国語による)普通学校へ通わせることもある。こうして民族語を失う「わが人民」も毎年かなりの数で生産される。東部臨海地域と違い、西北では高校や大学を卒業しても全部が全部就職できるわけではない。漢人だって就職難だ。少数民族は中国語(標準語)能力などに問題があることがあるから就職難もひとしおだ。たいていは2,3年は仕事を探しながら故郷で畑を耕し牛羊の尻を追わなくてはならない。仕事があってもたいてい臨時工だ。
わたしは少数民族の社会生活上の不利・差別がひとつでも解消すれば、その分中国を「わが祖国」「わが国土」と考える若者が増えるとおもう。
北京政府とラサ政府の「チベット和平17条協定」に関与し、チベット「和平解放」のために大きな役割を果たしたプンツォク=ワンギェルはいう。
民族は大小にかかわらず平等であるべきだ。民族平等は要因であって団結はその結果である(この待遇「不平等は要因で不団結は結果だ」も真だ)。少数民族の異議申し立ての背景には「己の欲せざるところを人に施すなかれ」といいたくなるような、多数民族の大民族主義がある。かつて毛沢東や周恩来もそれについて語ったことがあると。
チベット・モンゴル文化は仏教の、チュルク系文化はイスラム教の衣をまとっている。文化と宗教の維持発展は二重写しになっている。ところが仏教研究は衰退し僧院の観光化は免れがたい状況におかれている。民族文化喪失の危機感は増すばかりで、どこに発展の契機をもとめるか苦悩するものもいる。
少数民族が伝統文化や言語文字や風俗習慣を喪失せずに、誇りをもって学び働き生活し信仰して死んでゆけるならば、僧侶も俗人も中国を「わが祖国」と考えるだろう。そうなれば「騒乱」などそうそう起きるものではない。
このままだと少数民族が問題を起こすたび当局は焦燥感を強め、武力鎮圧など強硬策が説得力を持つようになり、仏教徒やイスラム教徒のほうには激しい殉教精神が生まれる。これは悪夢だ。それへの傾斜はすでに現れている。オリンピックが終わったあとの中国少数民族地域はどうなるだろうか。
(注1)テレビ画像をひとめ見たとき「多数の民衆が参加した大規模な騒乱事件」だとおもったが、じょじょに田畑光永さんのいう「大勢の群集がいる場面ではなく、どちらかというと人気のあまりない情景の中でそういう行為(破壊・暴行)が行われていた」という判断に変わった。すぐれたジャーナリストの目は鋭い。1950年代末から日米安保条約破棄などの反政府闘争にあけくれ、日中国交回復のために世論を味方につけようと悪戦苦闘したものからみると、ラサ3月14日の映像は暴力のための暴力、破壊のための破壊であって、政治要求をもった街頭行動としてはきわめて不自然である。
映像の中で商店を襲撃し通行人をぶん殴った連中、抜き身の長刀をひっかついで暴れまわった人物は一体なにものか。かれらの正体がわかれば真実に一歩近づけるとおもうが、まだ全体像は明らかではないから、事件そのものについては何もいえない。
(注2)平和的解放とはいうものの、教え方によっては反中国効果が生まれるかもしれない。
1950年誕生間もない中国は金沙江右岸のチャムド(昌都)を攻略し十八軍はチベット軍を粉砕した。チャムド作戦勝利を背景に「チベット和平17条協定」ができ、十八軍1万6千がラサに進駐する。ただちに食糧問題とインフレが生じチベット人の反感が深まる。チャムド作戦ではカムパは解放軍に上下をあげて協力したが、1956年からの中共の「民主改革」はカムとアムドの強烈な武装抵抗をうんだ。
(注3)民族独立派は、台湾は「台独」、チベットは「蔵独」、新疆は「疆独」とよばれる。
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