2008.04.18 書評 中尾武彦著『アメリカの経済政策―強さは持続できるのか』
―財務官僚のみた強いアメリカの鳥瞰図―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 「アメリカ経済はなぜ強いのか。グローバル化とITなどの技術はアメリカの強さとどう関わっているのか」。これは本書の書き出しである。
 「長期的な視点に立って見れば、アメリカ経済はその開放性、柔軟性やダイナミズムに起因する基本的な強さを持っており、今後も世界経済のメイン・プレーヤーであり続けると考えている」。これは結語部分の一節である。本書はアメリカ経済の強さを分析した報告書である。著者は1956年生まれ。東大経済を出て大蔵省へ入りカリフォルニア大バークレー校留学を含め7年の滞米経験(IMF3年、日本大使館2年)をもつエリート財務官僚。現在は財務省国際局次長の職にある。

 まず著者は過去10年の強い米国経済と弱い日本経済によって両国経済の格差は大きく広がったという。それは次の数値によく表れている。(本書9頁)

          1996年       2006年
■米国のGDP(10億ドル)  7,817      13,195
  日本のGDP(10億ドル)  4,638       4,366
  (対米比率)         59.3%       33.1%
■1人当たりGDP(ドル)
 米 国          28,996      44,024
 日 本          36,898      34,181
 (対米比率)       127.2%       77.6%
■対ドル円レート 108.7円      116.3円

 アメリカ経済の良好なパフォーマンスはどこから生まれたのか。
その主因は生産性の上昇であり、背景にはITを活用した技術革新と投資があった。それをを支える開放的な投資環境と競争的な労働市場という構造があった。つまり自由な市場がアメリカ経済の成長をもたらしたというのである。さらに世界の金融センターとしてのアメリカがクローズアップされる。世界経済はいまや「グローバル金融資本主義」の時代にあり、それを推進し発展させているのがアメリカの金融市場である。そこでは25年ほどかけて、規制の自由化、グローバル化、IT技術が進み、現在の繁栄がもたらされた。
 本書は07年夏から08年1月までの間に執筆されている。ザブプライム問題が顕在化した時期と重なる。「半年の間にこれほど大きく経済環境が変化することは予想できなかった」と著者は書いている。それもあってか、強いアメリカ経済の問題点にも触れることを忘れない。著者のいう問題点とは何か。私は次の4点であろうと読んだ。

①米経済の大幅な経常収支の赤字
②所得分配における格差の拡大
③医療費と戦費増大による財政収支の悪化
①金融市場の規制のあり方

①については次の表が問題の本質を示している。

「各国・地域の経常収支の推移」(本書23頁、数字の単位は億ドル、▲はマイナス)      
        1995年      2000年      2006年
■先進地域     337      ▲2,657      ▲5,088
  米国    ▲1,136     ▲4,174      ▲8,115
  日本     1,114      1,196       1,704
ユーロ地域            ▲  370           9
NIES      21        389         876
その他                 302         438
■新興・途上地域 ▲ 408        864       5,960
 途上国アジア               381       2,781 
(うち中国     16        205       2,499)
 中東         13        717       2,338
 その他               ▲  439         841
■世界全体       71     ▲1,793         872
注①NIESは香港、韓国、シンガポール、台湾
 ②世界全体は統計上の不整合を示す

 経常収支とは、貿易収支に観光・運輸などのサービス収支、配当利子などの所得収支、国連出資金などの経常移転収支を加えたもので、国際収支の最も重要な項目である。この表をみると1995年には米国の経常収支の赤字は日本が補填していたが、2006年にはその間に増大した赤字約7000億ドルを中国、NIES、中東がカバーしていることがわかる。現在の米国の赤字は年率1兆ドル規模に達している。しかし著者の文章には米国の赤字増大に関する切迫した危機感は感じられない。「このような不均衡はグローバル化された世界経済におけるアメリカの強さ、投資先としての魅力の反映でもあるが、こうした水準の経常赤字が永遠に続くことは不可能だとも考えられている」といった客観的な叙述に終わっている。ましてサブプライム問題が長期の構造問題の力ずく解決の始まりではないかという認識は感じられない。

②所得格差の拡大については細かな数字で検証しており格差拡大を認め問題だとしている。没落する中流階層や低所得層への対策にも言及するが、著者の関心は新富裕層の実態―著者の交友範囲にも多かったようだ―に向けられる。富裕層の存在はリスクマネー(高いリスク、高い収益性のある投資を行う資金)の供給、寄付などを通じてアメリカ経済にダイナミズムをもたらすとして肯定的に評価している。

③医療費と戦費の増加、とくに前者は財政の長期的な見通しのなかにどう位置付けられるかが論じられる。独自の見解はないが、日本の医療費問題に通ずる問題の難しさを浮き彫りにしており興味深い。

④金融市場規制への著者の視点は、アメリカ経済10年の成功を前提としている。規制緩和、業界間垣根の事実上の撤廃、新商品開発という80年代以後の改革路線を肯定的にみながら金融市場規制が市場の急発展に追いつかない現状を描いている。銀行・証券・保険などの業界別規制から「はみ出す」投資銀行(証券会社)の規制不備は実際にベア・スターンズの破綻で顕在化した。

 目配りのよい著者は次の諸問題にも詳細な議論を展開している。テーマだけ書いておくと、マクロ経済政策としての財政論と金融政策(短期的景気対策から中長期の成長基盤のためと目標が変化)、対外経済政策とくに米中経済関係の問題点などである。その理論的基礎はケインズ的・ブレトンウッズ体制的なものから新自由主義的なものへ転換した。金融市場に関して前述のテーマ以外に、主要な金融機関の合従連衡の歴史、「ヘッジファンド」「国家(政府系)ファンド」の実態、バーナンキFRB議長など米政府要人の発言や論文紹介などがあり、叙述の範囲はきわめて多岐にわたっている。

 解説的な記述が多く優等生の書いた作文的な印象を否定しがたい。アメリカ経済を生きる大衆一人ひとりの顔は見えないが国際金融の現場での知見は新鮮であり私のようなオールド金融マンには有益な情報が多い。図表やグラフもよい。
本書でアメリカ経済の成功を語ろうとした著者は最近の市場混乱のために宙吊りにされている。その困惑がほのかに滲み出た作品だというのが私の印象である。専門用語が多くスラスラ読める本ではないが金融危機の遠因や背景を知るには絶好の一冊である。一読をお勧めしたい。

■中尾武彦著『アメリカの経済政策―強さは持続できるのか』、中公新書1932、中央公論新社、08年2月25日発行、249頁、800円+税
Comment
半澤健市さんの書評、読みました。若干の感想を以下に述べます。私はまだ中尾武彦著『アメリカの経済政策―強さは持続できるのか』は読んでいませんので、半澤さんの書評だけを手がかりにします。
 たしかに「財務官僚のみた強いアメリカの鳥瞰図」という印象があります。半澤さんの文章から私がポイントだと考える点をまず以下に列挙します。

(1)本書はアメリカ経済の強さを分析した報告書である。
(2)過去10年の強い米国経済と弱い日本経済によって両国経済の格差は大きく広がった。
(3)自由な市場がアメリカ経済の成長をもたらした。
(4)世界経済はいまや「グローバル金融資本主義」の時代にあり、アメリカの金融市場における規制の自由化、グローバル化、IT技術が進み、現在の繁栄がもたらされた。
(5)強いアメリカ経済の問題点にも触れており、それは次の4点であろう。
 ①米経済の大幅な経常収支の赤字
 ②所得分配における格差の拡大
 ③医療費と戦費増大による財政収支の悪化
 ④金融市場の規制のあり方
(6)サブプライム問題が長期の構造問題の力ずく解決の始まりではないかという認識は感じられない。
(7)理論的基礎はケインズ的・ブレトンウッズ体制的なものから新自由主義的なものへ転換した。
(8)アメリカ経済を生きる大衆一人ひとりの顔は見えない。
(9)本書でアメリカ経済の成功を語ろうとした著者は最近の市場混乱のために宙吊りにされている。その困惑がほのかに滲み出た作品だ。

以上の柱をみただけで、内容はほぼつかめます。
 まず経済を強弱の視点から捉えることは高度成長時代の感覚で、今では疑問を感じます。経済は「経世済民」つまり世を整え、民(大衆)を救うこと、すなわち大衆が幸せに暮らしているかどうかが最大のポイントです。こういう視点こそ今や重視すべきときです。

 つぎに(3)自由な市場がアメリカ経済の成長をもたらした ― という認識らしく、相も変わらず成長主義に執着しています。しかし21世紀の今日、時代は地球環保全をどうするかが最大の課題である地球環境時代です。資源・エネルギーの浪費を招く成長主義と果たして両立するのかどうかが深刻なテーマとして提起されています。従来型の成長主義にこだわるのは、いささか時代感覚がずれているようです。
 ブッシュ米大統領が4月16日、「2025年までに米国の温室効果ガスの排出量増加をゼロにする」という地球温暖化対策の「新国家目標」を発表しました。いいかえれば、2025年までは温室効果ガスを削減ではなく、増加させるという含みをもたせており、ドイツ環境相は環境先進国ドイツのリーダーらしく「ネアンデルタール人の演説」と酷評したと伝えられています。地球環境時代への感覚を喪失した成長主義はもはや時代錯誤といえるでしょう。

 著者が米経済は強いと考える背景に新自由主義的思想の肯定、あるいは賛美論があるようです。弱肉強食の論理を肯定する新自由主義は、ごく一部の強者にとっては歓迎です。しかし多くの敗者(弱者)にとっては苦しみの根源です。その苦しみへの思いやりが欠落しています。経済学者、マーシャルの言う「冷徹な頭脳と温かい心」、特に「温かい心」とは無縁です。それが半澤さんが指摘している、(8)大衆の顔は見えない ― となって表れているように思います。

 問題点として上記(5)の4点を挙げているようですが、私の関心事は戦費増大です。この点にどの程度言及しているのか分かりませんが、戦費増大―戦争経済の構造化―米経済の弱体化、という悪循環に陥っているところに着目する必要があります。にもかかわらず現代経済学者、研究者、行政府の専門家たちはこの点を避けています。画竜点睛を欠く、というべきです。

 (9)の「著者は最近の市場混乱のために宙吊りにされている」とは、言い得て妙、です。例のサブプライム問題にはどの程度触れているのでしょうか。著者にとってはたしかに「困惑」のほかないでしょう。
 半澤さんと私との間で行ったサブプライム問題に関する「リベラル21」での意見交換の内容は、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」からインターネット新聞「日刊ベリタ」につぎのタイトルで転載(4月6日付)されました。

サブプライム問題と米帝国の終末
「リベラル21」での論議から

 この転載記事に対するアクセス件数は4月20日午後2時現在でもなおいくつもみられます。私が指摘したいのは、このサブプライム問題は単なる金融問題としてではなく、広い視野からの分析に読者は関心を抱いているということです。
 著書はデータも豊富のようであり、読み方によっては大変有益だろうと思います。ただ私の問題意識からすれば、著者が『アメリカの経済政策―弱さは克服できるのか』という新作を出版するときには、ぜひ読んでみたいと期待しています。
安原和雄 (URL) 2008/04/20 Sun 18:09 [ Edit ]
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