2008.04.21
黒澤明全作品30作の放映(2)
―『羅生門』にベネチア映画祭グランプリ―
《黒澤も知らなかったベネチア映画祭参加》
『羅生門』(1950年)は公開時から絶賛されていたわけではない。評価はさまざまであった。それでも映画専門誌『キネマ旬報』のベストテンの第5位に入っている。第1位から第4位までを挙げておく。カッコ内は監督。
第1位 『また逢う日まで』(監督・今井正)
第2位 『帰郷』(大庭秀雄)
第3位 『暁の脱走』(谷口千吉)
第4位 『執行猶予』(佐分利信)
なお外国映画の第1位はデ・シーカ監督のイタリア映画『自転車泥棒』であった。
翌51年9月にベネチア国際映画祭へ出品されたことを多くの製作関係者は知らなかった。イタリア映画の輸入業者をしていた女性の熱意が『羅生門』を母国の映画祭へ送ったのである。黒澤は荻昌弘とのインタビューでこういっている。「実は僕、あの写真がベネチアへ送られたことも知らなかったのですよ。あれを向こうへ送ってくれたのは、ほんとにイタリフィルムのストラミジョリさんの功績です。受賞祝賀会のときにも僕は言ったのだけどね、日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった、その日本映画を外国に出してくれたのは外国人であった。これは反省する必要はないか、と思うのだな」。
半澤健市 (元金融機関勤務)
《黒澤も知らなかったベネチア映画祭参加》
『羅生門』(1950年)は公開時から絶賛されていたわけではない。評価はさまざまであった。それでも映画専門誌『キネマ旬報』のベストテンの第5位に入っている。第1位から第4位までを挙げておく。カッコ内は監督。
第1位 『また逢う日まで』(監督・今井正)
第2位 『帰郷』(大庭秀雄)
第3位 『暁の脱走』(谷口千吉)
第4位 『執行猶予』(佐分利信)
なお外国映画の第1位はデ・シーカ監督のイタリア映画『自転車泥棒』であった。
翌51年9月にベネチア国際映画祭へ出品されたことを多くの製作関係者は知らなかった。イタリア映画の輸入業者をしていた女性の熱意が『羅生門』を母国の映画祭へ送ったのである。黒澤は荻昌弘とのインタビューでこういっている。「実は僕、あの写真がベネチアへ送られたことも知らなかったのですよ。あれを向こうへ送ってくれたのは、ほんとにイタリフィルムのストラミジョリさんの功績です。受賞祝賀会のときにも僕は言ったのだけどね、日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった、その日本映画を外国に出してくれたのは外国人であった。これは反省する必要はないか、と思うのだな」。
『羅生門』は、詩人ジャン・コクトーが審査委員長を務めた第12回の映画祭で最高賞である金獅子賞(グランプリ)を射止めた。51年9月10日のことである。しかし当時は朝日新聞すら受賞をリアルタイムで報道していない。新聞はサンフランシスコの対日講和会議―対日平和条約と日米安保条約は9月8日に調印―の記事で埋まっていた。黒澤映画の生き証人の一人野上照代は『天気待ち』(2001年)のなかで「九月十二日付の各紙はいっせいに『羅生門』のグラン・プリ受賞を報じたのである」と書いているが正確ではない。製作者の大映社長永田雅一は受賞を知った時「グランプリてなんや?」と聞いたという。湯川秀樹のノーベル賞と水泳選手古橋広之進の活躍と並んで日本人に勇気を与えた文化国家の物語の滑り出しはこんな風だったのである。
『朝日年鑑1953年版』(52年10月刊)の「文化・映画」項目に出た受賞記事を次に引用しておく。記事は日本映画の世界進出に期待しているが、日本の劇映画は結局グローバルな商品になり得なかったといえよう。
羅生門にヴェニス大賞
またこの年の最大の事件は大映作品、黒沢明監督、森雅之、京マチ子、三船敏郎主演の「羅生門」がヴェニスの国際映画祭におけるコンテストで大賞(グラン・プリ)を授けられたことで、「羅生門」はその後RKOラジオ社によって全米に配給され、またパリやロンドンにおいても公開された。その反響は世界的となり、絶望視されていた日本映画海外進出に有力な突破口を築く結果となった。その原因は、第一にこの作品が芥川文学の映画化だけに思想を持つこと、一方において人間性の赤裸裸な本能を描くと同時にとかく映画の世界で美化され勝ちな女性の本質について不信を吐露しているからであったが、また反面では欧米人のエキゾティシズムを満足させたからでもあった。時代を古いむかしにとっているが、とにかく野盗が良人たる武士を縛っておいて、その面前で人妻を姦するという物語は前代未聞である。欧米作品ならば当然その国の検閲によって上映禁止される性質のものであろう。またこの作はアメリカに於てはオスカア賞(アカデミイ賞)の中の優秀外国映画賞も授けられた。
《杣(そま)売りの行動は不自然か》
当時は『羅生門』を冷戦下の時代意識と関連させたり、その思想は不可知論だどして難解に論ずるものもあった。ヨーロッパの同系列の小説との類似性を論じる批評もあった。
そして当時からあり今も繰り返される批判は、人間不信の話のあとに杣売りが捨て子を育てる挿話がくるのは不自然だ、というものである。以前に観たときに私もそういう印象をもっていた。しかし今回は不思議と違和感がなかった。杣売り(志村喬)が雨上がりの羅生門を背景に顔をあげるとそこへ日が差し込み画面が明るくなる。東洋的・古代的な早坂文雄の音楽が流れる。私はその場面をみてむしろ救われた気持がした。
黒澤自身はある対談でこう語っている。
アメリカの記者が来てね、ラストが甘いといわれているがどうですかと云っていたけれど、ぼくはあれでいゝと思うし、人間ッてそんなものだと思う。『羅生門』の原作の『藪の中』は、芥川(竜之介)さんの嘘だと思うんですよ。それが正直に自分のものだったら生きてゆけないでしょう。
黒澤は正直に語っていると私は思う。昭和20年代は黒澤のヒューマニズムの時代だからである。ヒューマニズムの時代―これは私の勝手な命名であるが―の黒澤映画はこういうラストでないと作品が完結しないのである。もちろんこれは私の仮説である。今後の放映を観ながらその理由をおいおい述べていきたいと思う。
《宮川一夫・野上照代・早坂文雄》
『羅生門』の面白さはカメラワークに多くを負っている。黒澤はサイレント映画のような明解な画面を狙い、カメラの宮川一夫はそれによく応えた。殺人が行われた森の中のコントラストの強い画面、カメラを直接太陽に向けた場面、検非違使庁の眩しい白州、羅生門に注ぐ豪雨、総じて光と影を美しさを表現した名場面である。
黒澤は前述の荻との対話でいう。「『羅生門』でびっくりしたのは宮川君のキャメラでしたね。志村君は昔から宮川君と知ってる仲で、ラッシュを見た時、僕に実は宮川君が自分の出来を大変心配しております。どうでしょう? と訊くんです。百点だね、って答えたな」。11年後『用心棒』(4月19日NHK・BS2放映)で宮川と黒澤は再会することになる。
黒澤の終生のサポーターとなるスクリプター(進行記録者)野上照代が黒澤に出会ったのも『羅生門』においてであった。『母べえ』(2008年、山田洋次監督)の原作者である野上についてはこれから何度も触れることになるだろう。
音楽の早坂文雄はクラシックの作曲家だが映画音楽も多い。黒澤作品では『七人の侍』のテーマが有名だが、『羅生門』冒頭の杣売り(志村喬)が林に入るときの不気味な響きや真砂(京マチ子)の証言場面に鳴るボレロなどが印象的である。サウンドトラックのCDのほかに、本名徹次指揮日本フィルハーモニー演奏のCDが99年にキングレコードから発売されている(KICC303)。『七人の侍』のテーマ、『羅生門』の全場面の音楽が、『古代の舞曲』など早坂の純古典作品とともに収録されている。日本の代表的な映画音楽が簡単に聴けないのは不幸なことである。あえて記しておく。
『朝日年鑑1953年版』(52年10月刊)の「文化・映画」項目に出た受賞記事を次に引用しておく。記事は日本映画の世界進出に期待しているが、日本の劇映画は結局グローバルな商品になり得なかったといえよう。
羅生門にヴェニス大賞
またこの年の最大の事件は大映作品、黒沢明監督、森雅之、京マチ子、三船敏郎主演の「羅生門」がヴェニスの国際映画祭におけるコンテストで大賞(グラン・プリ)を授けられたことで、「羅生門」はその後RKOラジオ社によって全米に配給され、またパリやロンドンにおいても公開された。その反響は世界的となり、絶望視されていた日本映画海外進出に有力な突破口を築く結果となった。その原因は、第一にこの作品が芥川文学の映画化だけに思想を持つこと、一方において人間性の赤裸裸な本能を描くと同時にとかく映画の世界で美化され勝ちな女性の本質について不信を吐露しているからであったが、また反面では欧米人のエキゾティシズムを満足させたからでもあった。時代を古いむかしにとっているが、とにかく野盗が良人たる武士を縛っておいて、その面前で人妻を姦するという物語は前代未聞である。欧米作品ならば当然その国の検閲によって上映禁止される性質のものであろう。またこの作はアメリカに於てはオスカア賞(アカデミイ賞)の中の優秀外国映画賞も授けられた。
《杣(そま)売りの行動は不自然か》
当時は『羅生門』を冷戦下の時代意識と関連させたり、その思想は不可知論だどして難解に論ずるものもあった。ヨーロッパの同系列の小説との類似性を論じる批評もあった。
そして当時からあり今も繰り返される批判は、人間不信の話のあとに杣売りが捨て子を育てる挿話がくるのは不自然だ、というものである。以前に観たときに私もそういう印象をもっていた。しかし今回は不思議と違和感がなかった。杣売り(志村喬)が雨上がりの羅生門を背景に顔をあげるとそこへ日が差し込み画面が明るくなる。東洋的・古代的な早坂文雄の音楽が流れる。私はその場面をみてむしろ救われた気持がした。
黒澤自身はある対談でこう語っている。
アメリカの記者が来てね、ラストが甘いといわれているがどうですかと云っていたけれど、ぼくはあれでいゝと思うし、人間ッてそんなものだと思う。『羅生門』の原作の『藪の中』は、芥川(竜之介)さんの嘘だと思うんですよ。それが正直に自分のものだったら生きてゆけないでしょう。
黒澤は正直に語っていると私は思う。昭和20年代は黒澤のヒューマニズムの時代だからである。ヒューマニズムの時代―これは私の勝手な命名であるが―の黒澤映画はこういうラストでないと作品が完結しないのである。もちろんこれは私の仮説である。今後の放映を観ながらその理由をおいおい述べていきたいと思う。
《宮川一夫・野上照代・早坂文雄》
『羅生門』の面白さはカメラワークに多くを負っている。黒澤はサイレント映画のような明解な画面を狙い、カメラの宮川一夫はそれによく応えた。殺人が行われた森の中のコントラストの強い画面、カメラを直接太陽に向けた場面、検非違使庁の眩しい白州、羅生門に注ぐ豪雨、総じて光と影を美しさを表現した名場面である。
黒澤は前述の荻との対話でいう。「『羅生門』でびっくりしたのは宮川君のキャメラでしたね。志村君は昔から宮川君と知ってる仲で、ラッシュを見た時、僕に実は宮川君が自分の出来を大変心配しております。どうでしょう? と訊くんです。百点だね、って答えたな」。11年後『用心棒』(4月19日NHK・BS2放映)で宮川と黒澤は再会することになる。
黒澤の終生のサポーターとなるスクリプター(進行記録者)野上照代が黒澤に出会ったのも『羅生門』においてであった。『母べえ』(2008年、山田洋次監督)の原作者である野上についてはこれから何度も触れることになるだろう。
音楽の早坂文雄はクラシックの作曲家だが映画音楽も多い。黒澤作品では『七人の侍』のテーマが有名だが、『羅生門』冒頭の杣売り(志村喬)が林に入るときの不気味な響きや真砂(京マチ子)の証言場面に鳴るボレロなどが印象的である。サウンドトラックのCDのほかに、本名徹次指揮日本フィルハーモニー演奏のCDが99年にキングレコードから発売されている(KICC303)。『七人の侍』のテーマ、『羅生門』の全場面の音楽が、『古代の舞曲』など早坂の純古典作品とともに収録されている。日本の代表的な映画音楽が簡単に聴けないのは不幸なことである。あえて記しておく。
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