2008.04.28 黒澤明全作品30作の放映(3)
『用心棒』
 ―黒澤明が自賛した娯楽時代劇―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《宮川一夫のパンフォーカス》
 『羅生門』で初めて組んだカメラマン宮川一夫を『用心棒』で黒澤は再び起用した。
宮川一夫(1908〜1999)は、93年のインタビューで「『羅生門』から11年ぶりに私は『用心棒』で黒澤さんとまた御一緒に仕事をさせてもらうことになりました。私は常に映画監督とキャメラマンは夫婦の関係だと思っていますから、この場合、昔の旦那のもとへ戻って来たようなものでした」と語っている。
宮川とのコンビはこの二作だけである。宮川一夫は1926年に日活京都に入ったが、初期の作品では『無法松の一生』(稲垣浩・1943年)がよく知られている。戦後では溝口健二の『雨月物語』、『山椒大夫』、『近松物語』、市川崑『炎上』、『おとうと』などが私の印象に強く残っている。
個人的な好みをいえば、『雨月物語』における朽木屋敷の描写、『山椒太夫』のラストシーンなどは20世紀映像美の極致だと私は思っている。溝口作品では総じて柔らかな画面をつくったが、黒澤との2本ではコントラストの強い画面を作り上げた。
宮川自身は、居酒屋の窓から向かいの絹問屋まで長焦点でピントを合わせるパンフォーカスの難しさ、空っ風の吹く街道の撮影―風が強すぎると向こうが見えず弱いと迫力が出ない―の苦心を語っている。
山田洋次は渡辺浩による宮川の評伝『宮川一夫の世界 映像を彫る』(1984年)の表紙オビに「宮川一夫は、日本の映画人の誇りであり、憧れである。日本映画界の宝、という言葉はこの人のためにあるようなものだ。宮川芸術を克明に書き出したこの本を読みながら、私たち映画人は興奮せずにいられない。」と書いている。映画人にとって宮川というカメラマンはこのような伝説的な存在であったし現在もあり続けているのである。
《「殺陣の技術革新」と仲代達矢の登場》
 それまで日本映画の殺陣(たて)は舞踊のような様式化によって成り立っていた。『用心棒』の殺陣はそういうチャンバラの概念を塗り替えた。息を詰めて一気に斬りまくる三船敏郎の驚くべきスピードは、長焦点の望遠レンズ撮影で強調された。人が斬られるときの擬音も工夫された。本作品と次作『椿三十郎』の二本で見せた黒澤による「殺陣の技術革新」は、黒澤の意図がどうであれ、その後の日本映画の非情、残酷な場面の流行へと相続されたのである。
音楽は佐藤勝である。『生きものの記録』(1955年)撮影中に早坂文雄は亡くなり黒澤に大きなショックを与えた。佐藤が師早坂から仕事を引き継いだ。黒澤の第15作に当たる『用心棒』を含めてこのあと8本連続して音楽を担当することになる。この作品でもタイトルバックの冒頭から快活なメロディをラテン系のリズムで演奏している。作品の面白さによくマッチした音楽である。

 マニアックなフアンは仲代達矢が『七人の侍』(1954年)の通行人で出たのを知っているから、『用心棒』は二本目の黒澤作品というかも知れない。仲代は、『用心棒』で黒澤明と真の出会いをしたといっている。五味川純平原作の大作『人間の条件』(全6部、小林正樹・1959年〜61年)で人気が出てきた仲代を、小林は「黒澤作品で全くで異なるキャラクターを演れるのは非情にいい事だ」といって第4作を終えて黒澤作品へ送った。
そのとき、黒澤は「三船君の三十郎と仲代君の卯之助のイメージは野良犬とヘビだな。仇役が始めっから主役に位負けしてる映画があるけれども、それでは面白くならない。対抗する者は対等の・・いやむしろ主役をしのぐかと思わせる迫力がいるんだよ」といったと仲代は回想している。
黒澤と意図と仲代の意気込みにも拘わらず、私の印象をいえば仲代の演技は「主役をしのぐかと思わせる迫力」を出していないと思う。三船の存在感の方が圧倒的に大きいと思う。しかし仲代達矢は『椿三十郎』(1962年)、『天国と地獄』(63年)によって成長し、三船が『赤ひげ』(65年)を最後に黒澤と別れたあと『影武者』(80年)、『乱』(85年)の主役となって黒澤晩年の代表作を飾ることになるのである。

《映画の面白さを十二分に出した作品》
 ここまで書いてきて私はこの作品の筋さえ紹介していないことに気がついた。黒澤作品は当然みんなが観ているものと勝手に決めているのである。
二派のヤクザが縄張り争いをしている上州の宿場町へ現れた浪人は桑畑三十郎と名乗る。三船敏郎が扮する腕の立つこの浪人は抗争を煽り立て彼らを自滅させる。死屍累々をあとにして三十郎は飄々と消えていく。宿場町には平和が戻るであろう。強いだけでなく頭がよくどこかヒューマンな浪人を演じる三船敏郎が恰好いい。
黒澤自身は『用心棒』について次のように書いている。

 僕はかねてから映画の面白さを十二分に出した作品をこしらえてみたい、という夢を持っていた。その夢を実現させたのがこれだ。そして作ろうと思えば作れるものだ。それなのにどうして日本では誰もやらなかったのかと不思議な気がした。これは二組に分かれていがみ合う不愉快なヤクザを双方鉢合わせさせる男の話だが、(略)筋は至って単純だ。ところがこれがヒットした理由として、他の会社では殺陣の魅力だと言っている。これは僕に言わせればとんでもない話で、この作品の魅力は、あの用心棒になった男の性格と、その性格から発する一種面白い行動にある。チャンバラにしたって斬る必然性が出たから斬ったので、ムヤミに刀を振り回したわけではない。

 見よ。黒澤は自信満々である。
黒澤作品のうちで『用心棒』が一番面白いという人は多い。たとえば作家の塩野七生も同じで、その面白さを細かく分析して「黒澤先生」へ熱いエールを送っている。興行成績も良かった。さらにこの映画はイタリア映画の『荒野の用心棒』(1964年)や、米画『ラストマン・スタンディング』(1996年)といった模造品を生んだ。

《後退する思想性とヒューマニズム》
 良いことばかりが起きたのではない。
『用心棒』における娯楽性の追求は見事に実を結んだ。しかし見事であっただけ、それまでの黒澤作品がもつ思想性は後景に退いたのであった。
大衆芸術ではいつも芸術性と大衆性のバランスが問題になる。「芸術性」を「思想性」と言いかえてもよい。バランスがよくかつ完成度の高い作品が高い評価に価するのは勿論だ。

 昭和20年代の作品群―その頂点に立つのが『七人の侍』である―には理想主義、ヒューマニズムへの憧憬があった。むろんその理想は作品によって実現の姿は異なる。理想が惨めに敗北したり挫折することもあった。しかしなお、その敗北や挫折は観客の心底に深く残るものであった。
昭和20年代、すなわち黒澤の「ヒューマニズムの時代」に続いて「娯楽作品への転向の時代」が昭和30年代にやってきたのである。

 30作のうちまだ2本が放映されたばかりだから、私の見立ては説得力に欠けるであろう。しかし、5月に放映される初期の作品をご覧になれば、読者は私の「独断と偏見」にも一理があると納得していただけるだろう。実は私は密かにそう考えているのである。
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