2015.08.03  『チベット仏教王伝』 とドキュメント映像 『チベット天空の英雄 ケサル大王』 について
――八ヶ岳山麓から(154)――

阿部治平(もと高校教師)


チベット文化の紹介が相次いでいます。
私は先にチベット現代文学の『ハバ犬を育てる話』とドキュメンタリー映画『ルンタ』を紹介しましたが、今回は翻訳書『チベット仏教王伝』(岩波文庫2015年4月)とドキュメンタリー映画『チベット天空の英雄 ケサル大王』(監督大谷寿一、ootani11@gmail.com、 2015年)について触れたいと思います。
モンゴル人がチンギス・ハーンに始まるモンゴル帝国の歴史を忘れないように、またウイグル人が8世紀半ばから100年つづいたウイグル王国を忘れないように、チベット人もまた古代チベット王国の栄光をしっかり記憶しています。
モンゴルの『元朝秘史』や『集史』のように、チベットでも歴史書がいくつも書かれました。そのなかで最も広く読み継がれてきたのは、チベット仏教サキャ派の僧侶ソナム・ギュルツェンによって14世紀に記された歴史物語『王統明鏡史』です。

このほど翻訳出版された『チベット仏教王伝』は、その『王統明鏡史』の序章から17章まで――すなわち天孫降臨の昔から7世紀初めのチベット高原統一の英傑ソンツェン・ガンポの逝去まで――を訳出したものです。チベット語からの翻訳は星泉・三浦順子・大川謙作・海老原志穂など現代チベット文学研究会によります。
内容が仏教に彩られているためか、私にはわかりにくい部分がありましたが、本書の用語集と解説に助けられました。チベット史になじみのない読者は星泉による解説からお読みになるとよいと思います。

『チベット天空の英雄 ケサル大王』は、「ケサル」が題名になってはいますが、、チベット人地域でよく知られた英雄叙事詩ケサル物語そのものではありません。
チベット人地域に広く伝わる『ケサル』はいわば長編物語、一大口承文学です。
『チベット天空の英雄 ケサル大王』は、この長大なケサルの物語上の足跡を丹念にたどって、チベット人地域の自然と人々の生活、文化を撮ったものです。
ここには、中国が資本主義の道を歩み出してから発展した町や、レアメタルや金の採鉱による草原の破壊や、牧畜の禁止と牧民の強制移住などチベット人地域の変化が描かれています。今も生きるアムネマチェンなどの山神信仰や、それと交錯したケサル信仰や、現代の競馬や伝統舞踊や仮面劇などのシーンはとくに美しいものです。

物語の主人公ケサルは超人あるいは菩薩の性格を持ち、仏教を広めた英雄として登場します。少年時代には叔父の1人に迫害され辛苦の日々を送り、成長するに及んでその超能力をもってチベット高原を縦横無尽に活躍し、やがて国王になり仏敵の悪魔や王族と戦いこれを倒すという英雄伝です。
フランスのチベット学権威R.A.スタンはこれを「真に民衆的な唯一の文学作品」といいますが、とにかく長いものです。写本のページはチベット文書の短冊で1万を越えるといいます。
チベット人には架空の人物ケサルの信仰があり、チベット高原のほうぼうにその逸話が残っています。言伝えですからケサルの王国は確定できませんが、生れはリン国ということになっています。リン国は現在の四川省甘孜蔵族自治州すなわちカム東部らしい。ケサルの活躍する初期の舞台は東チベットのアムド地方やカム北部が中心になるようです。日本の神話と神社の関係に似ているかもしれません。
またソンツェン・ガンポも信仰対象になっています。中国青海省東部の互助土族県にはソンツェン・ガンポ神社とでもいうべき廟があります。私は牧畜地帯に行ったとき、「いいかね、ケサルとソンツェン・ガンポは同じ人だよ」といわれたこともあります。チベットの歴史にうとい農牧民の間ではソンツェン・ガンポとケサルはごちゃごちゃになっていて、ひとによっては同一人物だと思っているのです。

そこでちょっとヤルルン王家のソンツェン・ガンポ王について触れます。チベットの歴史書は仏教に彩られていますから彼も観音菩薩の化身にされています。しかし実在の人物(生年不確定、649没)です。
彼による統一政権すなわちチベット王国(漢語では「吐蕃」)の樹立は、聖徳太子の「17条憲法」や唐の建国に遅れることほぼ10年、620年代のことです。ソンツェン・ガンポは官位12階制度を設けてチベット高原各地の王族を支配下におき、中央集権国家を完成し、文字を定め、軍制を整えて周辺民族を征服しました。
ソンツェン・ガンポの王国は強大になると、唐帝国を威嚇して皇女の嫁入りを求め、唐はこれに屈して文成公主を送りました。唐朝はこの70年後にもティデ・ツクツェン王に金城公主を送っています。
付加えると、チベット高原が仏教に彩られるのはソンツェン・ガンポの時代ではありません。下ることおよそ140年、761年第6代の王ティソン・デツェンの時です。彼はインドのナーランダ大僧院のシャーンタラクシタ(寂護)を招き、臣下のものに崇仏誓約の詔勅に署名させ、仏教を正式に国教としました。またサンスクリット経典の全訳という大事業を始め、820年代奈良時代半ばには完成しました。日本ではいまだに仏経典を漢語音読していますが、チベット人はチベット語訳によって母語で経典を読み、それを理解し、研究することができます。
実在のソンツェン・ガンポと混同された「ケサル」の物語は、チベット人地域だけでなく、内外モンゴル・ロシアのブリヤート・カルムィクなどのモンゴル人地域、ラダクやザンスカール、さらにはブータンやシッキムなどヒマラヤ山麓南面のチベット仏教圏の諸民族にさまざまに形を変えて伝承されています。モンゴル人の口承文学専門家によりますと、モンゴルでは「ゲセル」といい、異本がたくさんありますが、その幾つかはチベットとほとんど同じです。このモンゴル『ゲセル』には若松寛訳『ゲセル・ハーン物語―モンゴル英雄叙事詩』(東洋文庫)があります。

チベット研究はなにかと政治問題が絡むやりにくいテーマです。
従来は文献研究や、チベット本土以外のチベット文化圏の研究に限られました。1970年代末の中国における政変後、幾多の制限はあれ、外国人がチベットに入れるようになって、フィールドワークにもとづいた研究成果とリアルな旅行記、精密な案内書が発表されました。
すぐれた研究書に加えて、いまチベット現代文学・古典文学の翻訳作品やドキュメンタリー映画が出版されるようになりました。チベット研究は新たな段階に入ったといえるのかもしれません。
チベット人の現状にむやみに同情し、もの珍しげにチベット仏教やチベット人の民俗を紹介する時代は過去のものになったと思わなくてはなりません。

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