2008.05.02
よもや「黄禍論」の再来?
管見中国(8)
あれよあれよという間の一ヶ月半であった。3月14日にチベットのラサで「騒乱」が起こって以来、おりから北京五輪の聖火リレーが世界を回る間、どこでも雪山獅子旗を掲げて「フリー・チベット!」を叫ぶ人たちと五星紅旗を打ち振って「中国がんばれ!(中国加油)」と応酬する人たちの姿があり、そしておびただしい数の警備陣に囲まれて「聖火」が形ばかりのリレーでそそくさと次の場所へ運ばれていく茶番がくり返された。奇観であった。
そして「強権で押さえつける中国政府と人権を蹂躙されながら独立を叫ぶ哀れなチベット」という構図が世界的に定着し、その定着の度合いに比例して中国国民のナショナリズムもまた燃え上がった。世界中におびただしい数のチベット支援者が出現する一方、これまで自国の中央テレビ(CCTV)を馬鹿にして「CCTVのような人間になるな」(嘘ばかりつくな)を口ぐせにしていた中国の青年たちが、今度は「CNNのような人間になるな」と矛先を換えた。フランス資本のスーパー「カルフール」は中国各地で不買運動に見舞われた。
しかし、3月のチベットで実際になにが起こったのかは一向にわからないままである。われわれが見たのは、14日のラサの町で漢人の商店とおぼしき建物を何人かで打ち壊している場面や車をひっくり返して火をつけたりするシーンだけであった。中国政府はそれを「ダライ・ラマ集団が計画的に起した暴力事件である」といい続けているのに対して、「ダライ・ラマ集団」側は「われわれとは無関係」と反論し、ダライ・ラマ本人はたびたびの記者会見で暴力に反対し、「北京オリンピックを支持する」とまで言っている。
田畑光永 (ジャーナリスト)
あれよあれよという間の一ヶ月半であった。3月14日にチベットのラサで「騒乱」が起こって以来、おりから北京五輪の聖火リレーが世界を回る間、どこでも雪山獅子旗を掲げて「フリー・チベット!」を叫ぶ人たちと五星紅旗を打ち振って「中国がんばれ!(中国加油)」と応酬する人たちの姿があり、そしておびただしい数の警備陣に囲まれて「聖火」が形ばかりのリレーでそそくさと次の場所へ運ばれていく茶番がくり返された。奇観であった。
そして「強権で押さえつける中国政府と人権を蹂躙されながら独立を叫ぶ哀れなチベット」という構図が世界的に定着し、その定着の度合いに比例して中国国民のナショナリズムもまた燃え上がった。世界中におびただしい数のチベット支援者が出現する一方、これまで自国の中央テレビ(CCTV)を馬鹿にして「CCTVのような人間になるな」(嘘ばかりつくな)を口ぐせにしていた中国の青年たちが、今度は「CNNのような人間になるな」と矛先を換えた。フランス資本のスーパー「カルフール」は中国各地で不買運動に見舞われた。
しかし、3月のチベットで実際になにが起こったのかは一向にわからないままである。われわれが見たのは、14日のラサの町で漢人の商店とおぼしき建物を何人かで打ち壊している場面や車をひっくり返して火をつけたりするシーンだけであった。中国政府はそれを「ダライ・ラマ集団が計画的に起した暴力事件である」といい続けているのに対して、「ダライ・ラマ集団」側は「われわれとは無関係」と反論し、ダライ・ラマ本人はたびたびの記者会見で暴力に反対し、「北京オリンピックを支持する」とまで言っている。
14日に先立つ、59年の反乱記念日に当たる3月10日からラサではチベット仏教の僧侶たちによるデモなどの行動が続いていたと言われ、またラサ以外の各地でも死者の出る事件があったと伝えられたが、それらの詳細は分からない。肝心の死者の数にしてからが、双方の言分は大きく食い違ったままだ。
14日の数日後、北京駐在の外国報道陣の代表が「特に許されて」ラサに入ったが、その報道に僧侶たちが「寺院に軟禁されている」とテレビカメラに訴える場面があり、政府と僧侶たちとの緊張関係をうかがわせたが、それ以上のことは今もって分からない。
そこで問題は、現地の事情が明らかでないにもかかわらず、前述のような「哀れなチベット」の構図があっという間に世界に定着したことだ。19年前、59年の反乱30周年にあたる1989年のほうが、事態は深刻だったはずだ。この時は自治区の党第一書記・胡錦濤の指揮の下、チベットに戒厳令が布かれたのであった。この時の強硬な鎮圧振りが今日の胡錦濤の出世の理由の一つとされているほどだ。もっともこの年は北京でも大規模な民主化運動が起こり、それはあの「六・四天安門事件」の銃声で結末をつけるほどだったから、その陰にかくれたという事情があったにせよ、チベットに対する関心はそれほど高まらなかった。
1989年と2008年とのきわだった違いは何か。世界における中国の存在感の増大ということに尽きるだろう。5年続きの二桁経済成長、それにともなう中国製品の氾濫、世界各地での資源買いあさり、それによる資源の高騰等々、これらは世界的に庶民の暮らしにまで影響を及ぼしている。それが中国に対するもやもやとした反感を生みだしたのだろう。チベットに対する同情がにわかに高まった原因はそこにあると思われる。
それがまた中国国民をいたく刺激したことは想像に難くない。おそらく今年のオリンピックは中国人がほとんど初めて国民的に誇らしい感情を共有できるイベントであったはずだ。1964年の東京オリンピックが日本人にとってそうであったように。本来なら「北京へ、北京へと草木もなびく」ムードを盛り上げるべき聖火リレーが、チベットごときで目茶苦茶にされたという思いを中国人は上から下まで噛みしめているに違いない。
この作用反作用は百害あって一利もない。確かに中国の急速な経済成長は世界的に各種の摩擦を生んでいるが、それはなにも現在の中国に限ったことではない。先進国といわれる国々の台頭がその過程で世界に何をもたらしたかは誰でも知っていることだ。昔のように植民地支配だの、戦争だのということにならないだけのメカニズムが現在の世界にはあるはずだからといって、それを過信しての反感の応酬はやはり危険である。
「カルフール」が不買運動に晒されたおりもおり、パリ市はダライ・ラマを名誉市民にした。今、彼を名誉市民にする必然性はどこにあるのか。あてつけとしか考えられない。
今回の一連の動きの中で唯一の救いは、世界の世論に押されてであろうが、中国政府がダライ・ラマとの対話再開に踏み切ったことだ。先述のチベット騒乱を胡錦濤が鎮圧した1989年、ダライ・ラマはノーベル平和賞を受けた。胡錦濤にとってダライ・ラマはなんとも腹立たしい存在であろう。にもかかわらず対話に踏み切ったわけだから、それはそれとして国際社会は評価すべきである。
「フリー・チベット」というスローガンは美しいが、本ブログで阿部治平氏も書いているように、チベットの独立は現状では考えられない。昔のようにヤク(牛)を追い、裸麦を主食とする生活で自足するというのならいざ知らず、平均海抜4000メートル超の高地で、それに見合った生活の充実を求めるなら、中国政府との協調なしにというわけにはいかない。ダライ・ラマがあえて独立を求めず、「高度の自治」を要求しているのは理性的な態度である。
再開される交渉がどういう経過をたどるか、予測は困難だが、少なくとも相当に難しい交渉になるだろう。そこで中国政府には思い切った寛容を求めたい。今度のことで世界が中国に対して甘くないことは十分に思い知ったはずである。「平和的台頭」を言うならば、チベットへの漢民族の移住制限、宗教への不干渉など、国内でも少数民族への最大限の譲歩をしてこそ、その言を信じさせることが出来る。
さらに言えば、オリンピックを控えて人権擁護の立場に立つ活動家や弁護士の検束が続いていると伝えられる。世界中の人が集るのを機に国の恥を晒すようなまねをさせたくないという気持ちは理解できないでもないが、だからといって口封じを強めることは逆効果である。どこの国にも光と影はある。そして影は隠しとおせるものではない。活動家や人権弁護士にオリンピックと同時に、思い切り、共産党と胡錦濤主席を非難させることが、中国という国の声価を高めることになるのだという簡単な理屈をそろそろ弁える時期ではないか。
さもないと、今回、期せずして明らかになった世界の中国を見るきびしい目が、新たな「黄禍論」にまとまっていくのではないかと憂える。
14日の数日後、北京駐在の外国報道陣の代表が「特に許されて」ラサに入ったが、その報道に僧侶たちが「寺院に軟禁されている」とテレビカメラに訴える場面があり、政府と僧侶たちとの緊張関係をうかがわせたが、それ以上のことは今もって分からない。
そこで問題は、現地の事情が明らかでないにもかかわらず、前述のような「哀れなチベット」の構図があっという間に世界に定着したことだ。19年前、59年の反乱30周年にあたる1989年のほうが、事態は深刻だったはずだ。この時は自治区の党第一書記・胡錦濤の指揮の下、チベットに戒厳令が布かれたのであった。この時の強硬な鎮圧振りが今日の胡錦濤の出世の理由の一つとされているほどだ。もっともこの年は北京でも大規模な民主化運動が起こり、それはあの「六・四天安門事件」の銃声で結末をつけるほどだったから、その陰にかくれたという事情があったにせよ、チベットに対する関心はそれほど高まらなかった。
1989年と2008年とのきわだった違いは何か。世界における中国の存在感の増大ということに尽きるだろう。5年続きの二桁経済成長、それにともなう中国製品の氾濫、世界各地での資源買いあさり、それによる資源の高騰等々、これらは世界的に庶民の暮らしにまで影響を及ぼしている。それが中国に対するもやもやとした反感を生みだしたのだろう。チベットに対する同情がにわかに高まった原因はそこにあると思われる。
それがまた中国国民をいたく刺激したことは想像に難くない。おそらく今年のオリンピックは中国人がほとんど初めて国民的に誇らしい感情を共有できるイベントであったはずだ。1964年の東京オリンピックが日本人にとってそうであったように。本来なら「北京へ、北京へと草木もなびく」ムードを盛り上げるべき聖火リレーが、チベットごときで目茶苦茶にされたという思いを中国人は上から下まで噛みしめているに違いない。
この作用反作用は百害あって一利もない。確かに中国の急速な経済成長は世界的に各種の摩擦を生んでいるが、それはなにも現在の中国に限ったことではない。先進国といわれる国々の台頭がその過程で世界に何をもたらしたかは誰でも知っていることだ。昔のように植民地支配だの、戦争だのということにならないだけのメカニズムが現在の世界にはあるはずだからといって、それを過信しての反感の応酬はやはり危険である。
「カルフール」が不買運動に晒されたおりもおり、パリ市はダライ・ラマを名誉市民にした。今、彼を名誉市民にする必然性はどこにあるのか。あてつけとしか考えられない。
今回の一連の動きの中で唯一の救いは、世界の世論に押されてであろうが、中国政府がダライ・ラマとの対話再開に踏み切ったことだ。先述のチベット騒乱を胡錦濤が鎮圧した1989年、ダライ・ラマはノーベル平和賞を受けた。胡錦濤にとってダライ・ラマはなんとも腹立たしい存在であろう。にもかかわらず対話に踏み切ったわけだから、それはそれとして国際社会は評価すべきである。
「フリー・チベット」というスローガンは美しいが、本ブログで阿部治平氏も書いているように、チベットの独立は現状では考えられない。昔のようにヤク(牛)を追い、裸麦を主食とする生活で自足するというのならいざ知らず、平均海抜4000メートル超の高地で、それに見合った生活の充実を求めるなら、中国政府との協調なしにというわけにはいかない。ダライ・ラマがあえて独立を求めず、「高度の自治」を要求しているのは理性的な態度である。
再開される交渉がどういう経過をたどるか、予測は困難だが、少なくとも相当に難しい交渉になるだろう。そこで中国政府には思い切った寛容を求めたい。今度のことで世界が中国に対して甘くないことは十分に思い知ったはずである。「平和的台頭」を言うならば、チベットへの漢民族の移住制限、宗教への不干渉など、国内でも少数民族への最大限の譲歩をしてこそ、その言を信じさせることが出来る。
さらに言えば、オリンピックを控えて人権擁護の立場に立つ活動家や弁護士の検束が続いていると伝えられる。世界中の人が集るのを機に国の恥を晒すようなまねをさせたくないという気持ちは理解できないでもないが、だからといって口封じを強めることは逆効果である。どこの国にも光と影はある。そして影は隠しとおせるものではない。活動家や人権弁護士にオリンピックと同時に、思い切り、共産党と胡錦濤主席を非難させることが、中国という国の声価を高めることになるのだという簡単な理屈をそろそろ弁える時期ではないか。
さもないと、今回、期せずして明らかになった世界の中国を見るきびしい目が、新たな「黄禍論」にまとまっていくのではないかと憂える。
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私のブログでは、中国の若者に対するタイム誌の皮相的な見方を批判しました。結論としては、今後の中国の趨勢にとって最も重要なのはゼリー層であり、現在彼らは体制から身を守るために、政治的無関心を装っており、彼らの現在のミーイズムは、一過性のものであるということです。是非ご覧になってください。