2008.05.03 投機的金融システムの成立から崩壊まで
―書評 本山美彦著『金融権力』(岩波新書)―

半澤健市 (元金融機関勤務)



《アカデミズムは現実に切り込めるか》
 本書は経済学者による世界金融システムの批判的分析である。
著者本山美彦(もとやまよしひこ)は1943年生まれ。京大経済学部教授を長く勤めたのち名誉教授。現在は大阪産業大学教授。著作からみて国際金融論、現代資本主義論を専門とする人であろう。
この数ケ月、私は「サブプライム問題の射程」と題して、そのマグニチュードをメディア報道を中心に追ってきた。この数週間は、財務官僚中尾武彦とジャーナリスト堤未果の著作によって最近のアメリカ経済を学んだ。私の問題意識は詰まるところ、「金融主導の世界資本主義は、実在か虚妄か」「実在であってもそれは長期に持続可能か」というものである。今回は経済学者の著作を読んで、前二作と異なるアカデミズムの視角を獲得しようというわけである。


《三つのキーワード》
 本書を貫くキーワードは次の3点であると読んだ。

第一は、「金融権力」である。
「金融権力」とはモノ作りの世界を攪乱し圧倒する「金融資本」が、膨張し発展した姿である。軍人出身の米大統領アイゼンハウワーはかつて「軍産複合体」といった。しかし現在、世界を牛耳るのは「金融複合体」、別名「ウォール街・IMF・ワシントン複合体」、であり、彼らのイデオロギーが「ワシントン・コンセンサス」である。それは「資本の国際間移動の自由化が世界経済を繁栄させる」という信念である。著者によればその信念は経済理論では証明されていない。金融は本来実体経済の血流であり経済の「しもべ」であった。それを「金融複合体」は「金融」を「金儲け」の切り札にした。金融を自己完結的なビジネスにした。金融という手段の目的化である。このシステムの総体を著者は「金融権力」と名付けるのである。

第二は、間接金融システムから直接金融システムへの移行である。
金融の証券化と言いかえてもよい。金融権力は様々な形で自己の権力を行使する。その形の一つが「間接金融から直接金融へ」の移行である。預金者のカネを集め企業へ「融通」して、日本の高度成長を支えたのが「間接金融」である。それが「護送船団方式」と批判されて金融の「証券化」を強要された。そのために「格付け会社」と「金融工学」の新手法が総動員された。証券化はリスクの転売―無限の転売―を可能とした。リスクビジネスの市民権獲得である。証券は不特定多数の投資家に販売されるから金融取引は匿名化する。間接金融では借り手の顔がよく見え取引は継続的だったが直接金融では取引は発行時の一回限りなのである。著者は直接金融への移行を金融制度の安定を損なうものとして批判する立場に立つ。

第三は、金融権力の自己増殖が予期せざるシステムの欠陥を暴露したことである。これこそが今、世界経済を恐怖の淵に落下させたサブプライム問題である。この問題は、ABS(資産担保証券)、CDO(債務担保証券)、モノライン(金融保証会社)の組成など複雑な金融技法が、リスク回避を目的としながら意外な落とし穴(たとえば「格付け会社」機能の過信)を軽視したために起こっているのである。

《「金融の技術革新」とフリードマンのイデオロギー》
 著者は長年の研究成果によって米国における様々な新金融理論、金融技法を解説している。リスクテイクとその回避が証券化の大きな課題である。その理論と技法が記述される。詳しく述べる紙数がないが、ブラック=ショールズ・モデル、クォンツ(定量分析者)、シカゴ先物市場創設、証券化の起源「ブレイディ・プラン」、など専門用語、専門知識の解説が豊富であり有益だ。「それにしてもややこしいものだ」の感は拭えないが。

「金融権力」の成立と崩壊―正確には崩壊の危機―の原因は一つではないが、著者は金ドルのリンクと固定為替相場を基盤とする管理通貨体制(ブレトンウッズ体制)が、1971年に崩壊したことにその大きな原因を求めている。この時以降「カネ、つまりマネーこそがもっとも魅力的な投資商品になってしまった」(62頁)というのである。このパラダイムの唱道者たるミルトン・フリードマンとシカゴ学派について著者は強い批判の言葉を放っている。そのために著者は経済学者ポール・クルーグマンが書いた "Who Was Milton Friedman?", The New York Review of Books, Feb 15, 2007という文章を紹介する。市場原理主義フリードマンへの痛烈な批判の一節を、本山の文章から引用する。

 フリードマンは、たった一つのこと、反政府を訴え続けてきた。教育の民営化、医療保険の民営化、麻薬の放置、空気汚染権の売買、学校バウチャー制度の創設、医師免許制度の廃止、食料・薬物局の廃止、要するにすべてを市場の力によって解決しろ、と発言し続けた。それが時代にマッチしたのである。
フリードマンは、反ケインズ主義の潮流に乗って登場した。それはケインズによる宗教改革に反対する反宗教改革の潮流であった。しかし、いま必要なことはこの反宗教改革を覆す「反反宗教改革」である。(133〜134頁)

これを読むとフリードマンは本当にここまで主張しているかと疑いたくなる。しかし市場原理主義の核心はこれなのだろうと納得する。レーガン、サッチャー、中曽根に始まり小泉、安倍、福田にいたる「構造改革路線」の本音はここにあるのである。

《金融権力に抗するには》
 著者は本書の結論部分で金融権力への対抗策を提案する。
カール・マルクスの論敵であったプルードンの人民銀行構想、バングラディシュのグラミン銀行、日本のNPO銀行、イスラムの金融制度、ESOP(米国の従業員持株制度の一種)、が紹介されあるものは実行が慫慂される。これらの「理想主義的」な施策提案に、私は違和感を覚えた。私の金融実務40年の経験からみて、ここまで話を飛躍させる前にやることは沢山ある。制度、規制、罰則、教育、啓蒙、思考、を変えることで日本の金融システムには改善できる点が多いと思っている。勿論、それは「金融権力」との厳しい対決を伴うものであろうが。

一体、著者のいう「金融権力」とは、実体経済に基盤をもつが時に行き過ぎてタガが外れるシステムなのか。それとも、元々存在しない「投資機会」や「収益機会」をあるものとして考える脳中の幻想―たとえばネズミ講のような―なのか。私はこんな根源的な問いを発する気分になった。とにかくタイムリーで興味深い一冊である。

■本山美彦著『金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス』、岩波新書1123、岩波書店、08年4月刊、242頁、780円+税

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