2015.10.14 いま、チンギス汗の末裔はどんな生活をしているか
――八ヶ岳山麓から(160)――

阿部治平(もと高校教師)

待ってましたという本が出た。『内モンゴルを知るための60章』(明石書店 2015)である。ボルジギン・ブレンサイン(滋賀県立大学准教授)編集・赤坂恒明(内蒙古大学専職研究員)編集協力、共同執筆者は日本人・モンゴル人など合計30人。モンゴル民族についての著書はかなりあるが、中国領「内モンゴル」を表題とした概論は日本では極めて珍しい
現在モンゴル民族は、ロシア・モンゴル国・中国と三つの国家にまたがっている。シベリアのモンゴルはおもにブリヤート種族でロシア連邦内に共和国がある。その南はハルハ種族主体の独立モンゴル国。またその南は「ゴビ砂漠」をはさんで中国内モンゴル諸種族の自治区である。
内モンゴル自治区は人口2470万、漢人が1965万で80%を占め、「蒙古族」の民族籍をもつものは422万6000人、自治区人口の17%しかない(2010年)。

すぐ気になるのは、同じモンゴル人なのにモンゴル国だけがなぜ独立し、内モンゴルとブリヤートは独立していないか。また中国はモンゴル人が内モンゴルの主体民族だというが、たった17%の人口で、どうして内モンゴルの主体民族といえるだろうかということ。
私の周りで内モンゴルへ行った人の中には、「漢人だらけでモンゴル人には一人も出会わなかった」という人がいる。またモンゴル人は遊牧民だと思っていたが、内モンゴルで遊牧なんか全然見なかったとか、民族料理というがゆでた羊肉以外みんな中華料理だったという人もいる。
さらにこれは私の経験だが、日本の大学へモンゴル国の公務員が来たとき、内モンゴルからの留学生をひどく見下す態度をとったことがあった。いったいモンゴル国の人は南のモンゴル人をどう思っているのか。逆に内モンゴルの人々は北のモンゴル国をどう見ているかという疑問もある。

本書の目次大項目は、Ⅰ 内モンゴルとは何か?、Ⅱ 現代モンゴルの諸相、Ⅲ 現代内モンゴルの生活風景、Ⅳ 内モンゴルと中国、Ⅴ 内モンゴルと近代日本、Ⅵ 中国領モンゴル人の世界、Ⅶ 内モンゴルとモンゴル国、Ⅷ 内モンゴルにおける多民族世界、Ⅸ 戦後の内モンゴルというもので、先に上げた疑問におおむね解を与えようとしたものと思う。
たとえば、日本敗戦時内モンゴルには独立運動あるいは外モンゴルとの統一国家を目指す動きがあったが、それはソ連と中国の思惑のなかで消滅させられたとわかる。
都市や観光地だけでなく、たいていのモンゴル人はうまいへたをいわなければ漢語ができるといえよう。だから外国観光客には、これがモンゴル人だと見分けることはできない。都市の小中学校ではもちろん、モンゴル人の多数地域でも漢語で教育することが多い。モンゴル語は都市では完全に死語だ。私の日本人の教え子が手紙の表書きをモンゴル語にしたところ、同じ町なのに着くのに2カ月もかかった。
いま、内モンゴル高原には遊牧生活はない。モンゴル・ゲル(家・パオ)を見ることは観光地以外少ない。「退牧還草(牧畜をやめて草原を復活させる)」など環境保護を名目とする政策によって、元来牧畜が主のフルンブイルやシリンゴルの人々でも定住家屋の周りだけで牛や羊を飼うという状況になった。いまやモンゴル人学生すら遊牧の技術や道具をめぐる単語がわからないことが多い。農耕生活をするモンゴル人の方が多いからではないか。
食事についていうと、「肉と乳」を主食にした伝統的食生活はほとんどない。華北の料理がモンゴル人の食卓に入り込み、伝統的な食生活からはかなり遠ざかったものになっている。まして観光客用のごちそうとなれば主に中華料理で、モンゴル料理はつけたしだ。
本書に、モンゴル国の人が内モンゴル人を疑いの目で見る、あるいはバカにするという、私が経験したような非常に深刻な現象への回答がある。それは韓国人が在日朝鮮・韓国人を見る目と似ている。私の定時制高校時代の在日生徒が祖父の故郷を訪れたとき「バンチョッパリ(半日本人)」といわれてショックを受けたことがある。在日韓国人は父祖の地ではなく日本生れだが、内モンゴル人は故郷に生まれ育ちながら、モンゴル国人から「ホジャー」と劣等人呼ばわりされるのである。
以上のような多数の著者による豊富な内容を私は評価したい。しかし不都合のところもかなりある。

まず記述が錯綜・分散するところ。
「Ⅱ 現代モンゴルの諸相」では、第3章「内モンゴルに遊牧民はいるのか」第4章「農民モンゴル」とあるから「農牧業問題だな」と思って読んでいると、第5章は突然「知識青年たちの内モンゴル」となって、若者の農村移住(「下放青年」)問題が出てくる。さらに第6章では「内モンゴルにおける漢族の牧畜民」となって記述は農牧業問題に帰る。終りの第9章は「現代内モンゴルにおける新活仏の認定」となって宗教問題に早変わりといった調子で、実に頭の切り替えが大変である。
チンギス・ハーンとフビライ・ハーンについては、モンゴルの英雄か中国の英雄か、モンゴルの皇帝か中国の皇帝かが別々に論じられている。別々でなく一続きの問題として論じれば、すっきりと現代中国の歴史観がわかったはずである。
さらに漢人のモンゴル草原侵入の歴史は第3章だけでなく、人物論など各所に書かれている。まとめてモンゴル遊牧の衰退傾向を論じてくれればわかりやすかったのに。内モンゴルと日本との関係史も同じ。
以前は漢人入植者による開墾そして砂漠化、今日では資源開発による草と水の荒廃である。そして、むかしもいまも変らぬものは、モンゴル人の故郷を開発して荒地化するのは漢人で開発されるのはモンゴル人、資源を収奪して利益を得るのは漢人企業でわりを食うのはモンゴルという事実である。したがって資源開発とそれにともなう自然破壊はただちに民族問題になってしまう。

次いで本書にはこれを落したのはまずいという問題がある。
なぜかモンゴルの乳加工体系と乳製品の項目がない。モンゴルの乳利用の豊富さはヨーロッパのそれに匹敵するものであり、これを無視してはモンゴル文化は語れない。「世界の遊牧民のなかでモンゴルほど多様な乳製品をつくる民族はあるまい。ざっと30種余りの乳製品の名前が知られている。その中には、モンゴル独特のユニークな乳製品である、加熱脱脂して作る一種のクリーム製品ウルムや、乳で作る酒なども含まれる(『乳利用の民族誌』雪印乳業健康生活研究所 1992 小長谷有紀論文)」
さらに1958年からのいわゆる「チベット叛乱」の鎮圧に動員されて青海に入ったのは内モンゴルからのモンゴル騎兵隊だがこれがない。詳細は楊海英『チベットに舞う日本刀』(文藝春秋、2014)で得られるが、これとは別な観点から書くべきだった。
叛乱鎮圧のとき、モンゴル人騎兵隊は比較的優秀な武器をもって、逃亡するチベット人集団に襲いかかった。チベット人だけではなく青海のモンゴル人もたくさん殺した。私の学生の古里では成人の男がほとんどいなくなったところもある。叛乱で祖父を失ったチベット人のある若者は、「あの事件のことを父に聞くとすぐ泣いてしまうので、詳しいことはわかりません」といった。
「60章」とうたうからには、こうした事項を書きこぼしてはならなかったのではないか。

詳しく書いてはあるが十分に事実が伝わらないところ。
いくつかあるがひとつだけあげる。文化大革命時の1960年代の後半、内モンゴルの独立を企んだとされる「新内モンゴル人民革命党事件」である。この捏造事件では、公式には34万6000人が逮捕・拷問され、1万6222人が殺され、30万人が障碍を負ったという。今でもモンゴル人の人口は422万だから、これではジェノサイドといわれても仕方がない。
記述は事件をめぐる歴史や背景には詳しいが、大量逮捕の状況とか、人を死に至らしめるほどのすさまじい拷問・虐待については具体的事実が足りず、日本人の読者には事件の全貌がわかりにくい(拙論「八ヶ岳山麓から11参照」)。

読み終わって、内モンゴルは漢化の大洪水のなか溺死寸前、漢人の移住という人海戦術に敗北したという印象を受けた。
「今日、モンゴル人は民族問題において皆慎重になっている。それは紛れもなく(新内人党事件という)この『冤罪』から得た『血の教訓』である(p387)」という文言があるが、実に至言というべきである。
人は自分の故郷が他民族の植民地になったとしても生きなければならない。生きるためには「自由か、さもなくば死」などといってはいられない。
モンゴル人だけではない。チベット人もまた民族問題については臆病である。そこには、まぎれもなくモンゴル人騎兵隊による虐殺から得た「血の教訓」がある。新疆のチュルク系民族は1949年の革命以来の大量の漢人移民と資源収奪の大波のなか、いま「血の教訓」を学ばされているところである。

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