2015.10.24 アルカイダからイスラム国へ
イスラム断章(5)

伊藤力司 (ジャーナリスト)

ブッシュ米政権は、アルカイダが2001年の「9・11」米中枢同時多発テロを実行したと認定して、アフガニスタンのタリバン政権にウサマ・ビンラディンらアルカイダ指導部の引き渡しを要求したが、タリバンは応じなかった。「9・11」の2日前、ビンラディンが送り込んだとされるジャーナリストを装ったチュニジア人二人組が、自爆テロで「北部同盟」の指導者マスード元国防相を暗殺する事件が起きた。

米国は同時多発テロから約1か月後の10月7日、カブール、カンダハル、ジャララバードなどアフガニスタンの主要都市を中心に猛烈な空爆を開始、地上ではCIA指揮下の特殊部隊が、マスード司令官の遺影を掲げた北部同盟の部隊と共同作戦を展開した。米空軍の圧倒的な空軍力と遺恨を晴らそうと決意した北部同盟軍に直面したタリバン政権は、主要都市の支配権を続々と放棄して逃走した。タリバンの過酷な統治に反発する地元民の蜂起を促すCIAの隠密作戦も効果的だったという。

タリバン政権が敗走する中でアルカイダも壊滅状態に陥った。2001年11月中旬には、敗走したアルカイダ・タリバン連合部隊約1000人がアフガニスタン東部のトラボラ洞窟に立てこもった。米軍はトラボラに集中的な空爆を行い、地上では北部同盟の部隊が洞窟をしらみ潰しで掃討した。12月中旬までに全ての洞窟を制圧し、200人のアルカイダないしタリバン兵士の死体が残されていたという。しかしタリバンのNo1ウサマ・ビンラディンとNo2のアイマン・ザワヒリは姿を消していた。

それから10年後の2011年5月2日、ビンラディンはパキスタン東部のアボタバード市の隠れ家で米海軍の特殊部隊SEALSの襲撃を受けて殺された。この10年間、ビンラディンもザワヒリも公の場に姿を見せたことはない。ビデオに収録された動画や録音されたメッセージで発言が伝えられたけだった。こうしてアルカイダ指導部は行動の自由を奪われ、インターネットを通じた心理作戦や宣伝戦を続けるだけだったが、それでもアルカイダに共鳴する人々と組織は生き残り、新たなジハード(聖戦)に活路を開いた。

この間イスラム世界各地では、アルカイダへの支持や忠誠を誓う集団が自発的に出現していた。長年にわたってイスラム世界を圧迫し、支配してきたアメリカに一泡吹かせたアルカイダやタリバンに対する共感が、イスラム青年たちの間に広がっていたからだ。こうして分権的で非集権的なネットワークが形成されていった。「イラクのアルカイダ」「アラビア半島のアルカイダ」「マグレブのアルカイダ」などの系列組織が出現、さらにソマリアの「アッシャバーブ」ナイジェリア北部の「ボコ・ハラム」といった、アルカイダと密接な関係を結ぶ組織が次々に誕生した。

アフガニスタンにおける米国の「対テロ戦争」で窒息したアルカイダが復活した具体的な要因はイラク戦争である。米ブッシュ政権は、イラクのサダム・フセイン政権が核兵器など大量破壊兵器をひそかに製造しているとして、フセイン政権打倒のため2003年3月20日イラクに大軍を侵攻させた。侵攻のもう一つの口実として、イラクがアルカイダなどイスラム過激派を支援しているとの宣伝もなされた。クウェートから侵攻した米陸上部隊は、3週間足らずで首都バグダードを陥落させてフセイン政権は崩壊。米軍は同年12月にフセイン大統領を隠れ家で拘束、2006年12月30日に処刑した。

フセイン政権はバース党(アラブ社会主義復興党)という世俗的・左翼政党による独裁政権で、イスラム主義のアルカイダとは本来的に水と油の関係だった。また米占領軍の指揮の下、核兵器製造の痕跡がないかイラク中を探したが見つからなかった。結局大量破壊兵器は口実に過ぎず、イラク侵攻の真の狙いは1.世界有数の石油埋蔵量を誇るイラクを親米国家にしたい2.アメリカの同盟国イスラエルに対しアラブ諸国中最も危険なフセイン政権を打倒すべきだ-といったブッシュ政権下のアメリカの戦略だったことが判明した。

フセイン政権の崩壊とその後の混乱により、イラクにはイスラム過激派の新たな拠点と活動の場所が開かれ、タリバン政権崩壊後アフガニスタンを追われたジハード戦士たちが続々集まってきた。2004年以降バグダードなどで頻発した反米武装蜂起で台頭したのが、ヨルダン人のザルカウィを首領とした「イラクのアルカイダ」だ。この組織こそ組織改編や合併、改称を繰り返して現在の「イスラム国」になった母体である。

2006年10月には「イラクのアルカイダ」が主導して、初めて「イラク・イスラム国」を名乗る集団が成立した。フセイン政権下のイラクでは少数派のイスラム教スンニー派が国政を牛耳っていたが、米軍占領下ではマリキ首相はじめ多数派のシーア派が登用された。こうした事情から、スンニー派が多数を占めるイラク西部のアンバル県、ディヤラ県、キルクーク県、ニナワ県では、フセイン政権時代の軍人などが「イラクのアルカイダ」に合流して反米武装闘争が活発化した。「イラクのアルカイダ」の首領だったザルカウィは2006年6月米軍の空爆で死亡、後継者のバグダディが「イラク・イスラム国」の首領となった。

この「イラク・イスラム国」こそ、2011年3月に始まったシリア内乱をきっかけにシリア北部に活動範囲に活動範囲を広げて「イスラム国」を名乗るに至った集団である。彼らは2014年6月10日イラク第2の都市モスルを制圧し、「イラクとシャームのイスラム国」の樹立を宣言し、世界を驚かせた。アラビア語の「シャーム」とはアラブ世界の歴史的な地理概念で、東地中海沿岸から内陸部にかけて、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナを含む広い範囲を指す。これを英語に翻訳すると「Islamic State in Iraq and al-Sham」(ISIS)または「シャーム」と地域的にダブるLevantをShamに代行して「Islamic State in Iraq and Levant」(ISIL)となる。その後単に「イスラム国」(Islamic State)を名乗るようになったのは、全世界に「イスラム国」を広げるという野望を象徴しているのだろう。

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