2008.05.07 黒澤明全作品30作の放映(6)
―回帰すべき第一作『姿三四郎』が登場したころ―

半澤健市 (元金融機関勤務)


《『姿三四郎』とガダルカナル「転進」》
 『姿三四郎』は1943年3月25日に公開された。その時代はどういう時代であったか。「大東亜戦争」の戦局における同年前半の重要項目を挙げれば次の通りである。

 2月 1日 日本軍はニューギニア島ブナ、ソロモン群島ガダルカナル島より撤退開始
 2月 9日 大本営はその撤退を「転進」と発表
 4月18日 連合艦隊司令長官山本五十六戦死(5月21日発表、6月5日国葬)
 5月29日 アッツ島の日本軍守備隊全滅、「玉砕(ぎょくさい)」の始まり

太平洋戦争は前年6月のミッドウェー敗戦で彼我の戦力は逆転した。しかし人々は隠蔽された真実を知らずに、『ハワイ・マレー沖海戦』の戦勝場面に酔っていたのである。開戦1周年を記念して42年12月に公開されたこの作品は、黒澤明の師匠である山本嘉次郎監督の戦意昂揚映画の「傑作」であった。

《1943年邦画の戦時色》
 1943年に公開された邦画で注目すべきものは次の諸作である。()内は監督と公開月。
『阿片戦争』(マキノ正博、1月)、  『姿三四郎』(黒澤明、3月)
『望楼の決死隊』(今井正、4月)、  『花咲く港』(木下恵介、7月)
『決戦の大空へ』(渡辺邦男、9月)、 『熱風』(山本薩夫、10月)
『無法松の一生』(伊丹万作、10月)、 『海軍』(田坂具隆、12月)

これらの作品には濃淡はあれ戦時色が滲み出ていた。マキノ正博は阿片戦争を日本人俳優だけで、今井正は「鮮満国境」の警察官の活躍を、山本薩夫は八幡製鉄の増産態勢を、田坂具隆は特殊潜行艇の真珠湾攻撃を、それぞれ描いた。渡辺邦男の名前は忘れられても主題歌「若鷲の歌」(予科練の歌)は生き延びるであろう。木下恵介のデビュー作『花咲く港』は一儲けを企むペテン師が日米開戦によって愛国心に目覚める話である。伊丹万作だけが軍人の未亡人に恋する車夫の哀切を描いて戦時色から遠かったのである。

《映像による教養小説》
 そういう環境下で『姿三四郎』はどう位置付けられるのか。
原作は富田常雄が38歳で書き下ろした柔道小説である。青年柔道家が二人の女性に慕われる三角関係の部分を削って、黒澤は三四郎(藤田進)の人格形成への道に焦点を絞った。帝大出の柔道家矢野正五郎(大河内伝次郎)という師を得て三四郎は成長する。つまり黒澤は映像による教養小説『姿三四郎』を創造したのである。しかもそれを映像技術の全てを尽くして手に汗握るアクション映画に仕立てたのである。黒澤はエッセイに次のように書いている。

▼観客は映画館に何をしに来るのであろう。
俳優と一緒に、泣きに来るのである。笑いに来るのである。
怒りに来るのである。(「わかりきった事」、『映画評論』、42年2号)

自伝の中で黒澤はこうも書いている。

▼『姿三四郎』の中の人物で、私が最も興味を持ち愛情を傾けた人間は、勿論、姿三四郎であるが、今思うと、それに劣らぬ気持を檜垣源之助(月形龍之介)に抱いていたようだ。
私は青二才が好きだ。それは、私自身が何時までたっても青二才だからかもしれないが、未完成なものが完成していく道程に、私は限りない興味を感じる。だから、私の作品には、青二才がよく出て来る。姿三四郎も、この青二才の一人だ。未完成だが、秀れた逸材である。私は、青二才が好きだといっても、磨いて玉にならない奴には興味はない。三四郎は、磨いているとだんだん光って来る素材だから、作品の中で一生懸命磨いてみたのである。(『蝦蟇の油―自伝のようなもの』)

《技術と日本人の求道心》
『姿三四郎』において師匠矢野の訓辞や和尚(高堂国典)の話法に戦時下の精神主義を感じるといえなくもない。しかし黒澤の関心は映画をどう面白く作るかだけにあったのである。黒澤はこうも書いている。

▼技術が技術に終わっているのがアメリカ人である。技術を道にまで高め得るのが日本人である。『姿三四郎』のテーマ、柔術と柔道の相剋の中に、僕はその道を極めて見ようと思う。しかし、ここに陥穽がある。技術を行きつめて、はじめて道が開けるのだ。道を云々する事にのみ急で、技術を研鑽することを忘れては何もならぬ。「隼」の性能プラス「日本人の精神」が、スピットファイヤーとハリケーンに勝ったのだ、と云ふ事を忘れてはならぬ。(「新米演出家の日記から」、『映画評論』、43年3月号)

「隼(はやぶさ)」は当時の日本陸軍の戦闘機。黒澤は「隼」誕生を題材にした『翼の凱歌』(山本薩夫、1942年)のシナリオを書いていた。スピットファイヤーSpitfireとハリケーンHurricaneは英空軍戦闘機の名前である。精神主義の賞揚に見えて黒澤は技術と精神を対等に評価している。「道を云々する事にのみ急で、技術を研鑽することを忘れては何もならぬ」といっている。映画製作は技術的な要素の多い営為である。黒澤の映像と観客を重視する方法論が「自由な発想」を残しているのであろう。その技術を駆使して彼は「面白い映画」を作ったのである。

《向上・師弟・映像・国際》
「未完成なものが完成していく道程」への限りない興味、その過程をみちびく道を極めた先達の存在、そして映像のみが表現できるワクワクする面白さ。この特質は『姿三四郎』に刻印されている。次の文章はその上に「国際性」を付け加えることになるだろう。

▼現在、国民映画とアメリカ映画の競映をやったら、どっちに多くの見物人が入るだろうか? 例えば紅系(上映系統の名称)に「姿三四郎」、白系にフランク・キャプラ作品、ゲーリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒ作品と来たらどうだろう。負けたら切腹ものである。しかし、キャプラという奴は全くうまい。少なくとも僕よりうまいのは確実である。その上、敵のシナリオがリスキンときたらどうだ・・これも僕には勝目はない。
よし、大河内伝次郎と藤田進でゲーリー・クーパーを、轟夕起子と花井蘭子でディートリッヒを圧倒したとしても苦戦は確実である。(「一番美しく」、『新映画』、43年3月号)

このあと日本映画の独自性は「日本人の国民性」、「日本人の感受性」に信頼して「見物人の琴線」をさぐることが必要だという。精神論といえなくもない。しかし、「敵性」として米英の映画が輸入も上映も禁止されていた時代に、その「日米決戦」を論じている。当時「国際性」という言葉はあったのだろうか。映画の日米決戦論には「世界のクロサワ」の原点を見ることができるような気がする。

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