2015.11.03  ひとすじに生きて尊し
          ―平成おうなつれづれ草(9)―

鎌倉矩子 (元大学教員)

ことし9月半ば、友人Nが亡くなった。彼は私の小学校時代の同級生である。

私がNに再会したのは今から6年ほど前、小学校卒業後57年を経てのことである。その頃私は、長い勤務生活を終えて故郷H村に帰り、そこでの定住生活を始めたばかりであった。わけあって小中学校同(学)年会の幹事を務めることになり、Nに協力を求める必要が生じた。Nは子どものときからずっとこの村にいて事情通と思われたからである。
 「‥‥お互い、年月の経過を感じるなぁ」
会うなり彼はそう言った。それはこっちも言いたいセリフだった。私はひそかに彼をジャガイモと呼んでいたのだが、かつてのつやつやしたジャガイモはやはり、少し萎びていた。

今忘れられないのは、このあとNからもらった出欠回答ハガキ(もちろん「出席」だった)の隅にあった、彼の短い「ひとこと」である。
「僕たちの時代は、“希望”という言葉がまだ生きていたので、十分幸せでした。」
お、と思った。
それはなんと凝縮された言葉だったろう。こんなことを言うヤツだったんだと、目を見開かされる思いだった。私の知らない彼の青年、壮年時代をはるかに見やる気持ちになった。

Nと私の小学校入学は終戦の翌年である。そのまま村の中学校に進んだが、Nのクラス担任は黒い詰襟服を着た若いK先生だった(私は別のクラスになったので少し羨ましかった)。K先生は優れた理科の教師だったが、ときには「おまえたち、弁証法というものを知らなくちゃいかん」などと言って、そんな課外授業もしたらしい。弁証法の話は彼に強い印象を与えたらしく、そのときのことをNが懐かしそうに話したことがある。
隣町の有名高校に進んだ彼は、さらに大学への進学を希望したが、親に許してもらえなかった。農家の跡取り息子だったからである。むくれたNは家出をし、友人の家を泊まり歩いて帰らなかった。遂に父親が折れて1回だけ受験を許されることになったが、あいにくNはそれに失敗した。その後彼は、村を出ようと企てることはなかった。
「あなたは錨になって、村を守ってくれたのね」
そうNに言ったことがある。彼はこの“錨”という言葉が気に入ったらしかった。
「おれのことをなんだ、‥‥錨って言ったなあ」
何かのときにそう言った。

錨としての彼の人生。
彼は終生一農民であったが、目指すところはおそらく、一日本共産党員として理想の社会の構築に貢献することにあり、また自分の村の政治を向上させることにあった。まもなくその地区の党のリーダー的存在となり、さらには県レベルの委員になった。村にあっては1971年、32歳の若さで村議となり、7期28年を務めて妻に道を譲った。
村議を退いた年に村長選に打って出たが、当選は叶わなかった。
村議時代に彼が力を尽くしたことの中に、村の「医療費無料化制度」の維持がある。
この制度は、1960年ごろから徐々に地方自治体に広まったもので、老人医療費の自己負担分を自治体が自力補償するものである。わがH村では1971年、70歳以上を対象にこれが始まった(10年後には65歳以上に拡張し、現在はさらに18歳までを対象としている)。この老人医療費無料化の波はいったん国レベルに及んだが、1983年の老人保健法によって終わりを告げた。このとき、全国の地方自治体にあった無料化制度も一気に廃止されたという。止めようとしないわがH村に対して、県レベルから「廃止せよ」との行政指導が続いた。当然もらえるはずの国保調整金他は削られた。Nは、「県の指導というのは強烈なもので、議会会報の私の原稿がけしからんと、村長・課長を通じてまで圧力がかかり、ついに内容を変えさせられたこともあった」と、とある文化団体での講演の中で述べている(以上、 http://www.lcv.ne.jp/~mourima/10.4.6haramura30.pdf に依拠)。
Nとその仲間は、村長選のたび、“革新”をかかげる候補とタックルを組んで当選を後押しし、当選後は「公約だから頑張れ」と村長や課長を励まし続けた。「全国の自治体で唯一、65歳以上対象の高齢者医療費無償制度を維持した村」の40余年は、こうしてまもられたのである(2014年、同制度の財政圧迫に耐えられなくなった村は、ついに制度再検討の意志を表明したけれど)。
これ以外にも、農業災害の補償とか、後先を考えないゴルフ場建設の反対とか、知られていないNの功績は沢山あるよ、と友人Jは言う。農地の区画整理(いわゆる構造改善事業)や高速道路建設はNの反対にもかかわらず多数派によって実行され、結果は村人にとって「してよかった」ことになった。この件はNの失点と言える。しかしこれについてさきの友人は、「あれは党の指示に従ったせいじゃないかな」と言う。Nは「思い出したくねえ」と言い、何も語ろうとしない。
2010年、秋の叙勲でNは、「旭日双光章(地方自治功労)」を授与された。もちろん村の推挙あってのことだ。たくさん働いてもらったが村長にはしてやれなかった男への、村人からのせめてもの心づくしと見るのは、私の思い過ごしだろうか。

Nに対する村民の評判。
「共産党じゃなきゃ、村長になれたのに」とは某村民の声。「村一番の知識人だよ」とは、さきの友人Jの言葉。「Nさんは丸くなったよ」とは、先の同年会直前、わが家に集まった幹事団のひとりの言葉だ。「何度もバカにされた。デェッ嫌ェ。葬儀になんか行かねぇ」と言い放った同年輩の女性もいると聞く。つまり、彼を買う人がいる一方で、Nは尊大だ、尊大だったという声がある。
Nはからかい好きで、無骨だった。世辞を言うことがなかった。しばらく言葉をためてから、ズバッと言う癖があった。一部の人から尊大だと見られたのは仕方のないことだったかもしれない。

しかし芯のところは、文学的感性をもつ優しい人間だったのではないか、と私は思っている。
彼は40年来、俳句を作り続けていた。ときどき聞かせてくれる句には素晴らしいものがあった。それらを書き留めておかなかったことが、いま残念でならない。
Nが主宰する村の落語会に行ってみたことがある。開会の挨拶に立った彼のスピーチは、全くもって落語そのものだった。その日の真打をつとめた本物の落語家が、「この次は和服一式をお貸ししますから、どうか高座に上がっていただいて‥」と言ったものだ。
私が母を亡くしてしょげていた頃、Nが訪ねてきたことがある。薄青色の花束2つと、一冊の本を携えていた。花は彼が栽培していた商品で、本はその頃話題なっていた『くじけないで』という、ある老女性が書いた詩集だった。その詩集を渡しながら、「‥‥新しいコーヒーカップを買ってとかなんとかさあ」と彼は言った。
「くださるの?」
「いや、女房の本だ」
確かにその詩集には、「悲しいことがあったときには、バケツいっぱいの涙を流しましょう、そして新しいカップを買って、コーヒーを注いで飲みましょう」というようなことが書いてあった。
私はコーヒーカップでなく、新しいごはん茶碗を買った。詩集は貸してくれただけというのがちょっぴり可笑しかったが、Nの心遣いが嬉しかった。

その頃、もうひとりの同年者Jがやはり村に帰還した。3人は自然に飲み仲間となった。
JとNはいつも政治や農業問題を論じており、私はただそれを聞いていた。私がしゃべるのは、話題が俳句に及ぶときくらいのものだった。しかしあるとき、議論好きのJにしかけられて、私が共産党をどう思っているかを言わなければならなくなったことがある。
「(若いころ)私の近くにいた党員とおぼしき人には教条主義的な人が多かった。みなが同じことを同じ言葉でしゃべった。自分で考えることをやめているみたいで、それが嫌だった。」
Nは何も言わなかった。
別のときにぽつり、「みんなそれぞれ、でいいんだよな」と言った。
「うん。一生懸命生きた、それでいいって思ってるんダ」と私は答えた。

そんなつきあいが続く間に、Nのガンは進行していた。私たちが57年来の再会を果たしたときすでに、Nの体内には病魔が巣食っていたのだ。
治療のための入退院を繰り返していた。少しずつ少しずつ、彼は衰えていった。やがて袖やズボンがだぶだぶになり、歩く様子が頼りなくなった。今年の初夏にはもう酒が飲めず、とにかく会おうよと集まった3人の席で、さくらんぼを少しだけ食べた。
――近からん別れは言はずさくらんぼ (矩子)
8月。「もう何も読みたくねえ」「‥‥聴きたくねえ」「‥‥考えたくねえ」と彼は言った。「心が空(くう)なの?」と聞いてみた。「そう」と答えが返った。
9月。病院のベッドの端で、彼は痛みに震えていた。もう話さなかった。トイレに行くのに、スリッパを足にかける気力さえなく、看護師に助けられて裸足で歩いた。長居を避けて暇ごいをする私たちに、彼は「わるいな」と言い、右手を少しだけ上げて小さく振った。目はしっかりとこちらを見ていた。
4日後、彼は逝った。

告別式に、弔句ひとつが届けられた。Nの俳句の師からである。
――ひとすじに生きて尊し菊の花 (天明)
一瞬表面的な挨拶句のように感じたが、次の瞬間、これほどNにふさわしい句はないと思った。
75年のときを真剣に生きし者、いま1人、ここに没す。(2015.10.25記)

Comment
■心を動かす追悼文でした。だれもが共産党の連合戦線に態度を示せばならぬ「今」に即した一文です。N氏も周囲の人たちもあと半歩寛容であったら。これはきょう現在の核心的な問題です。
半澤健市 (URL) 2015/11/03 Tue 08:49 [ Edit ]
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() 2015/11/09 Mon 08:13 [ Edit ]
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