2015.11.24  スクープとネタ――「習近平暗殺計画」をめぐって
    ――八ヶ岳山麓から(165)――
 
阿部治平(もと高校教師)

「習近平暗殺」はさまざまに報道されてきた。
習近平中国共産党総書記の腐敗摘発が政敵を多く生んだからである。習近平が「刑不上大夫(高級官僚は罪に問わない)」という中共中央の諒解を打ち破って、重慶市党書記薄熙来・公安最高責任者で石油閥の周永康・人民解放軍NO.1の徐才厚・党統一戦線部部長令計画など最高レベルの高官・軍人を失脚させ、彼らの周辺人物を数十人から数百人単位で拘束したのはご存知の通りである。
中国上流社会の人物を涜職や異性関係を理由として罪を問うなら、ほとんどだれでも引っかかる。「欲加之罪何患無辞(罪に陥れたければ理由がないのを心配しないでもよい)」という時代はまだすぎさってはいない。

もう旧聞に属するが、「SAPIO」(2015年7月)が「習近平“暗殺指令”」という特集をした。そこに産経新聞北京特派員矢板明夫記者が「香港メディアなどによれば」として「暗殺」情報を紹介している。
「習近平はこれまで少なくとも6回、命が狙われたことがあったという。時間や場所、手口などの詳細が分かっているのは3回だ。共産党総書記に就任する直前の2012年夏、会議室に爆弾を仕掛けられたのが最初で、その直後に、健康診断のために訪れた軍直属の病院で検査用の注射器に毒を入れられていた。3回目は2013年夏、地方視察の際に乗る自動車が交通事故を起こすようにタイヤが細工された。いずれも事前検査で判明し、未然に防ぐことができたという」
矢板記者はそのほかにも、2014年4月30日にウルムチ南駅で起きた爆発事件もウイグル過激派のテロではなく、習近平暗殺を狙った党内の不平分子のしわざという見方があることを伝えている。

この「SAPIO」発売の1ヶ月後、「文藝春秋」8月号に元読売新聞北京駐在員加藤隆則という人の「習近平暗殺計画」という記事があった。加藤氏みずから「本稿は、中国の権力の中枢である北京・中南海で起きた最高指導者の地位を巡る政治クーデターの概要を、中共幹部に対する党中央の『内部報告』をスクープすることで初めて明らかにした歴史的リポートである」とうたっている。
加藤氏は「今回筆者が根拠とするのは、党中央から幹部への『内部報告書』であり、その詳細な内容によって、党が認定した政治クーデターの概要を把握することができた」という。この報告は、今年3月18日、「党中央弁公庁が中共政治局の決定事項を伝達するために行ったものだ」。
ところが読売新聞は「物証がない」としてボツ原稿にした。加藤氏は退職した。「文藝春秋」誌がこれを拾ったのである。

記事の内容は、周永康らによる習近平中共総書記暗殺計画と、ここ数年の高級幹部の失脚とそれにまつわる数々の事件である。
私にとって目新しかったのは、「周永康と薄熙来、令計画の三人が2009年に政治連盟を結び、すでに第17回党大会で内定していた習近平同志の政権継承を阻止して、第18回党大会後に薄熙来政権を誕生させ、令計画を党中央政治局常務委員入りさせるクーデターを企図した」ということである。
この政治連盟の犯罪とされたのはおもに四つである。
1、周永康は重慶事件の発覚後、調査が薄熙来に及ばないように画策した。
2、(2012年3月19日)周永康は重慶事件を隠蔽するため、党中央規律検査委に拘束された薄熙来の金庫番の徐明を救出しようと武装警察を動員したが、当時の胡錦濤総書記が首都警備を担当する解放軍三八軍を投入して制圧した。
3、国家副主席時代の習近平が訪米したとき、彼に失策があれば政変を起すと計画した。
4、政治連盟とともに画策した(陰謀仲間の)阮志柏成都軍区副指令を重慶事件発覚後に暗殺した。

加藤氏の記事からすれば、「内部報告」の核心は「周永康は自分への捜査を妨害するため、習近平同志に対する暗殺を計画した」というものである。ところが記事からは、肝心の「暗殺計画」がどのようなものであったか漠然としている。もちろん「内部報告」に書いてないからであろう。矢板記者のいう、爆弾を仕掛けたことや、毒物注射も加藤氏の記事に登場する。だがそれが周永康の企んだことなのかどうかすらあいまいだ。
上の四つのうち、武警と解放軍が動いたという「2」の3月19日事件だけがわりに具体的である。この日、中共要人の事務所と住所のある北京中南海付近に大量の武装車輛が並んだ。これについて加藤氏は「内部報告」ではなく、「ある党機関紙幹部」の話を引用している。この人によると、(徐明を救い出すために?)武警を動員した周永康は、解放軍三八軍に包囲されたのち、令計画に助けられて中南海に通じる地下道を通って脱出し、拘束を免れたという。

さあそこで疑問が生まれる。武警と解放軍が対峙するような大事件だったら、周永康はなぜその後も拘束されず政務をとれたのだろうか。何しろ半年後の2012年9月の反日デモの時も、周永康は公安責任者として健在だった。もちろんこの時点で令計画も拘束されてはいない。

先の「SAPIO」7月号の「特集」には福島香織氏の記事もあった。彼女は2014年1月に香港で出版された『北京319政変始末』を引用して、あの2012年3月19日の中南海の異変をこう紹介している。
「同書は、北京で12年3月19日に解放軍第38集団軍が出動した事件を周永康のクーデターを封じるための胡錦濤の奇襲であったとし、追い詰められた周永康が江沢民と曾慶紅の力を借りてなんとか制圧作戦を中止させた顛末が仔細に記されている」
また同書には、当日軍隊が出動したのは、胡錦濤と習近平が協力して薄熙来・周永康・徐才厚・令計画の“新四人組”の政変の企みを封じたものだったという説と、逆に胡錦濤が習近平の増長を抑えるために令計画を薄熙来らと接近させたものだったという説が紹介されているとのことである。
さらに「中国のインターネット上では当日、装甲車の目撃情報が飛び交いただならぬ事件が起きていたことは伝わっていた。多くのメディアは党中央委員・令計画の息子令谷が同日に起こしたフェラーリ死亡事故を隠蔽するための出動だったと聞き納得させられていたという」としている。
実に様々な情報が飛び交うものである。

加藤氏の記事は「内部報告」を唯一確実なものとした前提で成り立っている。だが「習近平暗殺計画」をつたえる「内部報告」がどの程度まで信頼できるものか、その分析と評価がない。これが致命的である。情報源やそれに関連する様々な事情が秘匿されなければならないことはいくらでもある。事情によっては明らかにしてはならない。だが「資料批判」がなおざりにされては記事が憶測の連続となり、その信憑性が疑われる。
これがないから加藤氏の記事は、中国の動向に関心をもつ者にとっては、真偽のほどがわからない情報のひとつにすぎない。その1ヵ月前に、「SAPIO」の「特集」を見た読者にとっては「特ダネ」でもスクープでもない。これにたいして矢板記者は、情報源が「伝聞」であることを明記したうえで「習近平暗殺未遂事件」を書いている。読者は「香港情報だな」と、これを計算に入れて読むことができる。

専制国家で政敵を倒すには、クーデターとか暗殺が主な手段である。1971年9月には毛沢東暗殺未遂事件が起きた。あのとき林彪が毛沢東暗殺に成功していれば今日の中国はない。日本にだって桜田門外の変や二・二六など、歴史を変えるようなテロはあった。
習近平についてはテロはあるだろうか、あるかもしれないと思う人は多い。習近平は絶大な権力を集中する一方、多数の敵を作った。彼は中国大衆はもちろんジャーナリストの前にもそうそう簡単に姿を現さない。中南海のガードはかたくなった。そこで虚実とりまぜた情報が飛び交うことになる。売らんかなのジャーナリズムは、自分に都合のよい史実や情報をつまみ食いする。中国が政治的経済的に日本の上位に立つのを嫌悪する人々には、この傾向がいちじるしい。

今年3月北京市の公安局長と、国家指導者の警護にあたる中央警備局長が異動した。それだけで習近平自身が「暗殺におびえている」という、いかにも確からしい憶測が生まれる。
ところが我々読者にはニュースの真偽のほどを確かめる手段がない。みるべきものをみることができない。よほど用心してかからなければ中国に対し偏見を持ち、間違ったイメージを抱くことになる。この手の記事を読むのは興味深い、というよりは面白いといった方がいいかもしれないが、読み手の力も求められるのである。

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