2015.11.25  フランソワ・オランドは帝国主義者になったのか
    ―1938年と2015年の「ラ・マルセイエーズ」―

半澤健市 (元金融機関勤務)


《言いようのない違和感》
 2015年11月13日に始まったパリの同時多発テロに対して仏オランド政権は強硬姿勢で対決しようとしている。私はフランソワ・オランドが仏大統領に立候補したときの演説に感動して彼に対する礼賛と期待を書いた。それから3年を経る間に彼は克服すべき敵たる新自由主義に屈服して金融機関の規制や所得分配政策を放棄してしまった。そして今次テロへの反応は9/11における米大統領ジョージ・ブッシュ(息子)に酷似している。オランドがベルサイユ宮殿で仏権力の中枢人物とともに「ラ・マルセイエーズ」を歌うテレビ画面を観て私は言いようのない違和感におそわれた。

その違和感を解くカギになるかも知れないと思い、私は仏映画『ラ・マルセイエーズ』のDVDを見た。前から気になっていた1938年初頭に公開されたジャン・ルノアール監督の作品である。ジャンは、印象派画家ピエール=オーギュスト・ルノアールの次男で、20世紀世界映画界の巨匠の一人である。『大いなる幻影』、『ゲームの規則』、『河』などの名作で知られる。『ラ・マルセイエーズ』の公開は、1936年6月に成立したレオン・ブルムの人民戦線内閣期であり、ルノアールはその文化領域、とくに映画部門のリーダーとして人民戦線に深くコミットしていた。

映画は1792年8月の王政崩壊に帰結したパリの革命運動を擁護するために、マルセイユから行進して来た一団の愛国者の物語であり、のちにフランス国歌となる「ラ・マルセイエーズ」の誕生物語である。フランス革命が「われわれの時代と極めて類似している時代」であるから、この映画の主題としてフランス革命が選ばれたとルノアールは説明したという。「われわれの時代」とはどんな時代であったのか。
1929年の大恐慌からどう脱出するか。これが世界の、とりわけ先進資本主義国の、直面する最大の課題であった。ニューディール、ファシズムがその回答として立ち現れ、ソ連社会主義がある理想型としてイメージされた。

《ブルジョア革命というより国民の誕生》
 戦前戦後を通じて、フランス革命は日本では「ブルジョア革命」の典型として意識されてきた。いまもなおその認識は強いだろう。しかし私のみた『ラ・マルセイエーズ』は、階級闘争史観で描かれたというよりフランス国民の統一と団結を訴える作品であった。
ある歴史家はこう書いている。■から■
■この映画の基本的なテーマは、革命ではなくて、国民意識の発達、すなわち国民の誕生であって、マルセイユの愛国者がフランスをまたにかけて行進するように、いわば彼らは、一九三六年の有給休暇中の初めての労働者と同様に、この国を所有していることであった。彼らの行進の歌「ラ・マルセイエーズ」が、彼らの新しく確立した統合の明画化であった―「司祭服を着た人がどうして反動的であるのか」と革命家の一人が言う。このテーマは、一九三六年の観客に親近感を与えた。■(ジュリアン・ジャクソン著『フランス人民戦線史』、1992年、昭和堂)

フランス革命とアメリカ独立戦争が起点となって近代「国民国家」が生まれた。国民国家は、民権と国権の相克を内に抱えている。国民国家の多くは「帝国主義国」となった。数百年にわたり植民地や属領からの収奪の「成果」であった。「帝国主義」という言葉は使用頻度が減ったが、「帝国」は厳存している。EUのなかで隠れていたフランス国権の本性が首都の攻撃という決定的事態の発生によって顕在化したのである。

《この非対称性を見よ》
 『東京新聞』(2015年11月21日・夕刊)は「カイロ=中村禎一郎」記者の次の記事を載せている。■から■
■シリア人権監視団(ロンドン)は二十日、九月末から始まったロシアのシリア空爆による死者が千三百人を越えたと発表した。過激派組織「イスラム国」(IS)の戦闘員三百八十一人が死亡。死者の合計は千三百三十一人。九十七人の子どもを含む民間人が含まれているとしている。監視団は、米国が主導する有志国連合の空爆で、これまでに三千六百四十九人が死亡したとの情報も公表した。(一部略)■

 パリの犠牲者とシリア国民の犠牲者数とのこの非対称性はどうだろう。過日の報道番組でイスラム研究者内藤正典(同志社大教授)は、シリア人にとって空爆は強力なテロとして認識されていると語っていた。そもそも空爆に際して一般市民とISをどう判別できるのか。仏大統領オランドが「ラ・マルセイエーズ」を唱いつつ空爆を強化している姿は「近代国民国家」の破綻、少なくとも大いなる矛盾を示している。

《価値観を共有できるか》 
 同時多発テロを正当化するのではない。しかし有志連合と「価値観を共有する」などと安倍晋三がいうのを許すべきでないと言いたいのである。
米軍による原爆投下や都市空襲は戦争犯罪だったのではないのか。自爆テロと特攻とは本当に違うのか。自爆テロリストは「聖戦」を唱えている。特攻機のパイロットは「神兵」であった。近代国民国家の論理が根底から問われている。「文明の衝突」はハンチントンの頭脳の表象から現実になるのではないか。「言いようのない違和感」を解明したとは思わないが、忘れないうちにこの数日考えたことを書き留めておく。(2015/11/23)

Comment
まさにオランドはブッシュと同じ道を歩み始めた!しかしサルコジがその道を準備したことも忘れてはならない。NATO復帰を果たしたフランスはもはや政治と軍事を分離して考えられる大人のフランス人ではなくなったということ。ピレネーを越えて獲得したフランス性をぶち壊したのがベルギー貴族の末裔だったというのはいささか暗示的ともいえるのかも知れません。その意味ではデカルトとも縁を切ったのかも?
yamada osamu (URL) 2015/11/25 Wed 16:59 [ Edit ]
「アジア・アフリカを支配することによってヨーロッパの文化はひらけてきたといえる。」上原専禄先生からの受け売りの言葉を聞いた英国のインテリは悲しそうな顔をして言った。「お前は本当にそう思うのか?」50年以上前のことである。
この歴史の重圧は今に続いている。オランド大統領がどれだけの人物であろうとイスラム国の暴挙にどのように対処できるだろうか。フランスを代表する彼の発言はイラク侵攻を目論んでいたブッシュの発言に似てないこともない。しかし全く同じではない。フランスは勇を鼓してブッシュに反対し、アメリカではフレンチ・フライズが追放されてフリーダム・フライズにされてしまった。論点は幾らでもある。この事件での死傷者数と中東のイスラム系諸国で日常的に起きている死傷者数を対比して論ずることは正しいに違いない。ただそれは今に始まったことではない。爆撃よりも対話や交渉が望ましいには違いない。しかし交渉すべき相手はどこにいるのだろうか?
世界にびまんする狂信は国家と違って爆撃によって屈服させることはできない。このISの暴力は終息ではなく鎮圧、鎮静がさしあたっての目標になるだけだと思う。問題はそこから始まる。9.11は元々アメリカの危機ではなかった。今回の9・13はヨーロッパ、ひいてはより広い世界にとっての危機と受け取る人が多いのではないだろうか。














shoji oshima (URL) 2015/11/28 Sat 13:19 [ Edit ]
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