2008.05.11 「いじめに加担」は情けないぞ!
暴論珍説メモ(37)  

田畑光永 (ジャーナリスト)


  中国の胡錦濤国家主席が6日来日し、7日に福田首相と会談した後、共同声明が発表された。中国主席の訪日は1998年の江沢民以来10年ぶり、共同声明もその時の小渕首相との共同声明以来である。
  この10年の間には01年から06年までの小泉首相時代があり、靖国神社問題で両国の政治関係は冷え切った。その後、06年秋の安部訪中(破氷の旅)、07年春の温家宝訪日(融氷の旅)、同年末の福田訪中と首脳往来を重ねて、今回の胡錦濤の「暖春の旅」となった。ともあれ両国の政治関係の正常化が定着したといえる。
  10年を経て共同声明の内容も様変わりした。その変化の最大のものはいわゆる歴史認識についての記述である。10年前には「日本側は、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明した」とあったのが、今回は「双方は歴史を直視し、未来に向かい、日中の『戦略的互恵関係』の新たな局面を絶えず切り開くことを決意し、・・・」とあるだけである。
  新しい声明が出たからといって、以前の声明が帳消しになるわけではないから、前と同じことを書く必要はないとも言えるが、10年前の江沢民は声明の記述に不満で、「謝罪」を書き込むことを要求し、小渕首相が口頭で謝罪したのにも満足せず、旅行中機会あるごとに「歴史」を振りかざし、すっかり日本国民に嫌われたことを思えば、中国側の態度の変化は明らかである。
また今回の声明では「中国側は、日本が平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献していることを積極的に評価し」と言い、さらに「中国側は、日本の国連での地位と役割を重視し、日本が国際社会で一層大きな建設的役割を果たすことを望んでいる」とまで踏み込んだ。
  前者は安部前首相が憲法改正や防衛庁の省昇格、自衛隊の海外派兵などについての姿勢を批判された際の反論に愛用した「戦後日本平和国家論」をそのまま認めるものであるし、後者は今後再び国連で日本の常任理事国への昇格問題が起きたときに、中国がすくなくとも反対はしないであろうことを示唆したものであり、いずれも中国側の大きな歩み寄りである。
  このほか中国側は条件付きながら2013年以降(京都議定書以降)の温暖化問題に対する国際枠組の構築に積極的参加することを約束して、洞爺湖サミットを控える福田首相に花を持たせ、また両国は「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力し」と、明らかに人権擁護を指すと見られる項目にもコミットした。
  総じて今回の訪日では、胡錦濤は大いに福田首相の顔を立てて、サービスしたと言ってよい。これに対して福田首相の側は胡錦濤にとくに配慮したという点は見当たらない。おそらく中国側が希望したと見られる台湾の独立に反対する旨の明言にも応ぜず、国交回復時の共同声明で明らかにした立場(中国は一つ、台湾は中国の不可分の領土)を確認するに止めた。オリンピックの開会式への出席についても「前向きに」と言っただけで、明言を避けた。
  中国側のプラスといえば、両国の協力を強化する項目の一つに「エネルギー、環境分野における協力が、我々の子孫と国際社会に対する責務であるとの認識に基き、この分野で特に重点的に協力する」を入れたことであろうか。この分野では掛け値なしに中国は日本の協力を必要としており、それが「特に重点的に」との強調つきで盛り込まれたことは、日本側がどこまで意識しているかは別にして、中国としては歓迎すべきことであろう。
  このほか共同声明には「東シナ海を協力の海に」としか書かれなかったが、首脳会談でこの海域の共同開発について、解決への目途がついたことが、共同記者会見で明らかにされた。どういう話し合いがおこなわれたのか、具体的にはまだ明らかにされていないが、事前の予測では今回の首脳会談でも大きな進展は見られないとの見方が有力だったから、この結果はいささか意外である。
  日本側が進展なしをブリーフしていたということは、つまり日本側には譲るつもりはなかったわけだから、中国側が何がしかの譲歩をしたとみるのが妥当だろう。とすれば、これまで中国側が拒否していた日中中間線の中国側水域での開発(つまり中間線を挟んでの開発)に応じたのかもしれない。ここでも胡錦濤は柔軟姿勢を見せた可能性がある。
  なにがこういう姿勢を胡錦濤にとらせたのか。やはり3月のチベット「騒乱」以後、おりからの五輪聖火リレーをめぐってはからずも表面化した世界的な反中国ムードが第一に挙げられるだろう。以前の「反日」のときには、「巨大市場の魅力」がある以上、日本以外の欧米諸国は中国の味方をするか、すくなくとも「反日」に介入することはないという安心感があったはずだが、今は状況が変わった。うっかり歴史問題などで日本を刺激して敵に回せば、世界中に味方がいなくなるという危機感を持ったのではないか。
・・・・・・・
  そこでここからが本題である。今回の日中首脳会談はどちらがポイントを上げたかという俗な観点でいえば、日本側がポイントを上げたと言える。しかし、政界を含めて国内の雰囲気はそうではない。福田首相は言うべきことも言わず、弱腰だったというような評価がなんとなく広まっている。チベットでもっと強く出るべきだった、毒入りギョウザはどうした、パンダでごまかされた、などなど。
  落着いて考えてみれば、チベットにしろ、ギョーザにしろ、本来、首脳会談で本腰を入れて話すような問題ではない。チベットはあくまで中国内部の問題であり、日本と交渉する性質のものでない。立場を代えて、たとえば胡錦濤が日本政府のアイヌ政策とか沖縄対策とかに口を挟んできたら日本人はどう受け取るか。胡錦濤が日本側の関心と憂慮に聞く耳を持ったということで外交的には十分のはずなのである。ギョーザは犯罪事件である。そしてとにかく両国の警察が協力して真相を究明しようということになっている。首脳はそれを見守ればいいのだ。
  問題はそれではなんとなしに物足りないと感ずる今のムードである。中国になんとか頭を下げさせたい。ぎゃふんと言わせたいという気分がみなぎっている。それも今なら、世界中が中国をきびしい目で見ているからチャンスだという底意が見えている。他人に便乗していじめに加担する図である。情けないではないか。
  隣国どうしの付き合いは難しい。だから遠交近攻が昔から外交の常用手段の一つとされてきた。しかし、遠いの近いのといったところで、現代では物理的な距離の長短はほとんど問題にならない。遠いも近いもない。にもかかわらず、というか、だからこそ、なのか、分からないが、ここへ来てナショナリズムが世界各地で従来以上に頭をもたげて来た。そんな風潮にわが日本は断固流されたくない。それが私のナショナリズムだ。ナショナリズムを煽ることは人心を掌握するには安易な方法だが、そこから建設的な結果が生まれることはまずないとしたものだ。
  私の見るところ、胡錦濤は今回の日中首脳会談に真面目に取り組んだ。福田首相の態度がどうだったのか、あの人はそういうところが分かりにくいのが難点だが、すくなくともきちんと対応はしたと思う。国民は共同声明をまともに読めばいいのだ。他人をやり込めて、それで何か自分たちが優位に立ったと思うような根性とは縁を切りたい。

Comment
中国の被害状況は筆舌に尽くしがたい!だが日本メディアは中国政府の行動を政治的に解釈に過ぎていないだろうか?
人道主義を忘れ、中国政府の対応(不十分さがあるのは当然のことなのだが、また日本国政府だって、この間の災害救援で充分だったことはないのに)を国際社会に認められたい行動だとか、オリンピックやチベットと結びつけて「批判的」に報道している。
このことは日本のメディアの見識を貶めることを意味している!
恥ずかしい限りだ!
自国の恥ずかしい人権侵害の数々の実態を棚にあげて・・・・。しかも、それの便乗する風潮があるのは、誠に残念だ!
邪論 (URL) 2008/05/15 Thu 21:05 [ Edit ]
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