2015.12.22  人口一点張りの答申案に異議あり―衆院の定数問題
    暴論珍説メモ(140)                

田畑光永 (ジャーナリスト)

 衆議院議長の諮問機関「衆院選挙制度に関する調査会」(座長・佐々木毅元東京大総長)が16日、衆議院の議席を現在の475議席から10議席減らして465議席とする答申案をまとめた。議席を減らすことには異議はない。しかし、例によってその減らす議席の決め方が人口比を金科玉条としているのには、前にも書いたが、大いに異論がある。
 今回の答申案は、小選挙区は「7増13減」で、6議席減。比例代表は「1増5減」で、4議席減、を提案している。増えるのは、小選挙区では東京が3議席、埼玉、千葉、神奈川、愛知の4県が各1議席。比例代表では東京ブロックが1議席、である。
 減るほうは、小選挙区では青森、岩手、宮城、新潟、三重、滋賀、奈良、広島、愛媛、長崎、熊本、鹿児島、沖縄の13県で各1議席。比例代表では東北、北関東、東海、近畿、九州の5ブロックで各1議席、である。
 その結果、都道府県の格差は1.788倍から1.621倍になるという。格差が縮むのはよいこと、が前提になっていることは明らかだ。私にはそこが不思議でならない。かねて1票の価値に住む場所で差があるのはけしからんとする考え方があって、裁判所もそれを認めて、2倍をどれくらい超えたから、違憲だ、違憲状態だ、という判決を出して来た。
この習慣は私の記憶では、かつての55年体制時代、比較的人口の少ない地方農村に「保守」支持者が多く、都市勤労者には「革新」支持者が多いから、1票の価値を平均すれば「革新」が有利になるとの動機で、裁判闘争が始まったものだ。
確かにそれも一理なしとしないが、国会議員の数が各地方の人口比率を正確に反映すればするほどよい、とはいかなる根拠によるものか。政党による有利、不利という議論はひとまず措いて、客観的に考えてもらいたい。
日本という国の国土は、かつての国外に領土拡張を目指した時代は別にして、戦後は(奄美、沖縄、小笠原の返還を例外として)変わらない。変ったのは住む人間の分布だ。言うまでもなく、大都市に人口が集中し、地方とくに中山間部では人がいなくなった。この趨勢は今でも基本的に変わらない。
問題はまずこの国のありかたとして、この趨勢をよしと認めるかどうかだ。よしと認めるなら、人口が増えたところの国会議員を増やし続け、減ったところの議員を減らし続ければよい。議員定数の配分に関する議論は結果的にこの人口移動をよしとする判断に立っている。
しかし、それならなぜ「国土の均衡ある発展」などと言うのだ。上記の趨勢をよしとしてそれにすべてを適応させれば、「均衡ある発展」は望むべくもない。人が大勢いるところの声がすべてを支配して、人の少ないところ、いないところには誰も目を配らなくなる。
現実はまさにそうなっている。現行の定数配分では東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏の議席88(小選挙区、比例)は総定数475の18.5%だが、今度の答申案がそのまま実施されると議席が95に増え、総定数が10減るから比率は20.4%となる。広義の首都圏(上記4都県に群馬、栃木、山梨、茨城の一部)には人口のおよそ3割が集中していると言われるから、この数字を妥当とする見方もあるだろう。
しかし、では面積を見よ。上記4都県の面積は合わせて1万3562.1㎢、国土総面積は
37万7972.28㎢だから、そのわずか3.5%にすぎない。人間のいない土地なんぞいくら広くても意味がない、と考える勘の悪い人間には言ってもむだかも知れないが、3.5%の土地に20%もの人口が集中していることが国のあり方としておかしいのだ。
 政治は人間のことばかりでなく、自然のことも考えなければいけない。住みにくいからと人間が減れば残った人間はますます住みにくくなる。自然は荒れる。そこを代表する国会議員が人口密集地の議員に対して多勢に無勢では、この国はますます住みにくくなる。住みにくさを政治の力で住みやすくし、「限界集落」などというおぞましい言葉をこの国からなくして、人口配置のバランスを回復することは国会の重要な使命のはずだ。
 とくに小選挙区制ではもともと少数意見は反映されにくいのに、人口一点張りで定数の集中を続けるのは、それこそ少数尊重という民主主義の根幹が崩れる。
 この答申案が最終的にどういう形で現実になるか、まだ分からないが、自分の当落に有利不利からの議論ではない、国の根本に立ち返った議論を期待するのはやはり無理なのだろうか。(151217)
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