2015.12.31   護憲派は日本防衛をどう考えたらいいか
    ――八ヶ岳山麓から(167)――

阿部治平(もと高校教師)
 
国会の新安保法制論争でもっとも気を吐いたのは日本共産党だと思う。
ところがその志位和夫委員長が安保法制論議のさなかインタービューで示した国防論は、私にとって心配になる内容であった。
「中国が尖閣諸島の領海に公船を入れてくる、こうした物理的な対応を強めてくることを私たちは批判をし、中国政府ならびに中国共産党にそういう我々の批判を伝えてまいりました。ただ、この問題は、相手が物理的な対応をやってくる、あるいは軍事的な対応をやってきたときにこちらも物理的な対応や軍事的対応をとる、軍事と軍事のエスカレーションになるのが一番危険だと考えています。外交的な解決の枠組みが大切です(マル激メールマガジン2015・8・6)」

軍事的衝突は危険なので外交的解決が大切だというのはその通りだが、「中国は公船を入れてくる」という志位氏は、軍艦と巡視船、武力行使と警察権行使の違いを強く意識していないようである。
日本は海上保安庁の巡視船を尖閣海域で警戒に当たらせている。中国は漁船や中国公安部海警局の海警○○号といった巡視船を周辺を遊弋させ、日本を挑発しているのである。なぜ双方軍艦を使わないか。中国側としては、もしここに自衛艦が出てきたら、中国が自国領土と主張する尖閣領海で日本が武力行使をした、つまり侵略したことになり中国は自衛権すなわち交戦権を発動できるからである。これは空域でも同じで双方の飛行機は危険行為を避けている。

2010年民主党内閣は中国漁船の船長を逮捕した。この政府は外交的力量がなく、たちまち中国の圧力に屈して司法手続を続けることができず、船長を釈放した。だが、日本側がその裁判を行っても、中国は国際法上は軍事力を行使できない。なぜなら日本の司法権行使をもって侵略とし交戦開始の口実にすることはできないからである。国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権の発動以外に交戦の理由を認めていない。

21世紀の今日、国連加盟国は一応国際法に拘束される。中国は国連の常任理事国であるから、国連憲章の交戦権に関する規定を遵守する義務がある。同時に日本はドイツと並んで国連憲章に規定された「敵国」である。これは日本が他国侵略を開始したとみなされたとき、安保理の承認抜きで相手国は日本を攻撃してかまわないという規定である。
だから中国の漁船や巡視船の非軍事的行動に日本の自衛艦が出なければ、中国は人民解放軍を出動させることはないし、したがって中国は軍事的脅威になりえない。一般論を語ったとはいえ、志位氏の認識はこの点があいまいである。

国会の安保法制論争の中では、安倍首相は集団的自衛権の必要性を説いて、イランによるホルムズ海峡とか、(中国による?)南シナ海の機雷封鎖によって石油が止まるような「わが国存立危機状態」が生まれると発言し、さらに追及されると中国の軍事的脅威をいい出した。あえて敵を作りだし、東北アジアにおける緊張状態を演出したのである。
中国当局はこれを批判したが、その好戦派は内心喜んでいるに違いない。中国を仮想敵国とすることによって、日本が中国の挑発に乗る可能性が増える。安倍首相の国会答弁どおりに、警察力では抑えきれないとして、「シームレスに対応」して、尖閣に自衛艦を出したりしたら、中国に交戦の口実を与え、めちゃめちゃにやられても国連憲章の敵国条項によって文句はいえない。

志位氏は憲法9条と自衛隊の関係についてこうも発言した。
「私たちが政権を担ったとしても、自衛隊との共存の関係が一定程度、一定期間、続くことになります。そのときに万々が一、武力攻撃があったときは、あらゆる手段を用いて抵抗する、場合によっては自衛隊も活用すると、党大会の方針で決めております」
志位氏はさきに軍事的衝突は危険だから外交的解決が大切だといいながら、「あらゆる手段を用いて抵抗する、場合によっては自衛隊も活用する」というが、現代戦争の現実からすれば、自衛隊以外に武力攻撃に対応できる抵抗力はない。
かりに中国が(国内矛盾の激化によって)あえて口実を設け、尖閣海域で武力行使に入るような事態(その危険はごく少ない)が生まれたとして、志位氏は自衛隊が尖閣において眼前の敵を殲滅するとともに、敵基地を攻撃し占領することを想定しているだろうか。さらに尖閣で自衛隊員が中国の捕虜になった場合どうなるか。
(ここで少し横道)志位氏のいうように「場合によっては自衛隊も活用」して東シナ海の無人島を守ろうとするのは、愚かな戦術である。万が一、中国による尖閣占領状態が生じても、日本は冷静に外交工作を進めるとともに、その不当性を国際世論に訴える方法をとるべきである。この方が最終的勝利の近道だ。なぜなら、この場合、中国の軍事行動は侵略であって国際法上は許されないからである。

安保法制反対派の主張では、「集団自衛権の行使は戦争に相当するが、個別的自衛権の行使なら憲法の範囲と見なしうる」とされた。だが国際法上はいずれも「交戦権」にほかならない。国連憲章第51条には「individual and collective self-defense」としてある。アメリカが9・11事件の反撃として、アフガニスタンでタリバン政権をつぶしたのも、オランド・フランス大統領がパリ・テロ事件を「これは戦争だ」としてIS爆撃に踏み切ったのも、個別的自衛権の発動であろう。
新安保法制が憲法違反であることは明らかであるが、共産党の防衛政策も自衛権を発動し「自衛隊を活用する」点では、日本国憲法9条第2項の「国の交戦権は、これを認めない」という規定には明確に違反する。
交戦権とは合法的な敵に対してこれを殲滅する権利だ。兵士を殺害し敵戦力を破壊しても、海上を封鎖し敵を捕虜にして抑留しても、占領地を確保しそこに軍政を敷いて一定の強制措置をとっても、国際法に問われない権利のことである。戦争捕虜もジュネーブ条約に規定されたそれなりの待遇を受けることになる。
(また横道)ところが国会論議では捕虜はジュネーブ条約の適用を受けるかとの質問に対し、岸田外相は後方支援は武力行使に当らないから、日本は紛争当事国ではない。自衛隊員は捕虜になることは想定していないと答えている。自衛隊員は捕虜になっても国際法上の待遇を受けられないのである。

現政局からすれば、次の参院選あるいは衆院選の結果は眼に見えている。自民党は大勝するかもしれない。その後の海外派兵によって自衛隊員に犠牲が出たとき、安倍内閣が交戦権の必要を提起すれば、世論は改憲を容易に認めるだろう。
自民党は、すでに民主主義と人権の制限の復古調の軍国主義むきだしとはいえ独自の改憲案をもっている。護憲の我々は「現行憲法の擁護」「9条を守れ」といいつづけ、新しい提案なしに世論の支持を得られるか。私は見通しは暗いと思う。護憲派は危機に直面している。

そうこうしているとき、国際軍事専門家の伊勢崎賢治東京外大教授の改憲案「新9条」に行き当たってかなり驚いた。驚いたが検討に値すると思った。
伊勢崎改憲案は、日本は国際法上の個別的自衛権を持つとし、その及ぶ範囲を日本領域に限定している。集団的自衛権は行使しない。敵地攻撃や敵地占領はやらない。しかし領域内であれば、国際法上の敵殲滅の権利を行使する、と規定している。
いま私には、これが護憲派にとって共同綱領にふさわしいかどうか判断することはできない。だが、このままでは負けると心配するよりは良いと思ってここに紹介する。これをたたき台にして議論が湧き上がることを期待する。

日本国憲法第9条を以下のように改定し「永久条項」とする。
1.日本国民は、国際連合憲章を基調とする集団安全保障を誠実に希求する。
2.前項の行動において想定される国際紛争の解決にあたっては、その手段として、一切の武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する。
3.自衛の権利は、国際連合憲章51条の規定に限定し、個別的自衛権のみを行使し、集団的自衛権は行使しない。
4.前項の個別的自衛権を行使するため、陸海空の自衛戦力を保持し、民主主義体制下で行動する軍事組織にあるべき厳格な特別法によってこれを統制する。個別的自衛権の行使は、日本の施政下の領域に限定する(「マル激!メールマガジン 2015・11・11)。
Comment
「永久条項」を採用する時には米国との安全保障のあり方を明確にする必要があります。沖縄のためにも日本国内の全ての米軍の駐留を無くし、そのうえでの軍事協定を結ぶ必要があります。この時自国を自国で守れる具体的な防衛手段を用意しておく必要があります。例えば人工衛星に小型誘導ミサイルを搭載し、弾道ミサイルから、誘導ミサイル、軍艦、大型戦闘機をせん滅するような具体策が必要です。また4.の「施政下の領域に限定」は、敵対国内のミサイル等の撃ち落としが抑止上必要になるためこれを許可する条項は入れるべきと考えます。
松本晴夫 (URL) 2016/07/11 Mon 10:54 [ Edit ]
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