2016.01.14 この40年間に中国にはどんな思想が現れたか
――八ヶ岳山麓から(169)――

阿部治平(もと高校教師)

馬立誠は人民日報の論説委員だった。2002年に「対日関係の新思考-中日民間の憂い」と題する論文を発表して、中国におけるナショナリズムや狭隘な反日感情に疑問を投げかけた(「戦略と管理」02・06)。昨年2月にも「日中の和解が最も重要なテーマだ」と強調した。だから中国では売国奴とののしる人もいるが、私から見ると冷静な分析家である。
昨夏、彼の『最近四十年中国社会思潮』(東方出版社2015)が手に入ったので読んでみた。

もちろん中国の現代思潮をたどることなど私の手に余るが、彼はこの40年間に現れた思想として、鄧小平思想・旧左派・新左派・民主社会主義・自由主義・民族主義・「民粋主義」・新儒家など八つの思想潮流をあげている。必ずしもこの順序で現れたのではないし、主義にもとづく党派があるわけではない。
毛沢東時代は右の思想は悪党、左は善人だった。いま右派は憲政を支持し社会保障と人権を求める人々、左は毛沢東思想を信奉し一党独裁を支持する人々といえよう。だが右だから反政府、左だから現政権容認とは限らない。

まず鄧小平思想。毛沢東の死から2年後、中国共産党の主導権を握った鄧小平は、「市場経済を使って危機に瀕した中国経済を立てなおそうとした。……競争・平等・自由と個人の財富追求の精神が中国にみなぎった」
当時経済改革とともに政治改革を求める声が高まったが、鄧小平は社会的動揺をきたす危険があるとして政治改革を中断した。時の総理趙紫陽は、民主化はあと10年待ってほしいといった。私は当時天津市にいて、知識人らがこの発言に強く反発したのを記憶している。
1989年天安門事件以後左派が力をえたのをみた鄧小平は、1992年南巡講話で「改革は大胆にやれ」と発破をかけ、「社会主義的市場経済」の道を開いた。一党独裁下の経済建設である。以後中共政権はトップが3代変ったが、いずれもこの軌道の延長線上にある。
だが私の考えでは、馬立誠が鄧小平思想とするものは政策路線である。鄧小平は毛沢東に代わる独自のイデオロギーを提起できないから、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を国是の哲学としたのである。もし彼に思想があったとすれば、それは権威主義と実用主義の混合物だと思う。

旧左派はスターリン型の社会主義モデル、毛沢東晩年の極左思想を相続している。彼らは鄧小平の南巡講話によって一時の勢いはなくなった。だが21世紀に入ってからも「烏有之郷(ユートピア)」に結集して、階級闘争をかなめとするよう求め、改革開放・市場経済を批判している(本ブログ拙文2008.05.27 )。その一方で官僚の不当不正を鋭く摘発し、ときには政府を激しく非難した(本ブログ拙文2010.12.01)。
最近の旧左派袁庾華は、「いま中国の社会矛盾は爆発前夜だ。問題を解決するには、毛沢東方式の大衆運動を用いて人民の主要敵である官僚資産家階級の統治を突破すべきだ」という。

新左派はグローバリズムに反対し、市場経済や中国のWTO 加盟に反対する。また鄧小平路線を批判し、これが貧富の格差を生み出したともいう。だが、毛沢東思想にはかならずしも固執しない。彼らも多様な傾向の人々である。中国は資本主義国家に変ったという人も、文化大革命を称賛する人もいる。またかなりの部分は西側新左翼――フランクフルト学派、チョムスキーやアミンやサイードなどの影響を受けている。

右派の高放は「封建社会が残した多くの消極的要素が左の思想の土壌となっている。手労働小生産者と農民の平均主義・君主専制主義・個人集権制・指導職の終身制・等級制(公務員などのランク付け)・家父長制・個人崇拝・官僚主義などはみな深い根をもっており、大衆的基礎がある」という。

馬立誠が「民主社会主義」というのは、我々の社会民主主義と同じ内容である。1980年代の初めからスターリン・毛沢東の社会モデルを批判し左派と対立した。胡縄・李鋭・朱厚沢・王若水らは、経済改革・民主選挙・人道主義と疎外反対を説き、論文をたくさん書いた。彼らが社民主義者かどうか、私にはわからない。
21世紀に入って北欧研究を進めた学者のなかから、中国が高度福祉社会に進むのを期待するものが生まれた。なかでも謝韜はエンゲルスやベルンシュタインを援用しながら、中国は(西欧型)民主社会主義をモデルにすべきだ。それは議会制民主主義・生産手段の公私混合制・市場経済・社会保障制度であるとして、一党支配を否定した。これは事件とでもいうべき大論争を引きおこした。幸か不幸か、彼は思想弾圧される前に高齢のため死去した(本ブログ拙文2012.05.15)。

1980年代自由主義者は文化大革命からの思想解放を唱えた。92年鄧小平の南巡講話以後、俄然改革開放の旗手となり、財産権と自由競争を主張し、法治社会の建立をもとめた。中国経済学界の主流はマルクスよりもケインズ、それよりもフリードマンなどシカゴ学派に傾斜した。経済の市場化をすすめるべく、国家指導者らに改革政策を提供し大きな役割を担ったのは、呉敬璉や厲以寧などこのグループである。
自由主義者の主張した国営資本民営化の過程で、大量の公共財産が流失し私物化された。この中で3500万の失業者が生まれた。これは左派の非難攻撃の格好の的になった。
そうはいっても彼らは政府を丸ごと支持するわけではない。腐敗の原因を政府と権力集団による権力と社会的資源の独占にあるとして、国営資本の徹底改革、権力者の権限縮小、個人の自由・小さな政府を訴える。だから中共中央上層が経済運営の仕方を学び終わった今日、彼らとの関係は微妙である。

民族主義者も多様だ。馬立誠によると、彼らに共通するのは、(日本を含めた)西側に対する仇敵視、WTOへの参加反対、反グローバリズム、中国の光栄ある孤立と「中国崛起(勃興)」の提唱、それに好戦的なことである。総じて愛国・非理性・自由と権利の抑圧・集権政治への傾斜がある。対米戦争勝利ののち中国が世界の覇者となることを主張するものもいる。
どこの国でも政権は、必要となれば民族主義を煽り、人々を排外主義に導く。中国でも何かというと「大中華民族」や「愛国無罪」が叫ばれる。

馬立誠がいう「民粋主義(ナロードニキ)」は、古典的にはテロと街頭行動による政権転覆、平等主義だが、私には中国でどの程度の大衆的基盤をもつものかわからない。

新儒家も統一された文化グループではないが、馬立誠によれば、西側の強い文化に直面してわが民族はどこへ行くのかという、共通の危機感がある。現代生活の中で、極力文化のアイデンティティや政治の再建、心身の安寧などの問題を解決しようとする。
私の印象では、新儒家は総じて現状肯定的である。中国庶民の間には一時論語ブームがあった。テレビで人気あるその扇動家于丹女史曰く。
「しあわせになるにはどうすればよいか。国家にも、社会にも、他人にも、なにも求めない。あるがままに承認し、信頼する。不平不満をもたない。要は心の持ちよう一つだ(高島俊男『お言葉ですが 別巻2』連合出版)」。

馬立誠は少数民族の思想状況には関心がないらしい。いま彼らは仏教やイスラム教信仰を強めるとともに、反漢民族主義的傾向を強め、中共支配の弱点となっている。一方漢人民衆にも信仰に救いを求める人が増加している。そのため法輪功をはじめとして非公認の信仰の禁圧事件が起きる。ここには国是の哲学では満たされない庶民がいる。

馬立誠は思想史を総括して、春秋戦国と五四運動(1919~)の二つの時期には、思想文化の飛躍的発展があり黄金期だったという。その時代中央政権は存在しないか脆弱であった。今日中共政権は歴史上最も強固である。
秦漢帝国以後、辛亥革命まで2000年間、儒教は国是の哲学の地位にあり、経典の解釈権も国家が握っていた。いま中共も政権維持のために、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の勝手な解釈は許容しない。
今日中国では、社会主義とは共同富裕・社会的公正・人間の全面的発達とされている。だがそのために思想言論の自由・人権・議会制民主主義を求めれば、ときには弾圧の対象になるだろう。馬立誠は、中国思想潮流の百花斉放を願って、国家権力が思想状況へ干渉しないよう求めている。政権の思惑によっては、彼がいつ弾圧されておかしくない。

Comment
『日本軍国主義への抵抗』が現代中国を作ったから『軍国抵抗主義』が中国を形成している。強い経済と軍隊が必要とされる!
ローレライ (URL) 2016/01/15 Fri 21:28 [ Edit ]
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