2008.05.16
ヒロシマ・ナガサキは平和の闘いの旗印
チェ・ゲバラの長女、アレイダさんが会見
キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの長女、アレイダ・ゲバラさん(47歳)が、市民団体の「アレイダ・ゲバラさん招聘実行委員会」の招きで5月14日来日し、同日午後、東京・東麻布のキューバ大使館で記者会見した。アレイダさんは約2週間滞在し、この間、広島を訪問するほか、東京、大阪、京都、神戸、沖縄・那覇、長野・佐久で講演したり、医療施設を見学する。
記者会見は、チェ・ゲバラとフィデル・カストロ前国家評議会議長の写真が掲げられた同大使館の2階で行われた。50人近い報道関係者が集まり、会見は1時間半に及んだ。
会見では、冒頭、アレイダさん自身による自己紹介があり、その後、報道陣の質問に答えた。
まず、アレイダさんの自己紹介から。
専門は小児科アレルギー専門医です。職場はハバナにあるウイリアム・ソレルという国立病院です。そして、医師としてニカラグワ及びアンゴラで医療援助活動を行ったことを誇りにしています。
14年前から、ICAP(キューバ諸国民友好協会)の協力者として活動しています。ICAPのいろいろな連帯のプログラムに参加しています。それは、キューバのことを世界の各国の国民に知っていただくための活動です。大変意義のある面白い活動です。というのは、キューバのことはなかなか外国に知られていませんし、あるいはアメリカのメディアによって、非常にゆがんだキューバの現実が伝えられているのが実情ですので。そういう意味では、大変意義ある面白い活動です。というのは、キューバ国民の一人として、私たちの経験をそのまま各国民に伝えることができますし、これまで報道されていない、非常に違った対照的な現実がキューバにあるということを皆さんに知っていただけるわけですから。普段目にするマスコミの報道とは違う情報源でキューバのことを聞いてもらえる機会をもつということは意義のあることと思います。
また、ハバナにある「チェ・ゲバラ研究センター」の協力者でもあります。これは、私の母、アレイダ・マルチが所長をしており、チェのメッセージをみんなに伝えるということを目的にしています。
二人の娘がいます。19歳と18歳です。
岩垂 弘 (ジャーナリスト)
キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの長女、アレイダ・ゲバラさん(47歳)が、市民団体の「アレイダ・ゲバラさん招聘実行委員会」の招きで5月14日来日し、同日午後、東京・東麻布のキューバ大使館で記者会見した。アレイダさんは約2週間滞在し、この間、広島を訪問するほか、東京、大阪、京都、神戸、沖縄・那覇、長野・佐久で講演したり、医療施設を見学する。
記者会見は、チェ・ゲバラとフィデル・カストロ前国家評議会議長の写真が掲げられた同大使館の2階で行われた。50人近い報道関係者が集まり、会見は1時間半に及んだ。
会見では、冒頭、アレイダさん自身による自己紹介があり、その後、報道陣の質問に答えた。
まず、アレイダさんの自己紹介から。
専門は小児科アレルギー専門医です。職場はハバナにあるウイリアム・ソレルという国立病院です。そして、医師としてニカラグワ及びアンゴラで医療援助活動を行ったことを誇りにしています。
14年前から、ICAP(キューバ諸国民友好協会)の協力者として活動しています。ICAPのいろいろな連帯のプログラムに参加しています。それは、キューバのことを世界の各国の国民に知っていただくための活動です。大変意義のある面白い活動です。というのは、キューバのことはなかなか外国に知られていませんし、あるいはアメリカのメディアによって、非常にゆがんだキューバの現実が伝えられているのが実情ですので。そういう意味では、大変意義ある面白い活動です。というのは、キューバ国民の一人として、私たちの経験をそのまま各国民に伝えることができますし、これまで報道されていない、非常に違った対照的な現実がキューバにあるということを皆さんに知っていただけるわけですから。普段目にするマスコミの報道とは違う情報源でキューバのことを聞いてもらえる機会をもつということは意義のあることと思います。
また、ハバナにある「チェ・ゲバラ研究センター」の協力者でもあります。これは、私の母、アレイダ・マルチが所長をしており、チェのメッセージをみんなに伝えるということを目的にしています。
二人の娘がいます。19歳と18歳です。
――小児科医になった動機を。それから、両親からどんな影響を受けましたか。
私はお医者さんになりたかった。それには、父からの影響というのが疑いもなく大きかったと思います。それから、もっと時間がたってからですが、私は、たくさんの愛情をキューバの国民から受けました。それにご恩返しをしたかったからです。国民に愛された人の娘であったというだけで、私はたくさんの愛情を得て、育つことができました。それに報いたかったのです。
私が生まれ、育った国、社会は、人間の健康を大変重要に考える国です。医療は人類の権利であるという考え方をしている社会です。だから、私は痛みで苦しむ人とともにいたかった。医療を必要とする人々の近くにいたかった。それが、社会的に最も役に立つ生き方ではないかと考えたからです。
私は、愛情に包まれた両親の愛から生まれたということに確信がもてて、非常に特別な存在なんだいうふうに思います。人間だれしも男と女から生まれてくるわけですけれども、その男と女の間にほんとうに深い、強い魂の結びつきがあり、そこから自分が生まれ出てきたと思えることは、非常に自分が特別な存在に思えるのです。
社会から愛情をもって、理解をもって育てられた者は、やはりその社会で生きることが最高だと思います。人間として自己実現ができる。そういう社会に満足感をもつ。だから、他の社会をみつけようなどとは思いもよりません。
宗教も同じだと思います。例えば、カトリックの家庭で生まれた人は、カトリックの思想で愛情をもって育てられる。そしたら、他の宗教を考えることはなくなると思います。 キューバは社会主義社会。私はそこから大きな愛情と理解をもって教育され、育てられました。だから、この社会で、それをよりよいものにするようにしたい、その社会で自分が役立ちたい、というのが自分の考え方です。
―― どのような思いと期待をもって日本に来られましたか。
キューバの 国民として日本のことをかなりよく知っています。歴史についても。私が幼い頃、日本の映画がキューバで人気がありました。たくさんの日本映画が観られた。三船敏郎とか、サムライ映画とか、忍者とか。それから、第二次大戦、その後の日本についても見聞きしています。日本のテレビ・ドラマがキューバで人気になったこともあります。 テレビのドラマなんかで、第二次大戦中、日本国民がどんな生活をしていたか、戦後どうであったかというのもいろいろ見てきました。ヒロシマ・ナガサキも、そういうことから私たちは知ってきたわけです。
キューバの学校では、ヒロシマ・ ナガサキを非常に重要視して子どもたちに教えています。それは、人間がいかにひどい、大きな破壊力をもつに至ることができたかといういい例であるからです。二度とあのような戦争を起こさないための闘いのもとになる、非常にいい例であるからです。ヒロシマ・ナガサキは、ある国民に対する全く不当な犯罪的な行為です。
私たちは、すべての戦争に反対しています。ヒロシマ・ナガサキは、キューバ国民の、戦争を二度と起こさない平和のための闘いの旗印です。
もちろん、他の時期の日本のことも忘れていません。日本が他の国に侵略し、その国の国民の生活、都市を破壊したことを忘れていません。だからといって、ヒロシマ・ナガサキは決して正当化できる問題ではありません。
人間には、人生で忘れがたいモメント、瞬間というものがいくつかあります。私の広島訪問も、必ずや私の人生で忘れられない瞬間になるはずです。それには、歴史に触れたとか、犠牲者に対する哀悼の気持ち、といったことがもちろんありますが、それにプラスして、広島は私の父が何年も前に訪れたところだからです。ですから、子どもとして、父が歩んだ同じ道をたどることができるのです。父の足跡をたどれるとはまことに素晴らしいことです。それを可能にしてくれた招聘実行委員会の方々に改めてお礼を申し上げたい。
――ブラジルの雑誌で見たが、チベットの抵抗運動のリーダーがチェの信奉者で、チェの写真掲げていた。いろいろなところで、抵抗運動、反体制運動のイメージとしてチェ・ゲバラが使われているが、それについてどう思いますか。それに、チベットの騒乱をどう見ますか。
チェ・ゲバラの写真がこれまで無差別にありとあらゆるものに使われてきましたが、「チェ・ゲバラ研究センター」は制限を設けようという作業をしています。これは、経済的に費用、チャージをとるということではなくて、やはり、チェ・ゲバラへの尊敬という意味で、無差別にどこでも何でもというのはいけないということで制限を設けようとしています。 今は、チェの写真はいまやイコンのようになっていて、内容に関係なく若者が無差別にいろいろなところに使っているという現象があります。だから、イコンではなく、内容のあるもの、人間としてのチェ・ゲバラ はどんな人だったのかということも一緒にしたうえでの普及に努めています。
それには、やはり彼が書いたものをたくさんの人に普及するというのが一番の道ではないかということで、その作業を進めています。彼は、17歳の時にたくさん書いています。何を考え、どういうふうに生きてきたかを。未発表の11の論文、著作が私たちの手元にあるので、それを刊行しようという作業を進めています。幸い、オーストラリアの出版社の協力でこれが刊行されました。
中国は今、特別な状況にあります。そして、国際的なメディアによっていろいろ操作されています。私たちは、ありとあらゆるエレメントがあって判断しているわけではありません。すべての必要なエレメントを、私たちは直接そこにいるわけではないから、持っていません。だから、結論は出せないと思うんです。

( 記者会見するアレイダ・ゲバラさん)
私はお医者さんになりたかった。それには、父からの影響というのが疑いもなく大きかったと思います。それから、もっと時間がたってからですが、私は、たくさんの愛情をキューバの国民から受けました。それにご恩返しをしたかったからです。国民に愛された人の娘であったというだけで、私はたくさんの愛情を得て、育つことができました。それに報いたかったのです。
私が生まれ、育った国、社会は、人間の健康を大変重要に考える国です。医療は人類の権利であるという考え方をしている社会です。だから、私は痛みで苦しむ人とともにいたかった。医療を必要とする人々の近くにいたかった。それが、社会的に最も役に立つ生き方ではないかと考えたからです。
私は、愛情に包まれた両親の愛から生まれたということに確信がもてて、非常に特別な存在なんだいうふうに思います。人間だれしも男と女から生まれてくるわけですけれども、その男と女の間にほんとうに深い、強い魂の結びつきがあり、そこから自分が生まれ出てきたと思えることは、非常に自分が特別な存在に思えるのです。
社会から愛情をもって、理解をもって育てられた者は、やはりその社会で生きることが最高だと思います。人間として自己実現ができる。そういう社会に満足感をもつ。だから、他の社会をみつけようなどとは思いもよりません。
宗教も同じだと思います。例えば、カトリックの家庭で生まれた人は、カトリックの思想で愛情をもって育てられる。そしたら、他の宗教を考えることはなくなると思います。 キューバは社会主義社会。私はそこから大きな愛情と理解をもって教育され、育てられました。だから、この社会で、それをよりよいものにするようにしたい、その社会で自分が役立ちたい、というのが自分の考え方です。
―― どのような思いと期待をもって日本に来られましたか。
キューバの 国民として日本のことをかなりよく知っています。歴史についても。私が幼い頃、日本の映画がキューバで人気がありました。たくさんの日本映画が観られた。三船敏郎とか、サムライ映画とか、忍者とか。それから、第二次大戦、その後の日本についても見聞きしています。日本のテレビ・ドラマがキューバで人気になったこともあります。 テレビのドラマなんかで、第二次大戦中、日本国民がどんな生活をしていたか、戦後どうであったかというのもいろいろ見てきました。ヒロシマ・ナガサキも、そういうことから私たちは知ってきたわけです。
キューバの学校では、ヒロシマ・ ナガサキを非常に重要視して子どもたちに教えています。それは、人間がいかにひどい、大きな破壊力をもつに至ることができたかといういい例であるからです。二度とあのような戦争を起こさないための闘いのもとになる、非常にいい例であるからです。ヒロシマ・ナガサキは、ある国民に対する全く不当な犯罪的な行為です。
私たちは、すべての戦争に反対しています。ヒロシマ・ナガサキは、キューバ国民の、戦争を二度と起こさない平和のための闘いの旗印です。
もちろん、他の時期の日本のことも忘れていません。日本が他の国に侵略し、その国の国民の生活、都市を破壊したことを忘れていません。だからといって、ヒロシマ・ナガサキは決して正当化できる問題ではありません。
人間には、人生で忘れがたいモメント、瞬間というものがいくつかあります。私の広島訪問も、必ずや私の人生で忘れられない瞬間になるはずです。それには、歴史に触れたとか、犠牲者に対する哀悼の気持ち、といったことがもちろんありますが、それにプラスして、広島は私の父が何年も前に訪れたところだからです。ですから、子どもとして、父が歩んだ同じ道をたどることができるのです。父の足跡をたどれるとはまことに素晴らしいことです。それを可能にしてくれた招聘実行委員会の方々に改めてお礼を申し上げたい。
――ブラジルの雑誌で見たが、チベットの抵抗運動のリーダーがチェの信奉者で、チェの写真掲げていた。いろいろなところで、抵抗運動、反体制運動のイメージとしてチェ・ゲバラが使われているが、それについてどう思いますか。それに、チベットの騒乱をどう見ますか。
チェ・ゲバラの写真がこれまで無差別にありとあらゆるものに使われてきましたが、「チェ・ゲバラ研究センター」は制限を設けようという作業をしています。これは、経済的に費用、チャージをとるということではなくて、やはり、チェ・ゲバラへの尊敬という意味で、無差別にどこでも何でもというのはいけないということで制限を設けようとしています。 今は、チェの写真はいまやイコンのようになっていて、内容に関係なく若者が無差別にいろいろなところに使っているという現象があります。だから、イコンではなく、内容のあるもの、人間としてのチェ・ゲバラ はどんな人だったのかということも一緒にしたうえでの普及に努めています。
それには、やはり彼が書いたものをたくさんの人に普及するというのが一番の道ではないかということで、その作業を進めています。彼は、17歳の時にたくさん書いています。何を考え、どういうふうに生きてきたかを。未発表の11の論文、著作が私たちの手元にあるので、それを刊行しようという作業を進めています。幸い、オーストラリアの出版社の協力でこれが刊行されました。
中国は今、特別な状況にあります。そして、国際的なメディアによっていろいろ操作されています。私たちは、ありとあらゆるエレメントがあって判断しているわけではありません。すべての必要なエレメントを、私たちは直接そこにいるわけではないから、持っていません。だから、結論は出せないと思うんです。

( 記者会見するアレイダ・ゲバラさん)
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