2008.05.17
将軍たちにつける薬はないか
ミャンマーに巨大サイクロン
インド洋で発生した巨大サイクロンが5月3日ミャンマーを襲い、死者・行方不明者6万人を超す大惨事になったことは世界中のメディアで報道されている。問題は現在ミャンマーを統治している軍事政権が自国民被災者の救援活動に後れを取り、海外からの救援物資の搬入を遅らせたり、現地で救援作業に当たる活動家の入国ビザを拒否するなど、国際救援活動を事実上妨害していることだ。緊急救難活動が実行されれば多数の人命が救われただろうに、軍政当局の無責任な対応によって犠牲者が増えたことは間違いない。この国の人々は自然災害に加え将軍たちの人災で犠牲を増やしたのだ。
悪名高い現在のミャンマー軍事政権は、1988年に旧来の軍事政権を倒した学生・民主勢力の決起を武力で押しつぶした将軍たちによるものだ。1990年に行った民主的な総選挙でノーベル平和賞のアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したのに、軍政は選挙前の公約に反して政権を渡さず、その後18年もの間NLDや学生たちを投獄し、民主勢力を弾圧して軍事ファシスト支配を続けてきた。とりわけ昨年9月、僧侶を先頭とする反政府デモが広がると、軍隊を動員して実弾射撃によりデモ隊を解散させた。この様子を取材中だったカメラマンの長井健司さん(当時50)が、弾圧部隊の兵士に射殺されたことはまだわれわれの記憶に新しい。
ある地方紙のコラムは「常軌を逸した振る舞いというほかはない」とミャンマー軍政のサイクロン被害への対応を厳しく批判した。とてつもない被害を受けた国民のことより、まず自分たちの保身を優先したとしか言えない対応だったからだ。ミャンマーとは比較的良い関係にあるタイのサマック政権がヤンゴン(旧ラングーン)に派遣したタイ陸軍の高官は、ミャンマー副外相に国外からの人的支援の積極的受け入れを要請したところ、「人は間に合っている」と外国人の受け入れを拒否する構えを示した。軍政は外国人と住民の接触で軍政批判が高まることを恐れており、入国ビザの発給を遅らせているのだ。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
インド洋で発生した巨大サイクロンが5月3日ミャンマーを襲い、死者・行方不明者6万人を超す大惨事になったことは世界中のメディアで報道されている。問題は現在ミャンマーを統治している軍事政権が自国民被災者の救援活動に後れを取り、海外からの救援物資の搬入を遅らせたり、現地で救援作業に当たる活動家の入国ビザを拒否するなど、国際救援活動を事実上妨害していることだ。緊急救難活動が実行されれば多数の人命が救われただろうに、軍政当局の無責任な対応によって犠牲者が増えたことは間違いない。この国の人々は自然災害に加え将軍たちの人災で犠牲を増やしたのだ。
悪名高い現在のミャンマー軍事政権は、1988年に旧来の軍事政権を倒した学生・民主勢力の決起を武力で押しつぶした将軍たちによるものだ。1990年に行った民主的な総選挙でノーベル平和賞のアウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したのに、軍政は選挙前の公約に反して政権を渡さず、その後18年もの間NLDや学生たちを投獄し、民主勢力を弾圧して軍事ファシスト支配を続けてきた。とりわけ昨年9月、僧侶を先頭とする反政府デモが広がると、軍隊を動員して実弾射撃によりデモ隊を解散させた。この様子を取材中だったカメラマンの長井健司さん(当時50)が、弾圧部隊の兵士に射殺されたことはまだわれわれの記憶に新しい。
ある地方紙のコラムは「常軌を逸した振る舞いというほかはない」とミャンマー軍政のサイクロン被害への対応を厳しく批判した。とてつもない被害を受けた国民のことより、まず自分たちの保身を優先したとしか言えない対応だったからだ。ミャンマーとは比較的良い関係にあるタイのサマック政権がヤンゴン(旧ラングーン)に派遣したタイ陸軍の高官は、ミャンマー副外相に国外からの人的支援の積極的受け入れを要請したところ、「人は間に合っている」と外国人の受け入れを拒否する構えを示した。軍政は外国人と住民の接触で軍政批判が高まることを恐れており、入国ビザの発給を遅らせているのだ。
こうした状況に潘基文(バンキムン)国連事務総長は5月12日の記者会見で、「受け入難い対応の遅さに深い懸念と大いなる欲求不満(frustration)を表したい」と述べ、厳しい表現で不満を表明した。同事務総長は災害発生以来4日間にわたってミャンマー軍政トップのタン・シュエ大将に電話で直接話し合おうとトライしたが、電話会談を断られ続けたという。国連事務総長としては異例の強い批判だった。さらに事務総長は、軍政の非協力により被災者に速やかに支援物資を届けられない実情を暴露、タン大将に全面的な支援受け入れを求める2度目の書簡を送ったことを明らかにした。この席で国連緊急援助調整官室(OCHA)が明らかにしたところによると、ミャンマー側は12日までにやっと国連関係援助要員ら34人に入国ビザを認めたという。申請者は100人以上で、発給までに10日以上待たされた。
ミャンマー政府は5月13日、これまでに判明した死者は34,273人、行方不明者は27,836人と発表した。しかしOCHAはこれより先、最も被害の大きかったイラワディ・デルタを中心にヤンゴン地区まで55地区を分析した結果として、行方不明者を22万人、死者は6万3千人から最大10万2千人、被災者は120万人から190万人と推定する数字を明らかにした。OCHAをはじめ海外の人道援助を専門とするNGO(非政府機関)の要員たちは、一刻も早く被災地に緊急支援物資(飲料水、下痢止めや抗生物質などの薬品、蚊帳、食料品など)を届けたいと焦っている。
ミャンマー国営TVや軍事政権公認の新聞は、軍服を着た軍人たちが被災者に救援物資を配っている写真や映像を誇示している。こうしたシーンは軍政のプロパガンダ用に用意された、その場限りのもので、圧倒的多数の被災者は事実上放置されている。生き残っ被災者も、家族を失い、住宅を失い、食料を失い、家畜を失った。お寺や残った板材で建てた堀っ立て小屋で生活する人々にきれいな水を届けなければ、伝染病による二次災害も憂慮される。しかもミャンマー南部はこれから雨期に入る。ばい菌が繁殖する季節だ。
軍政側は5月12日ようやく、救援物資を満載した米空軍とオーストラリア空軍の輸送機各1機のヤンゴン乗り入れを認めた。翌13日には米空軍機2機が乗り入れた。タイ海軍との合同演習のためミャンマー近海にいる米海軍艦船も物資輸送に協力する用意があるとミャンマー側に申し入れているが、返事はない。04年暮れのインド洋大津波の際は、米軍のヘリや固定翼機が物資輸送に大きな貢献をした。しかし国際的に孤立し、自ら鎖国体制を敷いているミャンマー軍政の将軍たちは、災害時の人道援助が国家主権の壁を越えてワールドワイドに広がっていることを無視するつもりだろう。彼らが米軍機の乗り入れを認めたことは、何を意味するだろうか。
ミャンマー軍政の民主主義否定、人権侵害、野党弾圧に最も強い怒りを明らかにしているのはアメリカだ。1962年ネ・ウィン将軍がクーデターで政権を握って以来46年の間、この国は軍人に支配され続けてきた。1988年の民主化闘争で旧軍政は倒れたものの、タン・シュエ大将らによる新しい軍政が不法に権力を握り続けている。米国を先頭とする欧米諸国はミャンマーに経済制裁を発動して反省を迫っているが、将軍たちが態度を改めることはない。しかしアフガン、イラク侵攻を敢えてした米国に、ミャンマーの将軍たちは恐怖を感じただろう。軍事政権は2005年3月、突如としてヤンゴンから北方320キロのビンマナに首都を移転し、新首都をネピドーと任命した。首都移転は米軍の侵攻をかわすためだとされる。
国際的に孤立したミャンマー軍政だが、最大の友好国は北部国境を接する中国である。中国はかつて白旗共産党という反ネ・ウィンのゲリラ部隊を支援して、当時のビルマ(現ミャンマー)に恐れられた存在だった。しかし1988年のクーデターで現軍政グループが権力を握ると、中国だけがこの政権と友好関係を保った。そのことがミャンマーの別な隣邦、すなわちインドや東南アジア諸国を危惧させた。もしミャンマーが中国の“属国”になれば、インドも東南アジア諸国も中国の脅威と直接向き合うことになる。こうして欧米諸国が人権無視・反民主のミャンマーを敵視し、国際的孤立に追い込む中で、中国、インドはミャンマーを取り込み、東南アジア諸国連合(ASEAN)もミャンマーを加盟させることになったのである。
さてその中国でも5月12日、四川大地震が発生した。ミャンマーの災害救援対策に注がれる視線は分散された。メディアの関心はミャンマーから中国に移った。ミャンマーと違って中国は外国報道陣の被災地入りを認めた。チベットへの自由な立ち入りを認めないのとは異なる対応だ。1976年河北省の唐山で起きた大地震は犠牲者24万人超という大災害だったが、改革開放以前の中国は外国報道陣の取材を許すどころか、事実上の報道管制を敷いた。これほどの大災害だったことが明るみに出たのは1980年代、改革開放が本格化して以後のことだった。当時の中国は現在のミャンマーと同様、国の恥部を外国にさらすべきでないと考えていたようだ。
しかし四川大地震の現場には多くの外国報道陣が駆けつけ、その惨状が世界的に流されている。その映像やレポートには、遅れた中国農村の実情も容赦なく映し出される。地震で壊れた貧しい農家の様子は、北京、上海で暮らす外国人記者が普段目にするものとは大違いだ。だがこのようにショッキングな現場を伝えることこそ、トータルな現代中国の理解につながる。一方46年間の鎖国体制に安住しているミャンマーの将軍たちは、まだ主権国家の壁によって自分たちの権力は護られると考えているのだろう。将軍たちにつける薬はないだろうか。
ミャンマー政府は5月13日、これまでに判明した死者は34,273人、行方不明者は27,836人と発表した。しかしOCHAはこれより先、最も被害の大きかったイラワディ・デルタを中心にヤンゴン地区まで55地区を分析した結果として、行方不明者を22万人、死者は6万3千人から最大10万2千人、被災者は120万人から190万人と推定する数字を明らかにした。OCHAをはじめ海外の人道援助を専門とするNGO(非政府機関)の要員たちは、一刻も早く被災地に緊急支援物資(飲料水、下痢止めや抗生物質などの薬品、蚊帳、食料品など)を届けたいと焦っている。
ミャンマー国営TVや軍事政権公認の新聞は、軍服を着た軍人たちが被災者に救援物資を配っている写真や映像を誇示している。こうしたシーンは軍政のプロパガンダ用に用意された、その場限りのもので、圧倒的多数の被災者は事実上放置されている。生き残っ被災者も、家族を失い、住宅を失い、食料を失い、家畜を失った。お寺や残った板材で建てた堀っ立て小屋で生活する人々にきれいな水を届けなければ、伝染病による二次災害も憂慮される。しかもミャンマー南部はこれから雨期に入る。ばい菌が繁殖する季節だ。
軍政側は5月12日ようやく、救援物資を満載した米空軍とオーストラリア空軍の輸送機各1機のヤンゴン乗り入れを認めた。翌13日には米空軍機2機が乗り入れた。タイ海軍との合同演習のためミャンマー近海にいる米海軍艦船も物資輸送に協力する用意があるとミャンマー側に申し入れているが、返事はない。04年暮れのインド洋大津波の際は、米軍のヘリや固定翼機が物資輸送に大きな貢献をした。しかし国際的に孤立し、自ら鎖国体制を敷いているミャンマー軍政の将軍たちは、災害時の人道援助が国家主権の壁を越えてワールドワイドに広がっていることを無視するつもりだろう。彼らが米軍機の乗り入れを認めたことは、何を意味するだろうか。
ミャンマー軍政の民主主義否定、人権侵害、野党弾圧に最も強い怒りを明らかにしているのはアメリカだ。1962年ネ・ウィン将軍がクーデターで政権を握って以来46年の間、この国は軍人に支配され続けてきた。1988年の民主化闘争で旧軍政は倒れたものの、タン・シュエ大将らによる新しい軍政が不法に権力を握り続けている。米国を先頭とする欧米諸国はミャンマーに経済制裁を発動して反省を迫っているが、将軍たちが態度を改めることはない。しかしアフガン、イラク侵攻を敢えてした米国に、ミャンマーの将軍たちは恐怖を感じただろう。軍事政権は2005年3月、突如としてヤンゴンから北方320キロのビンマナに首都を移転し、新首都をネピドーと任命した。首都移転は米軍の侵攻をかわすためだとされる。
国際的に孤立したミャンマー軍政だが、最大の友好国は北部国境を接する中国である。中国はかつて白旗共産党という反ネ・ウィンのゲリラ部隊を支援して、当時のビルマ(現ミャンマー)に恐れられた存在だった。しかし1988年のクーデターで現軍政グループが権力を握ると、中国だけがこの政権と友好関係を保った。そのことがミャンマーの別な隣邦、すなわちインドや東南アジア諸国を危惧させた。もしミャンマーが中国の“属国”になれば、インドも東南アジア諸国も中国の脅威と直接向き合うことになる。こうして欧米諸国が人権無視・反民主のミャンマーを敵視し、国際的孤立に追い込む中で、中国、インドはミャンマーを取り込み、東南アジア諸国連合(ASEAN)もミャンマーを加盟させることになったのである。
さてその中国でも5月12日、四川大地震が発生した。ミャンマーの災害救援対策に注がれる視線は分散された。メディアの関心はミャンマーから中国に移った。ミャンマーと違って中国は外国報道陣の被災地入りを認めた。チベットへの自由な立ち入りを認めないのとは異なる対応だ。1976年河北省の唐山で起きた大地震は犠牲者24万人超という大災害だったが、改革開放以前の中国は外国報道陣の取材を許すどころか、事実上の報道管制を敷いた。これほどの大災害だったことが明るみに出たのは1980年代、改革開放が本格化して以後のことだった。当時の中国は現在のミャンマーと同様、国の恥部を外国にさらすべきでないと考えていたようだ。
しかし四川大地震の現場には多くの外国報道陣が駆けつけ、その惨状が世界的に流されている。その映像やレポートには、遅れた中国農村の実情も容赦なく映し出される。地震で壊れた貧しい農家の様子は、北京、上海で暮らす外国人記者が普段目にするものとは大違いだ。だがこのようにショッキングな現場を伝えることこそ、トータルな現代中国の理解につながる。一方46年間の鎖国体制に安住しているミャンマーの将軍たちは、まだ主権国家の壁によって自分たちの権力は護られると考えているのだろう。将軍たちにつける薬はないだろうか。
| Home |




