2016.01.28 圧倒的な直接取材で解き明かす中東の現在
川上泰徳著 『中東の現場を歩く―激動20年の取材のディテール』 合同出版、2200円、発行年月日: 2015年12月15日

坂井定雄(龍谷大学名誉教授)

著者は、朝日新聞の中東専門記者を20年余にわたり務め続け、昨年1月に退社して本拠地をエジプト・アレキサンドリアに移し、本書を書きあげた。わたしが最も信頼し、情報・分析のよりどころとしてきた、ジャーナリスト。
達者なアラビア語を駆使して、戦争・紛争が続く中東で、各地の人々とのインタビューを重ね、理解し、分析して書いたリポートを一冊にまとめ上げたのが本書である。本書は小難しい理屈や引用でページを埋めたような中東本や論文とは全く違う。インタビューする著者と答える中東の人々の生の姿が、目に見えるような、ジャーナリストの躍動と苦労のルポルタージュなのだ。可能な限りインタビューを、対立する、あるいは立場の異なる当事者、関係者たちと行い、重ねるのが、彼の取材手法の柱。本書は緊張感に満ちた、取材記録ともいえる。
7章にわたる本書の第1章「オスロ合意と制裁下のイラク」のスタートは、パレスチナとイスラエルの歴史的な和平協定になるはずのオスロ合意の調印が行われた、1993年のワシントン。オスロ合意に対しては多くのパレスチナ人たちが疑念と不安を抱いていた。調印式の前夜、パレスチナ側の本部になったホテルの地下ホールにPLO(パレスチナ解放機構)議長の故ヤセル・アラファトが初めて現れ、「アラファト、アラファト」「パレスチナ、パレスチナ」の大合唱で迎えた在米パレスチナ人に対して、アラビア語だけの演説を始めた。アラファトは「ハッタ・クドス(エルサレムまで)!」のアラビア語に力を籠め、演説を締めくくった。アラファトの記者会見は予定されてなく、各国記者団は既に引き上げており、残ってパレスチナ人たちの取材を続けていた著者だけの報道になった。
第2章「9.11事件とパレスチナ・第2次インティファーダ」は、パレスチナ人の不安どおり、イスラエルの占領地からの撤退どころか入植地拡大が続き、ついに2000年9月からパレスチナ人たちの第2次インティファーダ(武装抵抗)が始まり、過激派の自爆テロとイスラエル軍の報復攻撃が繰り返されるようになった時期。エルサレム支局長だった著者は、自爆テロでイスラエル兵2人を殺害したパレスチナ人の青年(23)の自宅を探し当て、悲しみに暮れる両親から息子について取材し、両親への遺書をみせてもらった。本書では遺書を再録し次のように書いているー「この遺書を読んで、わたしは驚いた。イスラエルの占領を批判するような言葉が並んでいるのかと考えていたが、実際には政治的な事柄が少なく、『(この世は)虫の羽ほどの価値もない』と現世を否定的にとらえ、天国に行くことの素晴らしさを強調していた。自爆作戦(=殉教作戦)とは実行者にとっては政治的な行為というよりも、宗教的な行為だということを理解した」

 一方著者は、第2次インティファーダが始まって以来続出した、イスラエル青年とインタビューし、集団で兵役拒否を軍に伝えた高校生たちと手紙を往復している。ある手紙は「私たちは良心に従って、パレスチナ人への抑圧に関わるのを拒否します。その行為はテロ行為と呼ばれて然るべきものです」と結ばれていた。
第2章は次のように結ばれている―「エルサレム特派員としては、状況の悪化の中で、毎日のように暴力的な出来事を記事として書いた。しかし、ジャーナリストが暴力に麻痺してはならないと考えた。そのために常に平和の可能性を探り、平和の声をすくい取るしかないとおもった。」
第3章以降は、現在のすさまじい中東危機を生み出した、米ブッシュ政権が強引に開始したイラク戦争と「拡大中東構想」の実態が、著者の豊富な現地取材の積み重ねを柱にしてリポートされ、解き明かされている。
第3章「イラク戦争と戦後の混乱」では米軍の戦争の実態とともに日本からサマワに派遣された自衛隊についてもリポートされている。第4章「米国の民主化の挫折と深まる危機」では、イラク戦争と米国の政策が中東にもたらした影響を追及している。
第5章「『アラブの春』とエジプト革命」は、カイロ支局長だった著者による、中東の「アラブの春」の民主革命の生き生きとした取材、報道記録でもある。特にエジプトの2011年「1月25日革命」では、それをリードした若者たちや中心地のタハリール広場でのデモ参加者たちを幅広く取材し、革命を解明している。著者の「1月25日革命」の報道は、国際的にも最も優れていたと思う。
第5章ではサラフィー主義の台頭にも多くのページが割かれている。サラフィー主義はイスラム教徒により厳格なイスラム法の実行を求める「イスラム厳格派」。そのための戦いを「聖戦」とする。さまざまな宗派・組織があり、サウジアラビア王政はサラフィー主義で統治している。エジプトのサラフィー派政党は、独裁政権下でも非暴力を守って組織と活動を維持してきたが、革命後、より穏健なムスリム同胞団と手を結んで、議会選挙で勢力を大きく伸ばした。著者は「アラブの春」でのサラフィー主義の拡がりと、挫折後の過激化に注目した。(過激なサラフィー主義を、聖戦派、過激派と呼ぶことも多い)
第6章は「噴出した暴力・「アラブの春」その後」、第7章は「「イスラム国」はどこから来たのか」。「アラブの春」が暗転、エジプトでの軍のクーデターや、シリアのアサド政権による民主化勢力の過酷な弾圧から内戦が拡がった。著者は「イラクで生まれた戦闘的反米聖戦組織が、「アラブの春」の若者たちのエネルギーを吸収して生まれたのが「イスラム国」」「世界は今、「イスラム国」という暴力が凝縮したような存在と対峙することとなった。」と書く。そして本書を「日々内戦の死者が増え、難民が増えているのに国際社会が本気で事態の正常化にかかわろうとせず、「イスラム国」への空爆という不毛な対処療法だけで時間を無駄に費やすならば「イスラム国」をさらに肥大化させることになる」と結んでいる。

Comment
『アラブの春アメリカ陰謀論』はエジプト軍部やロシア、イランが解説してるが誰か取材してもらいたい。
ローレライ (URL) 2016/01/29 Fri 12:32 [ Edit ]
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