2016.02.17  モルシ大統領、同胞団幹部たちに死刑判決続出
          「1月25日革命から5年」②

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 「1月25日革命」を先導したのは、「4月6日運動」グループをはじめリベラルな若者たちだった。SNS(ネット・メディア)を駆使して、ムバラク政権の腐敗、民主主義と自由への抑圧の事実を伝え、抗議行動への参加を呼び掛けて、タハリール広場のデモをスタートさせた。若者たちに続いてムスリム同胞団とさまざまな政党や一般市民が加わり、中でも同胞団が治安警察や政権政党の手先のごろつき集団に立ち向かう最前列に位置して、ムバラク政権崩壊までの18日間の巨大デモを支えた。この間、軍は中立を維持し、国民の信頼感が高まった。
 軍による暫定統治のもと、国際監視下に行われた大統領選挙で、同胞団のモルシが勝利、2012年6月30日に就任した。モルシは8月にスタートした実務型新内閣の国防相に、ムバラクの後を継いだタンタウイ軍最高評議会議長を任命したが、わずか4日後に軍情報法部長官のシーシに代えた。シーシは軍の序列では5番目以下とみられ、その力量も、どれほど軍全体を掌握しているのかも不明だった。しかし、モルシはシーシを高く評価していたようだ。シーシも軍全体も、しばらくはモルシ政権を静かに支えていた。
 そのシーシが、モルシ大統領就任1周年の13年6月30日にクーデターを起こした。軍と治安警察は、モルシをはじめ、ムスリム同胞団の幹部、活動家2千人以上を逮捕、投獄し、同胞団を非合法化した。ほとんどムバラク時代の旧体制のままだった司法―検察と裁判所は、シーシの意のままに、様々な罪状で起訴し、死刑を含む重罪判決を下した。
クーデターから約2年後の2015年5月、裁判所はモルシと共犯容疑者104人に対して死刑判決を下した。モルシの罪状は、2011年の「1月25日革命」のさなかにワディ・ナドロン刑務所で発生した集団脱獄事件を企て、実行したということだった。モルシ以外の被告はパレスチナ人で、ガザのイスラム組織ハマスのメンバーとされ、モルシ以外は欠席裁判だった。当時、多くの刑務所や警察署から看守や警察官が姿を消し、投獄や拘留されていた人たちが多数脱走した。その中には、悪質な一般犯罪人もいて、犯罪が各所で発生、市民たちは自警団を組織していた。モルシにはこの裁判以前に、大統領在職中に反対勢力の逮捕と拷問を命じたという罪で、投獄20年の判決を受けていた。
 同じ裁判官は同日、別件のスパイ容疑で、ムスリム同胞団の著名な副団長アルシャターを含む16人に死刑判決を下した。
 同胞団員の裁判は、カイロのほか各地で行われ、報道規制もあるために、全容を正確に把握しにくいが、モルシへの死刑判決の時点で、BBCは「すでに数百人に達している」と伝えており、その後も増えていることは確実だ。ただし、死刑の執行には、イスラム教最高指導者の同意が通例となっており、執行されたのはまだ一人だけのようだ。
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