2016.03.11  「私の「東日本大震災」体験」から五年
   ―柳田邦男『終わらない原発事故と「日本病」』を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 私は著者柳田邦男(1934~)の良い読者ではなかった。NHK出身の「事故の調査報告の専門家」というほどの認識であった。

《『アサヒグラフ』原爆特集が原点》
 高校一年生の時に見た『アサヒグラフ』の原爆特集号、NHK入局頃に見た土門拳写真集『筑豊のこどもたち』からの衝撃が、著者柳田邦男の問題意識の原点だった。最初の勤務地が広島だったのも「啓示」だったと書いている。いずれも大きな一撃だった。
1966年の全日空東京湾事故など連続事故のドキュメント『マッハの恐怖』(1971)から出発した著者は、初期作品に航空機事故の関連書が多い。そして次第に水俣病、塵肺(じんぱい)被害など公害・医療へと関心が広がり、阪神淡路大震災、新潟県中越地震などの自然災害、東日本大震災以前の原発事故にまでテーマは拡大した。
本書は、文庫版250頁の小冊子であり、執筆時期も21世紀初めの10年に集中しており、調査自体の解説が多い。つまり柳田作品のごく一部である。しかし、年々深化する問題意識、事故と災害の徹底した分析、問題点と改善策の提示、が真摯に表現されている。

《被害者視線と「二・五人称」と被害全調査》
 現場を見ない官僚行政、その組織の「線引き主義」と「不作為の放置」、利益追求に発する企業の隠蔽体質、裁判官の狭窄した視界、などが様々な個別事例により検証され、指弾される。それらの病理を総称して著者は「日本病」と名付けるのである。これに抵抗して一定の成果を勝ち得た少ない事例も紹介され感動を呼ぶ。
著者の視線は一貫して被害者と同じ高さを保っている。そして官僚に対しては、後述の「二・五人称」の必要性を強調する。
著者は書いたり言うだけではない。「水俣病問題に係る懇談会」(環境大臣との私的懇談会)、福島第一原発の政府事故調の委員としても調査に加わり提言を行った。
前者は、事故発生後半世紀後の2006年に設けられたが、著者は次のように提案した。(本書103頁、引用は■から■まで)

■住民が被害者を単なる対象としてしか見ない「乾いた三人称の視点」から、客観性を考慮しつつも被害者(一人称)や家族(二人称)に寄り添う道を探る「潤いのある二・五人称の視点」に、官僚の意識を転換しなければならない。その具体化のために、関係法律で「行政倫理」を明記し、政府内にさまざまな事件の原因調査と安全提言を行う常設の「いのちの安全調査委員会」や、各省庁に「被害者・家族支援担当部局」を設けること。

〈追記〉これらの提言は、環境省においても、政府全体においても、無視され続けている。そして、福島原発事故が起きたのだ。■

後者について著者は、高市早苗自民党政調会長(当時)の「それ(原発事故)によって死亡者が出ている状況ではない」との発言を批判して、2013年6月に書いた「原発事故被害の全調査こそ」という文章で次のように述べている。(本書67~68頁)

■高市氏は、災害関連死のことも福島の人々の苦しみも知っていると、後で弁明しているが、情報として知っているということと、本当に被害者の身になって受け止めているかということには、雲泥の差がある。
だから、政府の福島原発事故調の報告書は、提言の最期に、原発事故による深く広い「人間の被害」の全容調査に政府が取り組むべきことを力説した。その詳細な事実こそ、被害者支援、復興、安全対策の基盤になるからだ。
だが、政府は二年たとうとしてもその取り組みをしない。これでは水俣病と同じように、十年、二十年、三十年とたつても問題の本質的な解決はできなくなるだろう。■

《死生観・宗教観に達する深刻なテーマ》
 東日本大震災は、著者がそれまで追い続けた、あらゆる厄災を超える異次元の災害であった。詳述するまでもない。著者の表現とは異なるが、「3・11」で日本人だけでなく、人類の、文明観、世界観、技術観に大きな変化をもたらしたといっても過言ではあるまい。
予てから『ガン回廊の朝』などで「死への問題」に関心をもっていた著者は、地震と原発事故への精神的療法として、死生観、宗教観までを射程に入れた「スピリチュアルケア」の必要を強調している。
過去の「3・11」だけではない。一年間に死ぬ日本人の数は、2020年には150万人を超え、2030年には170万人を超えるという。そういう近未来も予想する著者はグリーフケア(悲嘆者を癒やすケア)やホスピス(緩和ケア病棟)用意の緊急性を提起している。問題は深刻だというのである。

それを見ない振りをして、原発の再稼働や輸出、「強い日本」を作るなどという首相がいる。彼を支持している人々は、私には集団自殺の道を求めているようにみえる。これは右とか左といって済む問題ではないのである。テクノロジーや官僚制の暴力に対する人間の自立が問われているのである。
本書の基調トーンは楽観的ではないが、一方で人間の崇高さを宗教的な美しさで叙述した場面もあり、読者を絶望感に陥れるものでは決してない。

五年前にオロオロと都心を歩き続けてから「私は何をしてきたのか」。反原発を口ではいうが大したことはしていない。心身とも老いてもう直ぐに半寿となる。空元気のウソは書きたくない。考えあぐねた末、柳田著作の読後感で「私の「東日本大震災」体験から五年」とすることにした。(2016/03/08)

■柳田邦男『終わらない原発事故と「日本病」』、新潮文庫、新潮社2016年3月刊、520円+税
Comment
■5年前の混乱した体験記に関心ある読者は次をクリックして下さい。

私の「東日本大震災体験」
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1510.html
半澤健市 (URL) 2016/03/11 Fri 09:55 [ Edit ]
■著者の第一作『マッハの恐怖』執筆契機を「日本航空」事故と書きましたが、正しくは1966年に起きた「全日空」などの連続事故を取材したものでした。拙稿を一部修正しました。
半澤健市 (URL) 2016/03/12 Sat 10:12 [ Edit ]
慙愧の思いにさいなまれるのは誰しもである。黒澤明の映画「生き物の記録」は1955年、第五福竜丸(夢の島に展示場があります)の被爆事件に対する反応であった。三船敏郎の演ずる鋳物工場の経営者、喜一は、原水爆の恐怖から逃れるために全財産を投げうってブラジルへの移住を計画する。当然のように家族は反対し喜一は禁治産者に指定され、計画は挫折する。映画は黒澤の世界的名声にもかかわらず記録的な不入りに終った。牧師にして歌人の大木英二は「火を知りて成りし文明危ふきに、今なほ懲りず燃す原子の火」と歌っていた。
三船の演技は現実から浮き上がって見えた。大木の作品は短歌として座りがどうかと思われた。これらの前に警告がなかったわけではない。「新聞報道などを信じてはならない。原子力の平和利用も放射能による被害の問題を解決せず、いずれ、地球上の海の水が全部放射能をもつようになるであろう」と説いた社会科学者がいた。
原発ムラの「専門家」たちが暗躍し、言論は封殺され、チェルノブイリの事故がどんなものであるかもほとんど知らされないままで来た。「国家というのは自国の問題や権力を守ることのみに専念し、人は歴史の中に消えていくのです。だからこそ、個々の人間の記憶を残すことが大切なのです。」ノーベル文学賞受賞者、スベトラーナ・アレクシェービッチが伝える教訓です。さしあたっては東京電力トップ・スリーの強制起訴の成り行きに注目しています。
shoji oshima (URL) 2016/03/12 Sat 13:10 [ Edit ]
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack