2016.03.29   高校入試の制度疲労から考える
    広島県の中学生自殺事件について

小川 洋(大学教員)

広島県の中学生自殺事件について、新聞記者から電話取材を受けた。メディアでは、自殺は、パソコン記録の誤った万引き記録を学校が修正せず、推薦を否定したのが原因である、との論調で伝えられている。しかし、体罰やイジメによる自殺事件と比べて、コメントが難しい。高校教育が準義務化(進学率98%以上)している現在、大半の国民は高校進学を経験し、その際に多かれ少なかれ「大人の世界」を体験する。この事件にも複雑な背景があるのだろうと、想像せざるをえないからだ。
高校進学では浪人という選択肢はほとんどない。教員は、生徒全員の進学先を確実にしなければならない。しかし、少しでも世評の高い高校へ進学したいという、本人や保護者のプライド(希望)も尊重しなければならない。さらに、少しでも優秀な生徒を少しでも多く、公立高校入試以前に確保したいという、私立学校の思惑が働く。選考基準の曖昧な推薦入試はそこに成り立つ。私立高校と中学校との間には、成績優秀な生徒と抱き合わせに成績の芳しくない生徒を何人か受け入れる取引が、阿吽の呼吸で成り立つケースさえある。
さまざまな思惑が錯綜する環境のなかで、子どもたちは選択を迫られる。その環境は、都道府県単位の入試制度のありようによって異なるから、県を超えると分かりにくい。自殺した生徒が、どのような高校進学を望んでいて、どうしてそこまで追い詰められたのが分かりにくい。生徒の自殺の動機も、自分の希望が断ち切られたというものではなく、進路選択に悩んだ結果だった可能性もある。以下、いくつか疑問点などについて書いておきたい。

第一に、技術的な点から。なぜ指導記録が誤ったまま参考にされてしまったかである。学校にもパソコン環境は広がっているが、技術的には覚束ない点がある。大学には情報管理を専門とする職員が置かれているのが普通であるが、高校以下の学校にはそのような職種はない。この中学校の生徒指導記録はパソコン入力されていたという。そのソフトは教員の手作りではなかったか。学校には必ずパソコンを得意とする教員がいる。自己流でソフトを作成するので、作成者に転勤されると後の教員は、仕組みがわからないまま、データを追加入力することになる。修正の仕方や確認の仕方も教員の間に共有されていなかったのかもしれない。手書きの資料ならば、多少の疑問が生じたときは、筆跡などから情報源を辿り、情報の修正がされやすいが、パソコンのモニター上に現れた情報は、そのような行動を生じにくい。デジタル化の落とし穴である。

第二に、推薦入試とは何かという点である。高校入試に推薦入試が制度的に導入されたのは、70年代、一般入試(学力テスト)に先立って、職業高校が内申書と面接によって行う入試が導入されたのが初めである。偏差値体制が明確になり職業高校が、ピラミッド的な構造の下位に置かれるようになった時期である。生徒募集で競争力の劣る高校にアドバンテージを与えたのである。生徒の方も、職業高校と同レベルの普通科高校とどちらを選ぶか迷った時、推薦入試で早めに合格をとれれば精神的にも楽であるし、もし不合格になっても一般入試を受け直せるメリットがあった。
推薦入試は競争力のある上位校ほど、利用に積極的ではない。今春、東京大学が推薦入試を導入して話題になっているが、条件は科学や数学の国際オリンピック出場などであった。一般入試でも合格したであろう高校生を早めに確保したに過ぎない。今回の合格者は入学定員のわずか2.6%である。学校の社会的な威信や権威などの強さと、応募する側の競争力(学力など)のバランスのうえに、推薦入試は成り立っている。今回の事件では、同じ中学から以前に進学した者が、高校で素行問題を起こしたため、推薦枠を取り消されそうになったので、中学側が神経質になっていたという報道があった。これが事実ならば、世評のそれほど高くない高校だが、中学校としては枠を取り消されることも避けたい、という程度の高校だったということである。

専願という言葉も現場に詳しくないと分からないだろう。合格したら必ず入学するという約束のうえでの出願である。ここでも高校側と受験生側との力関係が働く。早めに入学者を確保したい高校側は、専願で受験生を集めたい。そのためには条件を多少引き下げるのが一般的である。受験生側は、必ずしも第一希望ではないが許容できる範囲の高校が専願の条件でハードルを下げるならば、早めに進学先を決定して安心も買える。
これも想像の域を出ないが、自殺した生徒が、心当たりのない非行を理由に担任から推薦は出せない、と言われたとき-しかも廊下での立ち話で-非行歴を明確に否定しなかったのは、その高校に是非とも推薦で決めたい、という気持ちに迷いがあり、態度を明確にしなかった可能性も考えられるのである。逆に、激しい体罰に最後まで耐えたうえに自殺してしまった大阪府の桜宮高校の生徒の場合、運動部の主将として全国大会に出場を果たせば、有力大学への推薦入学が期待できたので、ぎりぎりまで体罰に耐え続けてしまった、とも指摘されている。

第三に、なぜ非行歴を一年生にまで遡って、一回でもあれば推薦しない基準を、前例を無視して職員会議でもなく、学年会で決めたのか、しかもその基準を保護者や生徒に知らせていなかったのか、という点である。生徒・保護者に推薦基準を知らせないことで、保護者や生徒たちは想像して自己規制を強いられることになり、教師たちは「指導」しやすくなる。教員たちがその効果を狙ったかどうかは分からないが、現在の安倍内閣のマスコミ対策を見ていればよくわかる構図であろう。民主主義社会にあってはならないことであるが、学校という世界では、パターナリズム(父性主義)的な態度で、基本的人権さえもしばしば無視される。

第四に、なぜ成績優秀で運動部の活動にも熱心だったという生徒の進学希望先が私立高校だったのかということである。東京都の学校群制度導入を契機とする公私逆転という現象を知っている人にとって、私学優位は見慣れた光景だが、地方に行けば、今でも公立の伝統校がトップの進学校として君臨している地域が多い。広島の場合はどうか。東京ほどではないが私立高校優位なのである。
広島県では、長い間、同和団体と教職員組合とが強い協力関係を持ちながら、教育現場に強い影響力を行使していた。学校における差別的な言動に対する糾弾などはもちろんのこと、高校では進学指導が差別を助長するとして、大学進学向けの補習授業などは批判の対象となり、公立高校の大学進学実績は低迷した。その間隙を縫うように私学が台頭してきたのである。進学情報企業が出しているランキング表では、トップに国立広島大学の付属高校が来る。その下に私立の修道高校、如水館高校が来る。その下に04年に開設されたばかりの県立の中高一貫校がある。またその下には、創立20年に過ぎない近畿大学附属高校が来る状態である。

新聞などの論調は、学校のミスによって生徒が自殺に追い込まれたとして、学校や教員への非難にとどまっている。しかし、世界でもあまり例のない15歳での選抜制度が、子どもたちの成長に歪みを与えている現状の問題を正面から取り上げる議論は見当たらない。大学入試も、2020年までに入試センター試験の廃止だけが決められたが、どう変えるかの具体策の議論は怪しくなっている。大学入試も含めた学校教育制度全体の制度疲労をどうするかという観点こそが必要ではないか。

なお1998年に、広島県教育委員会は、文科省より是正指導なるものを受けている。「日の丸・君が代」を梃に、「正常化」を求められた結果、教職員組合と同和団体の影響力は急激に低下したといわれる。
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