2016.04.08 暗雲兆す?習近平の一人旅(2)―個人崇拝は毛沢東の真似か
新・管見中国7

田畑光永 (ジャーナリスト)

 「両会」(全人代と政協会議)の季節が終わり、習近平はチェコ訪問に続いて核サミット出席で訪米と外交日程をこなして北京へ戻った。その間、「暗雲」のほうの動きはといえば、3月29日に「明鏡新聞網」系のブログに「171人の中国共産党員」という名前で、習近平の個人独裁を批判する公開書簡が登場したが、すぐに投稿者の手で削除されるという出来事があった。しかし、その内容は4月1日までに米国の中国語サイトにも掲載されたというようにかなり広範囲に拡散したとみられている。(4月3日『産経』共同電)
 その言うところは「習近平同志の独裁と個人崇拝が党内組織をひどい状態にした」として「習同志を一切の職務から罷免し、党と組織を救済するように要求する」と訴えるものだったという。これだけの報道では背景などの見当はつけられないが、「党内組織」とか「罷免」とかいう言葉使いから、党内で反腐敗の標的になった部分からのものでは?という気がする。
 さてそれはともかく、確かに最高指導権を握ってからの3年半の間に習近平は独裁色を急速に強めてきた。共産党総書記、国家主席、中央軍事委員会主席という「三権」のトップに君臨しながら、経済改革、外交、法治といった個別分野ごとに設けられた指導小組のトップにもついている。そんなに1人で出来るのかと首を傾げるほどである。
権限を集中する一方では意識的に個人をプレイアップする動画なども流されている。私が見たそのうちの1つは、中国に来ている世界中からの留学生に習近平をほめたたえる言葉を言わせていた。勿論、日本人の学生も登場した。
 もっとも一党独裁を旗印にしている国柄だから、中国では歴代のトップ指導者を人並み優れた人物と描くことはごく普通のことである。これまでの指導者の中では江沢民に一番それが目立った。何かの記念日には毛沢東、鄧小平と自らの写真を並べて新聞に掲載して、前二代に劣らぬ指導者と印象付けようとしたものであった。
 しかし、習近平については彼の人物を持ち上げる以上のものがそこに感じられる。これまでは国の発展ぶりを宣伝する際に、指導者の功績をたたえるという形が1つのパターンだったが、習近平の場合は何事も彼の指示にしたがって行われなければならないと強制する感じが強いのである。つまりこれからの仕事で習近平の指示、路線に従えということである。最近、習近平に「核心」という新たな称号が登場したが、この言葉にはたんに指導者という以上にそういう意味が込められているように見える。
 そういう習近平の独裁ぶりは国際的にも注目されているようで、4月11日号の『タイム』誌は表紙に習近平を登場させた。それは習近平の写真を半分はがしたうしろ側に毛沢東の写真があるという皮肉たっぷりのつくりである。また4月5日の『日経』には英誌『エコノミスト』4月2日号の記事が「習氏崇拝に潜むワナ」というタイトルで紹介されている。

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 確かに風貌からしても、習近平には毛沢東に通じるものがあるから習の独裁を毛のそれと重ね合わせたくなるのは理解できるし、毛の死後40年を経て中国に再び個人独裁、個人崇拝がよみがえったというのはストーリーとしては面白い。
しかし、私見を言わせてもらえば、毛の独裁、個人崇拝と習のそれとはまったく違う。それを重ね合わせて、これぞ中国!と分かったような気になるのははなはだ危険であると思われるので、両者の違いを今回は確認しておきたい。
まず第1に2人に対する民衆の目が全然違う。農民の子から身を起こし、農民運動を指導して、首に賞金をかけられながら、ついに国のトップに立った毛沢東には指導者として余人にはない栄光があった。その後の指導者たちはいわばその毛の栄光の遺産をすこしづつ押し戴いてその地位に就いた。鄧小平には毛沢東本人とともに革命に従事したという経歴があり、江沢民、胡錦濤はその鄧小平から選ばれたという、毛の栄光の100分の1にも足りないほどだが、一応のつながりはあった。
しかし、習近平の場合は父親こそ革命に従事したとはいえ、本人には革命の栄光につながるものは何もない。何もないもの同士の談合からたまたまトップに選ばれたに過ぎない。
したがって毛沢東の命令には誰も無条件で従ったが、習近平にはおとなしくやったのでは誰もついてこないという恐怖があったはずだ。だから習は江沢民、胡錦濤より以上に就任のその日から自分を大きく見せる努力が必要だったのである。
次に毛沢東には自らが建設すべき国のイメージがはっきりとあった。それは一言でいえば、人民のゲリラ戦争の延長線上にある国であった。人民の潜在力を引き出せば何事も成し遂げられるというのが、たった20数人で始まった中国共産党が28年後に政権を握った経験から毛が引き出した結論であった。しかし、それが彼の悲劇でもあった。当時の革命戦争は人民の力を集中すれば勝てたが、国家建設となればことは複雑多岐で、「人民の力」だけではどうにもならない。毛がその「独裁力」を振り絞って乗り出した大躍進、土法高炉、人民公社、文化大革命と続いた、砂で山を築くような終わりのない政治運動は民を疲れさせ、国の進歩を止めるだけの悲劇に終わった。
一方、国の指導に当たることになった習近平が直面したのは高度成長が終わりを告げ、後遺症が目立ってきた中国であった。とりあえず「2つの100年」(中国共産党創立100年の2021年までに「小康社会」を実現し、建国100年の2049年までに「現代化強国」を建設する)の達成を「中国の夢」とするという目標は掲げたものの、そこに至る設計図は容易に描けそうにない。毛沢東との大きな違いである。
そしてなにより、権力者集団である中国共産党の腐敗は一刻の猶予も許さないほどにひどくなっていた。「反腐亡党、不反腐亡国」―腐敗をなくせば共産党がなくなり、腐敗をなくさなければ国が亡びる―との言葉通り、腐敗を放置すれば共産党の中国は崩れ去る危険が迫っていた(今もなお、迫っている?)。習はまず「虎もハエも」腐敗を叩かねばならなかった。
それには有無を言わせぬ権力が必要だった。薄熙来、周永康、徐才厚、郭伯雄といった大虎を退治し、無数の汚職官僚を獄に落とし込んだ。しかし、ある地位につけばある程度の汚職は当然とされていた中国では汚職に手を染めた人間をすべて摘発するわけにはいかない。国が運営できなくなる。「不反腐亡国」であると同時に「反腐徹底亦亡国」(私の造語)である。したがってどの「腐」を摘発し、どれを残すかは政治となる。となれば、反腐の広がりは怒りと恨みを増殖させる。反腐にはますます強い力が必要になる。
こうして習近平は誰も自分に逆らえない状況をつくらなければならないところへ自分自身を追い込んだのである。栄光とともに国家主席の座に座った毛沢東とは決定的に違う。
この道に踏み込めば引き返すことは難しいだろう。唯一の出口はほかで成果を上げることである。それには「小康社会」「現代化強国」の実現に成功しなければならない。しかし、客観的に見てそれは相当難しい。どころか、現状は過去の高度成長の後遺症に悩まされているところだから、ある程度の後退さえも予想される。
本欄ではこの後、その具体的な状況を検討してみたい。(160407)

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