2016.05.12  5年の内戦で激変したシリアと人々。取材し続けた英女性記者の目(上)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 「アラブの春」が一斉に開花した2011年春から5年が過ぎた。そのなかでも、アサド独裁政権の弾圧が最も暴虐で、同年が3月に反政府デモを始めた民主化勢力との激しい内戦が続くシリア。内戦につけ入って支配地域を広げた偏狭なイスラム過激派「イスラム国(IS)」。内戦前には人口2,300万人ほどだったこの国で、死者25万人、1,100万人が家を失い難民化、うち400万人以上が国外に逃れたというすさまじい数字には、1人ずつの名前と人生があるのだ。英BBCが記録し発表している子供たちの名前を一人ずつ数えると、19時間かかるという。
 この5年間、おそらく世界のメディアの中で、シリアで最も多くの日数を現地取材・報道したBBCのライス・ドゥーセット首席海外特派員が、どう振り返ったかを、BBC電子版から紹介したいー。
 最初は、素早く、密かで、小さな、しかし重要な動きだった。
 若い女性たちが、ダマスカスの繁華街で、ハンドバッグから抗議文を書いた旗を取り出し、広げ、すぐひっこめた。南部の都市ダラアでは、十代の少年たちが学校の壁にスプレーで文章や絵を描きだした。
 それから5年後、「アラブの春」と詩的に呼ばれたシリアの決起は、最も長い、最も荒々しい紛争となった。
 最初に頭を上げ、政治変革を呼び掛けた若い活動家たちの多くは、幻滅し、拘禁され、追い払われ、あるいは死んだ。彼らの叫びは、政府軍とその民兵たちと、多数の反政府勢力との破壊的な戦争の騒音に打ち消されている。
 双方には、これまでのどの戦争でもなかったような、複雑な外部の支援勢力の連合が付いている。そして、イスラム国(IS)がいる。
 「みんな怖がっている」
 この戦争の前、シリアはアラブ諸国で中くらいの豊かさの国だったが、人々がとても親切で、料理が素晴らしく、魅力にあふれた、そして抑圧の悪名高い国だった。
 ソ連が崩壊したのちの1990年代、シリアで私はいつも言われたー「革命は私たちのものではありません。私たちはシリアの発展を望んでいます」と。このシリア政府の元役人は最近、「変化はごくゆっくりで、それがいい、といったのです」と語った。
 この5年間、この国の驚天動地の変化を報道してきたが、その中では、数多くの小さな出来事が、とても重大な意味があることを示していた。
 2011年、金曜日の祈りの後。ダマスカスのモスクの回廊に人々が押し込められていた。そこにいた同僚の掌の中に、一人の若者が一枚の紙を押し込んだ。それには「ありがとう。しかし、だれも貴方がたにお会いできません。軍隊が通りにいます。すべての人々が怖がっています」
 「表の道路を見下ろしてごらん」と別の男性が私の耳にささやいた。外ではトラックからそろいの運動着姿の治安警察が、道路に展開し始め、その向こうに制服姿の軍部隊と狙撃兵の姿が見えた。
 6か月後、かっては恐れているということを口にすることさえ恐れるほどだった人々は、恐れをなくしていた。あのモスク前の道路に行くと、住民たちは私たちを入り組んだ通りの中に呼び込んだが、そこでは家々の壁が、スローガンを書いたポスターで埋まっていた。奥に行くと反政府の自由シリア軍の拠点の建物があった。
 さらにその6か月後、道路は閉鎖され、沈黙し、軍が配置についていた。(続く)
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