2016.05.23  この人を見よ 『行雲流水(こううんりゅうすい)』
     韓国通信NO488号  
 
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)
           
 石山照明が父親喜八郎の生涯をまとめた評伝である。
 明治44年(1911)生まれ、大本教信者だった喜八郎は本書では「奇人」と紹介されているが、私はそれに「怪人」ということばをつけたしたい。大本(教)は明治末に京都府亀岡に始まった神道系の教団だが、喜八郎は偶然に出会った信者から大本を知り、「艮(うしとら)の金神(こんじん)」が平等な社会を実現するという教えに強く惹かれ、たちまち熱心な信者になった。             
 天皇を「現人神(あらひとがみ)」とする社会で、平等社会を謳う教団に激しい弾圧が加えられ、入信間もない喜八郎も逮捕された。青天霹靂のことだった。
 容疑は治安維持法違反、不敬罪である。鬼の特高刑事から「白状しなければ体に聞く」とばかりの厳しい取り調べを受けたが、喜八郎の毅然とした「神学論争」に刑事は歯が立たなかった。次の玉沢光三郎検事(後にゾルゲ事件担当と知られる)も最後には「立派な弁護士か検事になれたろう」と彼をほめたが、「この時世にそんな仕事をする気にもならない」と反論され、面目を失い敗北した。権力の前でもたじろぐことなく自説を展開した。喜八郎、弱冠25歳の時である。検事調書の「容疑者の心境欄」には親鸞の歎異抄の一節「親鸞が法然を信じたように私も大本を信ずる」と、法律で心は裁けないとする心境を吐露している。

日本に天罰を
 保釈後、破壊尽くされた亀岡を訪ね、大銀杏のもとで痛恨の涙を流し、「この国に天罰が落ちることを」心底願った。人間としての尊厳が踏みにじられた喜八郎と同じ怒りを最近知った。保育園に子どもを預けられず、「日本よ 死ね」と書いた母親である。人の幸福追求が踏みにじられ悔しい思いをするのは現代も治安維持法があった時代も変わっていないのかも知れない。現人神を認めず、「非国民扱い」されたあげく徴兵されることに怒ったが、家族のために致し方なく従軍した。「無駄死にしない」「人を殺さない」兵士として。

二回の営倉送りと万年二等兵
 彼は中国各地を転戦し、敗戦は香港で迎えた。この間、白兵戦でも、鉄砲の弾は撃たないという、まったく役立たずの兵士だった。だが皇軍の古兵と上司のイジメとは果敢に闘うという徹底ぶりだった。そのため2回も営倉送りになった。「ぶった切ってやる」とののしられた上官浅野少尉のイジメにはどうしても我慢ができず、深夜に決闘を挑み、勝利するという離れ業までやってのけた。入隊6か月後に自動的に一等兵に昇格するのが通例だったが、彼だけは二等兵に据え置かれた。見せしめ的な「差別」に抗議したが、「昇格どころか降格させたいくらいだ」という返事だった。ドロ沼化した日本軍の戦いは惨めだったが、彼の軍隊生活は苦労のなかにもどこか「すっきりした」ものが感じられる。「天皇」のために死ぬ気持ちがさらさらなかったためと思われる。

輝ける軍隊のリーダー
 くだらない苦労は「マッピラだ」という彼の声が聞こえてきそうだ。経理の仕事が「らく」そうだと引き受けたり、京都大学法学部出身と偽って京大出の将校と仲良くしたり、マラリヤにかかって入院しても仮病を使って長期入院するという呆れるほどの破天荒ぶりである。病院の医師たちのスピーチ原稿を書いて喜ばれた。戦場を離れると結構役に立つ。
待ちに待った敗戦。それに伴い彼の能力は遺憾なく発揮されることになる。
中国側から武装解除の指示があっても兵士たちは従わない。武器を渡せば全員殺されると不安だったからだ。連隊長・将校たちに代わって喜八郎が『敗戦日本の将来』と題する講演を行った。部隊全員が集まり一時間に及ぶ演説を聞き会場からは万雷の拍手が沸き上がった。

 感動させた彼の演説を短く紹介してみたい。
 「敗北は建国以来の恥辱だが、敗北は不思議なことではない。敗北を予言したため弾圧され迫害された人もいる。日本は聖戦と称して戦ったが世界はそれを認めていない。中国人に計り知れない不幸を与えた戦争は国民党軍と共産党軍の抵抗にあって今日の状況を招いた。日本の戦争指導者たちは百年戦争を覚悟して戦えと言っているが、この期に及んでは無茶な話だ。一億総玉砕すれば何が残るというのか。戦争指導者たちが現人神と信ずる天皇も日本民族も地上から消滅するに違いない、狂った指導者に引きずられ地獄に堕ちる寸前まで来て降伏することで日本民族は辛うじて破滅から免れた。
 世界征服を図った世界史史上の英雄たち誰一人として成功しなかったではないか。日本の指導者はその歴史から学ばず、「八紘一宇」の旗の下で征服が可能と考えた。お粗末極まりない人々だった。将来わが国が人類の指導国として仰がれる日があるとすれば、武力を放棄して道義を以て世界に冠たる栄光を輝かす時だ。『剣によって立つ者は剣によって滅びる』というキリストの言葉通り、流血を以て得たものは流血を以て失うのは当然で、報復の連鎖を生むだけだ。今ここで武器の提出を拒むということは中国人の報復を恐れているからではないか。これから各国が平和を実現しようとする時、率先して日本国民は武器を放棄する勇気を持たなければいけない。今回の敗戦は日本及び日本国民を、武力の迷信と悪魔の陣営から離れ、平和の使徒として神の陣営に迎え入れる神慮に他ならない。歴史的試練に立っている皆さんの正しい判断をお願いしたい」と演説は結ばれている。
 この講演は評判となり、あちこちの捕虜収容所から講演の依頼があり、二等兵の講演に聞き入ったという。日本の敗戦直後、宗教者であり市井の兵士が述べた戦争に対する批判と将来の日本のあり方を述べた演説の内容は今聞いても素晴らしい。
現行日本国憲法が「押し付けられた」かどうかという議論の前に、小学校卒の喜八郎の確固とした平和への思いを受け止めてほしい。「日本に天罰を」心から求めた喜八郎の怒りの中から生まれた冷静でヒューマンな叫び。思わず「この人を見よ」と叫びたくなるほどだ。喜八郎は生まれ故郷の群馬県藤岡で84才の生涯を終えた。
 激動の時代を生きた無名の人間が日本の歴史に新しく豊かな彩りを添えながら限りない励ましを与えた。
 「行雲流水」-ある大本教信者の数奇な生涯―石山照明著
 発行 株エスアイビー・アクセス発行2016/4/15 定価1600円+税

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