2016.06.24  スンニ派三角地帯の最重要拠点
  ― 政府軍ファルージャを奪還(下)

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

ファルージャはISが支配して以来、イラク内では最も強固なISの拠点都市となり、今回政府軍が奪還するまで2年半、イラクの都市としては最も長くIS支配下にあった。ファルージャには最盛期、国連推計で35万人、実数は50万人近くの住民がいるといわれた中堅都市。サラフィ派という復古的な厳しいイスラムの教えに従う市民も多い。2003年の米国中心のイラク戦争後、米軍の占領支配に激しく抵抗し、多数の市民が犠牲となった。駐留を続ける米軍、政府軍とイスラム過激派の内戦状態がつづくなか、2006年から2014年まで政権を握り続けたシーア派のマリキ政権に国民の不満が高まり、ISの部隊が同市に突入し、支配権を握った際には、市民たちの多くは無抵抗、むしろ歓迎したという。
しかしその後、ISの支配下に、ISの偏狭なイスラム戒律を強制され、近代的な学校教育も制限されとことに、耐えきれなくなった市民たちが脱出。先月、政府軍が同市を包囲し、奪還作戦を開始したときには、人口は20万人以下に減少していた。政府軍の呼びかけで、約8万人が作戦開始前に脱出、さらに作戦開始後、砲弾の飛び交うなか2万5千人の市民たちが脱出した。国連によると、5万人の市民が市内に残り、一部はISに強制されて、ビルに築いたISの陣地で銃を持たされていたという。最後まで残りながら脱走した市民たちのうち、シーア派民兵部隊が布陣する郊外にたどり着いた一部を民兵部隊が拘束、拷問にかけて情報を引き出そうとし、一部を殺害した。カタールの衛星放送アルジャジーラの報道によると、脱出市民のうち、49人が拷問で死亡、643人が行方不明だという。
ファルージャは、首都バグダッドからわずか65キロの位置にあり、バグダッドへのISの自爆攻撃の拠点にもなっていたという。これで、首都バグダッドとISの支配下にあったイラク中心部のスンニ派住民が大多数の住民を占めるラマディ、ファルージャ、テクリート、サマーラ(いずれも人口20-40万)など中堅地方都市とその周辺を含む、有名な「スンニ派三角地帯」から、ISがほぼ一掃されたことになる。
この「スンニ派三角地帯」は、2003年3-4月のイラク戦争で米国中心の多国籍軍が勝利したのち、フセイン政権の残党勢力と住民が激しく反米武装闘争を開始した地域。なかでもファルージャはその象徴となった。2004年4月の市民武装決起は大規模で、米軍部隊と傭兵会社ブラックウオーターと武装市民の「レジスタンス」が1週間にわたり戦闘、米軍は残虐兵器クラスター爆弾まで多用して、やっと鎮圧した。市民に側に多数の子供たちを含む約千人の死者、米軍側の死者も100人を超えた。米欧のジャーナリストや人権NGOのメンバーが現地に入り、世界に米軍占領下の真相を伝えたこともよく知られている。
また、2010年には、ISの前身で、反米反シーア派テロ活動を続けてきたイスラム過激派「イラク・イスラム国」が、米軍の攻撃で指導者を相次いで殺され、大きな打撃を受けたのち、最高指導者となったバグダディが逃げ込み、組織を再建したのがファルージャだ。バグダディはサラフィ派の有力者たちに取り入り支援を得たという。ISその後、ファルージャを中心に「鉄の三角地帯」を本拠地に、フセイン政権残党勢力を吸収して組織を強化、2012年にはシリアに進出し、シリア内戦に介入。シリアのイスラム過激派とアラブ諸国や中央アジアのイスラム過激派、さらには欧州諸国のイスラム系移民の若者たちも誘引して急成長した。ファルージャはISにとって、このような重要拠点であり、そこが失われた衝撃は大きいに違いない。
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