2016.07.24 東京都政はいったい誰のためにあるのか、都知事選は自治体首長選挙の原点に戻るべきだ、選挙戦終盤は組織戦で戦うべきだ
~関西から(188)~

広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)

「革新自治体」「革新首長」といった言葉を聞かなくなってからもう随分日が経つ。この間も図書館に行ったときのことだ。革新自治体関係の本を探していると言ったら、カウンターの司書らしき人に「カクシン」でどんな字を書くのですかと聞かれ、思わず絶句した。革新自治体の時代はそれほど遠くに去っていたのである。

京都の蜷川府政や東京の美濃部都政の時代を忘れられない私たちの世代は、それでも今回の東京都知事選を「ストップ・ザ・アベ!」の切っ掛けにならないかと期待する。半世紀前の都知事選で美濃部氏が初当選したときのスローガンが、「ストップ・ザ・サトウ!」だったからだ。「日本の夜明けは京都から」とよく言われたが、やはり東京都政が変わらないことには「日本は変わらない」ことを実感したのが1967年都知事選だった。

いまや時代が違うと言われるかもしれない。今どきの東京には新自由主義の空気が溢れていて、革新の「カ」の字もないよと言われれば、東京の実情を知らない私には反論ができない。しかし、今回の都知事選が参院選の延長線上にずるずると流れていくような雰囲気には、正直言って違和感を覚える。個人の知名度やテレビへの露出度だけで都知事選の趨勢が決まっていいのか、人気取り政策の連呼だけで都知事選の勝敗が決まっていいのか、言いようのない不安感とともに強い危機感を覚えるのである。

今回の都知事選は政党の影が薄い。意識的に姿を隠しているのかもしれないが、そのことが却って都知事選の意義を候補者個人の人気投票のレベルに貶めているように感じる。なぜ自民党公認の増田候補の応援のために堂々と自民党総裁の安倍首相が出てこないのか、なぜ自民党に追随する山口公明党代表が増田候補のために表に出てこないのか、不思議でならない。東京都は宗教法人を所管する自治体だ。いつもの公明党や創価学会なら、自らの利益を死守するために必死になって都知事選を戦うのに、今回の都知事選はまるで他人事のような感じさえ受ける。

野党4党の統一候補になった鳥越氏の陣営でも、4党首の揃い踏みは考えていないようだ。宇都宮氏が批判したように政策協定の調印式もなければ、共同記者会見もなかった。鳥越氏の個人的人気だけで都知事選を戦うような戦法は、いったいどこから生まれたのだろうか。それほど政党には存在感がなく、前面に出ることに問題があるのだろうか。これも不思議でならないことのひとつだ。

東京都知事選は浮動票で決まる、無党派層がカギを握っている、組織票は当てにならない―――、いつの間にかこんな「浮動票神話」「無党派神話」が行き渡ってしまった。テレビ番組で「政治評論家」と称するコメンテイターが振り撒いた情勢分析があたかも本当のような感じで浸透し、政党自身が自縄自縛に陥って動こうとしても動けない状態になっているのである。情けないことだ。

こんな状態が続けば、ひょっとすると小池氏が当選するような事態が生まれるかもしれない。世論調査でも結構いい数字が出ているといわれているから、なおさらそうだ。政党がだらしないからこんな状況が生まれている、と言われても仕方がない。このまま個人人気任せの選挙を続けていたら、ひょっとするとひょっとするかもしれない。

今回の都知事選は何から何まで異常だった。参院選の最中から候補者の品定めが面白おかしく始まり、数ある候補者が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。あたかも都知事選が劇場政治の表舞台になり、参院選でさえがその影にかすんだ。候補者の個人的人気や知名度が全てを決するような空気が支配し、それを錯覚したテレビタレントが自分でも都知事になれるかのような行動に出た。都政はいったい誰のためにあるのか、自治体首長に求められる使命は何かと言ったことを深く考えず、悲しいことにただテレビの人気者であれば都知事になれるかのような空気が充満していたのである。

鳥越陣営は、選挙終盤戦の戦法をこの際一挙に変えるべきだ。週刊文春への刑事告訴などに手を取られている暇はない。今こそ野党4党の党首が一斉に街頭に出て、東京の雰囲気を一挙に変えるべきときなのである。野党4党の運動員が総出で街頭に出て、東京都民に都知事選の本来のあり方を一斉に訴えるときなのである。そのスローガンは「舛添問題の張本人、自公与党の責任を問う」ものでなければならない。そして自公与党の大本、「ストップ・ザ・アベ!」を掲げるものでなければならない。安倍政権を打倒しなくては「都民本位の都政」を取り戻すことができないことを真正面から訴える時なのである。

今から約半世紀前の1967年4月、統一地方選挙の一環として行われた東京都知事選は文字通り「天下分け目の決戦」だった。自民・民社公認の松下氏に対して、「明るい革新都政をつくる会」と社会・共産推薦の美濃部氏が対決し、美濃部220万票、松下206万票の14万票差で美濃部氏が初当選した。都知事選直前の1967年1月に行われた第31回総選挙の東京選挙区においては、自民・民社両党の得票数は201万票、社会・共産両党は174万票で自民・民社が27万票リードしていた。また、都知事選と同時に行われた東京23区の区議会議員選挙でも、自民188万票、民社15万票、計203万票となり、社会・共産両党の89万票を圧倒していた。

ところが、予想に反して美濃部氏が形勢を逆転して当選した。当時のことで思い出すのは、佐藤首相が松下候補の応援に直接乗り出したときのことだ。そのとき、美濃部陣営が打ち出したスローガンが「ストップ・ザ・サトウ!」だった。この瞬間から都知事選の対決軸は松下候補を遠く飛び越え、佐藤政権打倒に転化したのである。1967年都知事選は、地方首長選挙であると同時に国政選挙にも匹敵する影響力を持った選挙だった。美濃部氏が当選したときから革新自治体時代が本格的に開幕した。東京都政で新しく打ち出された公害対策や福祉行政が佐藤政権の政策を変えた。東京都政が国政に与える影響は、単なる「首長選」のレベルにはとどまらない全国的な広がりとインパクトを有していたからだ。

いまも都知事選の持つ政治的意義は変わらない。憲法25条に直結する東京都政の問題は、待機児童問題や待機高齢者問題ひとつを取ってみても、「アベノミクス」や「1億総活躍社会」政策ではとうてい解決し得ないほどスケールが大きい。美濃部都政の福祉政策が国の政策を根本から変えたように、野党統一候補の鳥越氏が勝利すれば安倍政権に対する政治的打撃はこの上なく大きいものになる。

 参院選中には一瞥もされなかった鹿児島県知事選では、「脱原発」を掲げる新人候補が4期目の再選を目指す保守系現職知事を破った。熊本地震の最中にあっても川内原発の運転を絶対に止めようとしない安倍政権に対する批判が、知事選を通してあらわれたのである。東京都知事選での鳥越氏の勝利は、安倍政権に対する国民的批判の声を呼び起こし、「改憲勢力3分の2」の構造を大きく変える政治的転換点になるだろう。「ストップ・ザ・サトウ!」ではないが、「ストップ・ザ・アベ!」への可能性を秘めた東京都知事選の勝利を願わずにいられない。

Comment
政治に革新を求める思いは同じようですが、過去、京都の蜷川さんや東京の美濃部さんと比較して鳥越さんはあまりにもその器でないようにあります。そんな鳥越さんを野党統一候補というだけで応援しているからこそ、野党、リベラル派の劣化を促しているようにも。。。

選挙で選ぶのは政党や施策を考慮しつつ、最終的には人、都政を任せられる人物と信じるに足りうるかに掛かっているとおもいます。(舛添さんの辞職にも関連して)
最初の街頭演説がこのような内容では人の心、信頼をつかめようにありません。
https://www.youtube.com/watch?v=t7EVvV2iM84
(鳥越さんの主張、演説にも耳を傾けていますが、これは最もひどい一例、これではそれこそストップ・ザ・トリゴエ)
選挙に勝つには、都政とはどうあるべきかは政党のバックを受けていばい小池さんがなぜリードしているかをよく分析、見つめて頂けるとその答えが見つかるとおもいます。
参院選挙の結果の分析に続いて今回の選挙結果の分析も今から楽しみにしています。(同じ答えになる?)
名無し (URL) 2016/07/24 Sun 07:04 [ Edit ]
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