2016.08.03  新たなヘリパッド建設―なるほど、今度は機動隊500人か
 
宮里政充 (もと高校教員)

      
 いま日本政府は沖縄で何をしているのか。私はこの数日、「リベラル21」にその様子を書こうとして、思い悩んできた。憤懣やるかたない思いでいっぱいで心かき乱され、書きたいことも山ほどあるが、何をどう順序立てて書けばいいのかまとまらない。そこで今日のところは、沖縄が置かれている状況と安倍政権の政治手法について考えるときの参考にしていただくために、資料の一部を提示するにとどめておきたい。
 まずは、7月22日沖縄防衛局が、沖縄本島北部の東村(ひがしそん)と国頭村(くにがみそん)に広がる米軍北部訓練場のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)で新たなヘリパッドの建設工事に着手したと発表した件についてである。

地元の東村長、建設容認を再表明(沖縄タイムス+プラス 7月21日)
 東村の伊集盛久村長は20日、村高江周辺のヘリパッド建設について「北部訓練場過半が確実に返還されることで基地の整理・縮小につながる」と容認する姿勢を示し、「ヘリパッド工事は安全確保したうえで進めていただきたい」と述べた。東村役場を同日訪ねた県議会与党会派15人に見解を示した。
 一方、ヘリパッドを使用するオスプレイに対しては41市町村の首長で配備反対を訴えた「建白書」や「機体の安全性が確認できていない」ことを理由に反対の立場を強調。その整合性について「よく矛盾と言われるが、オスプレイの安全性が確認されるまでは容認できないといっている」とした。
 ヘリパッド建設の工事車両が高江集落内を通る可能性については「沖縄防衛局は集落内道路は使わないと言っている」と否定。また、県道70号上で機動隊による一斉検問があったことには「私の権限外で言える立場にない」とした。

沖縄県議会、建設中止を求める意見書を可決(沖縄タイムス+プラス 7月21日)
 県議会(新里米吉議長)は21日、6月定例会最終本会議で、米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村高江周辺のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に対し、建設中止を求める意見書を賛成多数で可決した。意見書を提案した与党3会派の26人が賛成し、野党の自民の15人は反対、中立の公明と維新の計6人は退席した。

沖縄タイムス記事(7月25日)
 「辺野古・高江」をめぐる安倍政権の強権的な振る舞いは尋常でない。官邸サイドには、国と県の関係を正常な軌道に引き戻す意思がまったく感じられない。キャンプ・シュワブの陸上部分の工事も近く再開する、という。現状はあまりにも異常だ。
福岡高裁那覇支部や国地方係争処理委員会(総務省の第三者機関)が、それぞれの立場から「話し合い解決」を求め、県も協議の継続を要望したにもかかわらず、政府は22日、県を相手取り違法確認訴訟を起こした。
 同じ日、政府は県外からおよそ500人の機動隊を投入し、住民を強制的に排除してヘリパッド建設に着手した。緑豊かな東村高江周辺では22日以来、人と車の自由な行き来が制限され、戒厳令のような状態が続いている。
翌23日には、埋め立て予定地に近い久辺3区(辺野古・豊原・久志)と沖縄防衛局の懇談会が開かれ、名護市を通さずに直接、補助金を交付する「再編関連特別地域支援事業」を次年度以降も継続することを確認した。
 威圧、恫喝(どうかつ)、強制排除、分断策。やりたい放題である。こうした強硬策が何より問題なのは、選挙で示された沖縄の民意を完全に無視しているからだ。参院選では「辺野古・高江」の工事強行に反対する伊波洋一氏が、安倍政権の現職閣僚に大差をつけて当選。県議選でも翁長県政の与党は議席を伸ばした。
 今や沖縄選挙区で当選した自民党の議員は衆議院にも参議院にも1人もいない。(中略)
事態は、危険水位に近づきつつある。悪夢を現実化させてはならない。安倍政権の暴走をだれが止めるのか。
 それを食い止める一義的な責任を負わなければならないのは政治家だが、野党はあまりに非力で、与党は安倍官邸をチェックする機能も意欲も失っている。
 結局のところ、沖縄のこの状況を変えることができるのは、主権者である国民しかいない。状況を変えることができるかどうかが、本土・沖縄の未来の関係を規定する。

基礎的・基本的なこと
 私は沖縄への修学旅行を計画している学校へ出向いて、事前学習のための講演をおこなっている。これまで東京・神奈川・茨城などの中学校や高校で話をした。私が沖縄戦の体験者であることから、学校側は「平和学習」のテーマを要望することが多い。学校によって事前の取り組みは様々で、グループごとにレポートを書かせて発表させるところがあるかと思えば、社会科の授業で教師が簡単に触れるだけのところもある。私としてはそういう学校の状況の如何に関わらず、ともかく沖縄を選んでくれたことに敬意を表しながら、いそいそと出かけていく。(ある私立中学校で、ひめゆりの塔の前で慰霊の意を込めて合唱するために練習してきたという童謡『てんさぐの花』(鳳仙花の花)を披露してくれた時には涙が出た。)
 私は講演の中で私自身の戦争体験や悲惨を極めた沖縄戦について語るのだが、その前に必ず次の内容を取り入れることにしている。それは沖縄が日本本土やアメリカとどういう関わりをもちながら今日に至っているかという歴史の問題である。ポイントを6つにしぼる。

①1429年に始まった琉球王国は、日本・朝鮮・東南アジア諸国との中継貿易を通して発展した。特
  に中国(明・清)とは冊封関係にあり進貢貿易によって琉球王国は多くの利益を得た。
②1609年の島津軍は軍3000で侵攻し、琉球を幕藩体制へ組み入れた。
③1879(明治12年)、明治政府は警官160名余と軍隊300名余を投入して廃藩置県を強行した(琉
  球処分)。皇民化教育の徹底。
④沖縄戦(米軍の日本本土進撃を食い止める防波堤とする。軍民区別のない凄惨な上陸戦とその
  犠牲)
⑤戦後、米軍統治下に置かれる。銃剣とブルドーザーによる米軍の土地接収と基地化。
⑥米軍基地はそのままで、1972年に本土復帰。

 これらの流れを短時間で説明するのは至難の業であるが、流れの節々に何があったかを記憶し、今後沖縄について考えるときの基礎的・基本的な判断材料にはなりうると思っている。
 私は沖縄について語るとき、これらの項目をはずすことはできない。辺野古や高江の問題はこれらの項目と切り離しては存在しえないからだ。

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              7月22日(金)

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             琉球新報・号外(7月22日)

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