2016.08.24  安倍首相の真意を問う、なぜ即座に賛成と言えないのか?
          ―オバマ大統領の核先制不使用宣言構想について
           暴論珍説メモ(149)


田畑光永 (ジャーナリスト)

 残り任期も少なくなった米オバマ大統領がいわば8年のオバマ政治の置き土産として、「核兵器の先制不使用」を宣言することを考えていると伝えられている。他国から核攻撃を受けない限り、自らは核兵器を使うことはしないと宣言することは、核兵器を通常の兵器とは次元の違うものと位置づけて、それを使用することを無条件に悪と考える立場に立つことを意味する。悪は悪に対する反撃の時にのみ使用を許されるという立場である。
 核兵器の廃絶が叫ばれて久しい。しかし、すでに手にしているものを手放すことは難しい。1960年代の部分的核実験停止条約(米英ソ)、核拡散防止条約から始まって、90年代以降の米ソ戦略核兵器制限条約(START Ⅰ~Ⅱ)、国連総会での包括的核実験禁止条約(CTBT)採択と、多くの努力が払われてはきた。しかし、今なお核実験は行われ、人類を何度絶滅しても使いきれないほどの核兵器が存在している。
 今月19日、ジュネーブの国連欧州本部で開かれた国連核軍縮作業部会は、核兵器禁止条約の交渉を「来年中」に開始するよう国連総会に「勧告」する多数派意見を盛り込んだ「報告書」を採択することで合意した、という。それも全会一致ではなく、豪をはじめ韓国やNATO諸国は反対票を投じ、我が国は棄権したという。核兵器廃絶へ至る道がこの先もいかに長いか、果たして人類はいつかはゴールに到達できるのか、と歎ぜざるをえない。
 そういう状況の中で核兵器をすでに持つ国が、核攻撃を受けた場合の反撃以外には核兵器は使わないと宣言することは、「核の脅威」を多少なりとも減らす効果がある。
 現在の核保有国のうち、それを宣言しているのは中国だけだが、もしすべての核保有国が先制不使用を宣言するならば、論理的には核兵器が使用されることはなくなる。もし自らの宣言に背いて、他国に先制核攻撃を加える国が現れた場合は、その国は世界の歴史において長く背信の国として名をとどめることになるから、国の指導者が核使用に踏み切ろうとする際に宣言は大きなブレーキとなるはずである。全核保有国でなくとも、比較多数の保有国がこの宣言をおこなえば、他の保有国が非宣言国にとどまることにもそれなりの圧力が加わるであろう。
 こう考えてくれば、現存する膨大な核兵器を物理的に消滅させる道はほとんど終着点が見えないにしても、先制不使用宣言を保有国に求めることは国際世論の力で実現できる有効な「核の脅威削減策」である。それを唯一の核使用国、そして今なお核超大国である米国の大統領がそれを行おうとしていることは大いに意義がある。
 オバマ大統領は就任間もない2009年4月5日、チェコのプラハにおける演説で、原爆投下の道義的責任に言及しつつ、核兵器のない世界の実現を目指すと明言した。この演説で(と言われているが)、この年のノーベル平和賞も受賞した。しかし、その後の8年の任期中に核廃絶に向けていかなる努力を傾け、何ほどの成果を上げたかとなると、本人としても心中忸怩たるを免れることはできまい。その思いが去る5月には彼を広島に向かわせ、任期終了前の核先制不使用宣言へと駆り立てているのであろう。8年の不作為はひとまず置いて、最後の努力の成功を祈りたい。
 しかし、こと軍備となると、いかなる程度のものであれ、作戦上の不利を招く可能性のある措置には軍そのものが反対するのが通例である。オバマ大統領の意思がすんなり通るとは思えない。報道によれば現に米国内には反対論が強く、ケリー国務長官ら現職閣僚からも反対の声が上がっているといわれる。また英・仏・韓などの同盟国も反対と伝えられている。
 その中で我々にとって見過ごせないのは、安倍首相が米太平洋軍のハリス司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」と宣言に反対の意向を伝えた、という米紙『ワシントン・ポスト』8月15日の報道である。もし事実なら、毎年8月に首相として広島、長崎の原爆式典に出席し、核廃絶を訴える姿勢は世を欺く擬態と受け取らざるをえない。
 唯一の被爆国として核廃絶を訴えながら、一方で米国と軍事同盟を結んで、その核の傘の下に身を置く日本の姿は客観的にはどう見ても矛盾している。国際政治においては理想と現実は別だという「現実論」がまかり通っているわけだが、そこでの理想と現実をつなぐ細い糸が「核抑止」という建前である。核兵器は存在するだけで、他国は核兵器による報復を恐れるから、その国に対して他国は核を使うことを思い止まる、という論理である。つまり、核兵器は使うためにあるわけではない。相手に核を使わせないためにある、というのである。
 とすれば、別に米国が核先制不使用を宣言したからといって、「核抑止」に関する限りはなんの支障もない。北朝鮮が日米に核を使えば、米はためらうことなく核で報復できるのだから。にもかかわらず、「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」から宣言に反対だ、という安倍発言はどういうことか。
 安倍首相の本意は「抑止力」と言いながら、じつは「攻撃力」なのである。北朝鮮がおかしな行動をとったら、それが核兵器使用よりはるか手前であっても米の核で叩き潰してもらいたいということなのだ。そうでなければこの発言は意味をなさない。首相の頭の中は、冷戦思考から一歩も出ていないのだ。
 と、思っていたところ、20日夜にいたって安倍首相は突如、ハリス長官への発言を次のように否定した。
 「ハリス長官との間において、アメリカの核の先制不使用についてのやり取りは全くなかった。どうしてこんな報道になるのか分からない。・・・先制不使用については、米側はまだ何の決定も行っていない。今後とも米政府と緊密に意思の疎通を図っていきたい」(21日・各紙)
 なんとも奇妙ではないだろうか。ハリス長官はさる7月26日午後、首相官邸で約25分間、首相と会談し、北朝鮮情勢をはじめとする地域情勢などについて意見交換をした。確かにその席で安倍首相が「核の先制不使用宣言に反対」と述べたという発表はなかった。そして、ワシントンン・ポストの報道は8月15日であった。それならなぜ即座に報道を否定しなかったのか。日本の安保政策の基本姿勢にかかわる問題で首相発言をねつ造されたのなら、すぐさま誤解を糺さねばならないではないか。1週間近くも経ってから否定の談話、それも抗議をするでもなく、「どうしてこんな報道になるのか分からない」などという曖昧な態度は不可思議である。
 以下は私の推測である。ハリス長官への安倍発言は間違いなく事実であろう。ただ短時間のおそらくは儀礼的な会談であったから、安倍首相側はその中身が表に出るとは予想していなかったと思われる。
 それが20日も経ってから報道されたので、驚いた官邸は慌ててワシントン・ポストに記事の取り消しを求めたが、相手は「発言は事実」と取り消しに応じない。そのやり取りに数日を費やして、結局、首相が「なんでこんな報道が行われたか分からない」と述べることにはワシントン・ポスト側も異議を申し立てない、ということで落着したのではないか。
 こう推測するのは、安倍首相が米紙の報道を否定しながら、「宣言」に賛成であるとは言わないからである。なにも難しい交渉事ではない。米の「核の傘」に頼っているのは、その「抑止力」に頼るのであって、日本政府は核兵器の使用には反対であると、説明すればいいだけの話である。意思の疎通が必要というほどの問題ではない。それを言わないところに本音が見え見えである。
 にも関わらず、メディアのこの件についての報道に熱意が感じられない。日本の政治全体に緊張感がないことの表れかとも思うが、きちんと事の次第を明らかにして欲しい。
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