2016.08.27  毎週金曜日 国会前に立ち続ける武藤先生(91才)
          韓国通信N0497

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 小学校時代の恩師の年賀状が欠けていることに気づき電話をした。「年賀状を出したはずなのに」という元気な声が聞こえ、ホッとした。今年の正月のことである
 「武藤先生ですか」と声をかけると耳に手をあてて「そうですが…」。
 官邸・国会前の反原発デモ。千人近い参加者のなかに武藤先生を見つけた。
 武藤徹先生は私の恩師ではない。学校も違う元都立戸山高校の数学の先生である。先生が国会前のデモに参加しているのを知って手紙を書いた。三冊の本とともに返事が来た。先生の名前を覚えていたのは、戸山高校の友人たちから何回も噂を聞かされていたからだ。
 8月19日、隣に立ってシュプレヒコールを続ける小柄な老人が「ひょっとして」と思い、思い切って声をかけてみた。私たちは旧知のように固い握手を交わした。
 その3日前、いただいた本の礼状を書いたばかりだった。
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 武藤 徹様
 (略) 先日は手紙と図書までお送りいただき大変恐縮しております。『きらめく知性・精神の自由』『朽ち果てぬ知恵を求めて』、興味深く拝読しました。戸山高校の教育を知るうえで、また現在の教育問題、私たちが置かれている社会を知るうえで貴重で刺激に溢れたものでした。(略)
 戸山高校と同じく、私が在籍していたころの新宿高校も、とても自由な雰囲気で、大学受験のことを別にすれば天国のようなところでした。ただ残念なことに学校の教育方針などを聞く機会もなく、「自由放任」も同然で、ただ好き勝手に過ごしたという記憶しかありません。
 私が幸運だったのは戸山高校に進んだ友人たちと(略)酒も飲まずに夜遅くまで「如何に生きるか」といった青春論をいつも語り合ったという記憶があります。それはまさに「きらめく知性・精神の自由」がほとばしる世界でした。先生の薫陶を受けていた彼らからその「おこぼれ」にあずかっていたような気がしています。その後音信は途絶えていますが、高校という垣根を越えて先生の弟子が私の人格形成に大きな影響を与えたことは確かです。
 実は私は数学が大の苦手で、努力もせずに数学の先生に対して「こんな謎解きのようなことを勉強する気がしない」と開き直り、文学書ばかり読んでいました。(略)私自身が数学に偏見を持っていたことに気づいたのは40才を過ぎてからのことです。武藤先生に出会っていたら私の人生も変わっていたかも知れません。
 文系人間とばかり思っていたのに文章もロクなものしか書けません。文章は「技術」ではない、人間の「中身」が問題と悟り、目下人間修行の最中です。同封した新聞は個人新聞最新号です。「きらめく知性」を失いつつある友人たちは呆れているようですが、500号を折り返し点にして1000号を目指しています。「考える」「伝える」そして「ともに考える」。それを目指しています。いつまでもお元気に活躍してください。
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 著書『きらめく知性・精神の自由』(2013年桐書房)の出版記念シンポジウムが昨年2月、かつての教え子らによって開かれた。その模様が『朽ち果てぬ知恵を求めて』(2015年)として記録集にまとめられた。それを読むと先生の人柄が浮かび上がってくる。
「ファシズムが闊歩する社会」に危機感を募らせ、平和憲法の大切さを訴えた先生の挨拶に続き、教え子による記念講演、市川須美子氏(1968卒)の「日の丸・君が代裁判」と浜矩子氏(1971卒)の「アホノミクス」論はどれも武藤先生の教育と重ね合わせ語られた。
 収録された会場の声も先生の教育と各人が抱える問題が率直に語られたものばかりだ。260人もの元生徒らが集まり、「平和」「民主主義」「教育」についてこれほど熱く語られた「集まり」は他に例がないだろう。

 本の余韻が残っていたせいか、一度も会ったことのない先生に声をかけてしまった。私の横で先生は静かに立ち続けている。体調を聞くのが精一杯、その他の月並みな言葉は浮かばなかった。
 私には91歳まで生きられる自信は全くない。もし生きられたとして、自分の姿を想像してみる。自力で歩けるだろうか。「原発はイラナイ」「フクシマを返せ」「戦争反対、平和が一番」と叫び、拳をあげられるだろうか。
 「ボクたちが後を引き受けます。先生はゆっくりお休みください」と話しても、私の「偽善」に武藤さんは耳を貸すことはないだろう。「先に生れたのが先生」という言葉がある。あまり良い意味では使われない。黙々とデモに参加する姿を見ていると、先に生れて、「先を生きる」先生のすごさが胸に伝わってくる。また先生に会いに行こうと思う。

<ブランデージ会長の提言>
 IOC(国際オリンピック委員会)のアベリー・ブランデージの名前を記憶している人は多い。名前を聞くのもウンザリするほど1952年から20年間も会長を務めた。彼の評判は至って悪い。「反ユダヤ」「親ナチ」主義者といわれたにもかかわらず、何故長期にわたってIOC会長をやれたのか不思議だ。その彼が会長時代に一貫して主張していたことがある。
 1953年の理事会を皮切りにオリンピックの表彰式で国旗と国歌を禁止する提案を続けた。「ナショナリズム高揚への懸念」を表明し、オリンピックは「国家間の対抗試合ではなく、あくまでも個人が争う大会」というのが彼の信念だった。さらにオリンピックを「商業主義政治主義」から守り抜くことも訴え続けた。提案は否決され続けたが、退任の直前1968年の第67回総会で執念が実り、国旗掲揚と国歌の演奏の禁止が賛成34反対22で多数を占めるまでになった。3分の2を得られなかったため「否決」扱いとなったが、世界の常識は国旗掲揚と国歌演奏禁止が多数派となった。
 ひたすら「日の丸」と「君が代」に感動するのは世界の趨勢とかけ離れている。「ニッポン ニッポン」を絶叫し続けるアナウンサーはこのことを知っているのだろうか。
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