2016.10.03 麻痺する金銭感覚とスポーツ界のごっつあん体質

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

税金を貪る政治家
 安倍マリオ演出に要した12億円がどこから支出されたのか知らないが、億の単位で官邸機密費が際限なく支出される日本の政治家は、真っ当な金銭感覚を失っている。1億円は1万円、10億円が10万円、100億円が100万円、1000億円が1000万円、1兆円が1億円程度の感覚でいるように思えて仕方がない。政治家の金銭感覚は庶民のそれに比べて、1万倍ほどの違いがある。しかも、そうやって大きなお金を動かせるのが、大物政治家だと錯覚している。
 国立競技場の建て替えをめぐる騒動で、森喜朗氏は「たった2500億円もだせないのか」と発言したが、これこそ権力の甘い汁を吸ってきた歴代自民党政治家の金銭感覚をそのまま表している。こういう政治家連中が国家予算を取り仕切っているから、いくらお金があっても足りない。脳天気な政治家が支配してきたからこそ、国の借金はGDPの2.5倍に膨れ上がっている。これだけ国家債務があっても、金銭感覚が変わらない政治は悲劇である。財政健全化は国民向けの口先スローガンにすぎない。国民もまた、将来、降りかかってくる財政支出の大幅削減に思いを馳せることができずに、政治家の横暴を許している。国の財政支出に目を光らせることができない国民はとても賢いとは言えない。
 今の時代、何でもかんでも精一杯お金をかけて、最高の箱物を作ろうなどと言う発想で五輪を開催すべきではない。日本が国力を世界に見せしめる時代はもうとっくに終わった。誰も日本の国力や技術力に疑問を挟まない。経済的に成熟した国の五輪であれば、節約しても、十分に見栄えのある五輪を開催できることを示すべきではないか。
誰が五輪の予算を賄うのか
 小池東京都知事の五輪調査チームによれば、東京五輪の開催費用は、現状のままでは、3兆円を超えると試算されている。ところが、いったい開催費用の予算作成や管理がどうなっているのか、さっぱり分からない。どうも、「かかる分だけ予算になる」というような感覚で組織委員会が運営されているようだ。森喜朗氏だけでなく、官邸もそう考えているようだ。あたかも五輪予算を官邸費から出すような感覚でいる。
 お金は天から降ってくるわけではないから、最終的に、五輪開催にかかる費用は東京都と国家予算から賄わなければならない。スポンサーの協賛費は高が知れている。森喜朗氏は、五輪組織委員会は都の下部組織ではないというが、それでは五輪予算の作成や実行・管理に誰が責任をもっているのか。3兆円は国民1人当たりで計算すると3万円である。4人家族で12万円である。国民の総意というなら、国民の負担を明確にして、民意を問うべきだろう。
 そもそも、会社経営をしたことがない官僚と政治家、一部のスポーツ関係者が五輪の組織委員会を作っているから、予算の作成・管理、支出の精査・監査等という感覚がない。そういう委員会から節約的で合理的な五輪を期待することはできないのだ。
誰が見ても無駄な建設
 水泳競技を行う「オリンピック・アクアティクス・センター」は座席数を20,000席にし、かつ競技後には5,000席に減らす工事に、膨大なお金がかかるという。そもそも、世界を見渡しても、2万席のスイミングプールなど存在しない。5,000席では少なすぎるが、20,000席なら十分という根拠はどこにもない。最初から、実際に競技を見ることができる人は限られている。5,000であろうと、20,000であろうと大差ないのだ。それなのに、座席の増減だけのために、何百億円という巨額の資金を投入するのはまったく無駄な投資で、建設会社を喜ばせるだけだ。
 同じことはバレーボール会場となる「有明アリーナ」についても言える。日本のバレーボールが斜陽スポーツになって久しいが、テレビのスポンサーが付くので、W杯の大会が頻繁に日本で開催されている。しかし、バレーボール人気が低迷しているから、観客動員数はきわめて限られている。もっとも、人気の低迷は日本だけのことではなく、世界的にそうなのだが、五輪の大会だけ会場を大きくしても、その後の使い途は非常に限られてくる。そういう無駄な投資は控えるべきだろう。
競技連盟の問題
 競技連盟のほとんどが、五輪を機会に、競技場を建設してくれるのを歓迎している。しかし、無駄な建設を行うお金があるなら、それこそ、節約した分を選手育成に向けるべきことを主張すべきではないか。政治家や官僚と一緒になって、箱物建設を推進するのでは、競技連盟の存在意義が問われる。リオ五輪のメダリストに支払った総額は1億5000万円に満たない。この金額について、政治家も競技団体の役員も、誰も異議を申し立てていない。どうでもよい安倍マリオに12億円も支出しながら、メダリストに渡した総額がこれでは、先が見えている。
要するに、東京五輪は、政治家が目立ち、建設業者が儲かる事業で、メダリストには端金で精一杯頑張ってもらうという構図になっている。
競技団体の役員や選手は、もっと選手のトレーニング環境の整備や海外派遣費用の負担など、選手育成にかかる予算を要求すべきではないか。箱物を作ってもらって喜んでいるのは、スポーツ界の「ごっつあん体質」そのものだ。作ってもらうだけで有り難いという姿勢ではなく、箱物の予算を削っても、選手育成にもっと予算を支出するように働きかけるのが本来の仕事なのではないか。日本の競技連盟には、そういう真っ当な姿勢が欠如している。連盟役員が官僚化している(か、それとも無能な)証左だ。
 数日前に、競泳の瀬戸選手が短水路のW杯転戦のために出発したが、自費だそうだ。無駄な座席を作り、そして取り壊すのには何百億円の予算を計上しておきながら、肝心の選手の海外派遣にお金が出せない連盟など、いったい何のために存在するのだろうか。
 五輪の会場変更や予算削減など、今時の五輪では何も珍しいことではない。建設業者の仕事が減るだけの話だ。どんぶり勘定で決めた予算を再点検して、合理的な範囲に戻すのは当然の作業だ。森喜朗氏が恥をかこうかくまいが、知ったことではない。自業自得だ。

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