2016.10.28 フィリピン国民にとっては痛快な“反米”ドゥテルテ大統領
中国人移民の孫、根底には毛沢東思想か

伊藤力司 (ジャーナリスト)

フィリピンにとって長年の同盟国であるアメリカのオバマ大統領に対して「淫売婦のせがれ(son of a bitch)」とか「地獄へ堕ちろ(go to the hell)」など、ひどい暴言を吐いて悪名をとどろかせたドゥテルテ大統領が10月25日から3日間公式訪日、安倍首相と首脳会談して帰国した。親日家を自称するだけあって暴言もなく、ご機嫌な訪日だったようだ。

これより先ドゥテルテ大統領は10月18日から4日間訪中して、習近平国家主席ら中国の首脳陣から手厚くもてなされた。大統領は20日に北京の人民大会堂で演説し「軍事的にも経済的にもアメリカとは決別する」と宣言。同日の習主席との首脳会談では、両国間の係争問題となっている南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島の問題では、解決に向けた2国間協議を再開することで一致した。

この問題は中国が2012年に、艦船を動員してルソン島沖の南沙諸島・スカボロ礁を実効支配したことが発端。フィリピンのアキノ前政権はこの問題を、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所(ハーグ)に提訴、同裁判所は今年7月、南シナ海のほとんどの海域を領海とする中国の主張を全面的に退ける判決を下した。しかし中国はこの判決を「紙切れ」(王毅・中国外相の発言)として、判決を無視する態度を示した。こうした背景下での中比首脳会談でドゥテルテ氏が、自国に有利な仲裁判決に言及しなかったことは、中比間で仲裁判決の棚上げに合意したものとみなされた。

こうした中比間の急速なデタントは、中国の南シナ海に対する主権主張に強く反発する米オバマ政権と日本の安倍政権にとって見逃せない事態だった。10月26日ドゥテルテ大統領と安倍首相は2度にわたる首脳会談を行った。会談後の共同声明は「南シナ海問題の平和的解決に向けて連携することで一致。ドゥテルテ大統領は(日比両国が)共有する価値観は民主主義であり、法の支配だと言明した」と述べ、仲裁裁判所の判決を同大統領も尊重する姿勢を明らかにした。

「アメリカとは決別する」との北京発言に驚いた米国務省は、急遽ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)をマニラに派遣、ヤサイ比国外相と長時間会談した。その結果を受けてラッセル氏は、米比同盟関係は今後も維持されると強調、同時に「アメリカはフィリピンの主権と独立に敬意を表する」と述べた。
ドゥテルテ大統領は9月初めにラオスの首都ビエンチャンで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議を前に、冒頭で紹介したオバマ氏への暴言を発したため予定されていた米比首脳会談をキャンセルされた。その後ドゥテルテ氏は「暴言を後悔している」と事実上謝罪した結果、オバマ大統領との首脳会談は後日開催されることで米比外交当局が合意したという。

ドゥテルテ大統領は先の中国訪問に際して、中国がフィリピンに対して高速鉄道の建設など多額の経済援を約束してくれるのを受けて、南シナ海紛争に関する仲裁裁判所の判決の「棚上げ」に同意するポーズを取った。その直後の日本訪問で安倍首相との会談では(南シナ海問題での)「法の支配」、つまり仲裁裁判所の判決を重視する姿勢を示した。毎日新聞はこうしたドゥテルテ氏の姿勢を「ご都合主義」と批判している。一方、フィリピンのような新興国が大国と交渉するには、臨機応変・当意即妙の才が必要だという声も聴かれる。

またドゥテルテ氏と言えば、今年6月フィリピン大統領に就任して僅か4カ月の間に3500人もの麻薬犯罪の容疑者を裁判に掛けることなく処刑することを容認したということで、国際的には悪名高い。これを批判したオバマ大統領に前記の暴言を吐き、潘基文(バン・キムン)国連事務総長を「馬鹿」呼ばわりした。しかしフィリピン国内ではドゥテルテ大統領への支持率は9割にも達しているのだという。

ドゥテルテ氏は1945年3月レイテ島に生まれた当年71歳。成人後検察官になって、フィリピンの宿痾と言われる麻薬と汚職絡みの犯罪摘発に当たった。氏は1988年、33歳の時に南部ミンダナオ島首府ダバオ市の市長に立候補して当選、以後断続的に7選21年間ダバオ市長を務め、麻薬犯罪の容疑者を地元自警団が裁判抜きで殺害するのを容認した。アメリカなど先進国から批判を浴びたが、地元市民は喝采を浴びせ、本年5月で大統領選挙で圧勝した。

フィリピン南部ミンダナオ島やその南のスルー諸島は13世紀までにイスラム化したが、16世紀にスペインに征服されて植民地化され、フィリピンはアジア最大のカトリック国となった。19世紀末の米西戦争でアメリカがスペインを破ったことで、フィリピン全土は以後1946年に独立するまで、プロテスタントが有力なアメリカの植民地になるという複雑な歴史経過を辿った。

第2次世界大戦で日本軍がいったんはフィリピンを占領したが、マッカーサー元帥に率いられた米軍の反攻作戦に補給を失った日本軍が追い詰められ、1945年8月の敗戦まで悲惨な逃避行を余儀なくされた。その過程で罪のないフィリピン市民多数を巻き添え犠牲にしたことは、日本にとって消えることのない汚点である。

にもかかわらずドゥテルテ大統領が親日家を自称するのは、彼が長年市長を務めたダバオの特性からである。大正から昭和にかけて日本人移民2万人が、ダバオに植民して麻の栽培に当たり、ミンダナオ島の主要産業になったという歴史がものを言うのである。ダバオ中心に日本人2万人という数字は、1945年当時太平洋の島しょにあった日本人植民者の最大数だった。旧支配者のスペイン人、アメリカ人と異なる日本人移民は、ダバオ民衆に愛される存在だった。

フィリピン全土でもうひとつの大問題は、16世紀以降スペインから来た植民者が大土地所有者となり、4世紀余を経た今日でもその子孫が権勢を奮っていることである。南米の旧スペイン植民地にも共通する大土地所有者は、日本で言えば江戸時代の封建諸侯のような存在だが、現代の彼らの子孫はその富をバックに政治家、財界人として幅を利かせている。フィリピンの上下両院議員の多くは、大土地所有者の家系の出身者である。

歴代のフィリピン大統領、マルコス、アキノ、イメルダといった名前は、いずれも歴代の大土地所有者の流れをくむ人々である。第2次大戦後、大土地所有者に虐げられた農奴を組織した「フクバラハップ」(新人民軍)と呼ばれる農民ゲリラが、大土地所有制度への反乱を起こした。1950年代から60年代、70年代にかけて、毛沢東思想を掲げたこの新人民軍の農民ゲリラはフィリピン最大の問題だったが、アメリカの庇護を受けたマルコス政権の弾圧で農民ゲリラの脅威はほぼ解消した。しかし20世紀後半のフィリピンに及ぼした毛沢東思想は、ドゥテルテ氏の親中姿勢と無縁ではないようだ。

ドゥテルテ大統領が、中国に親近感を示して反米姿勢を強調しながら日本には特段の愛想を振り撒く様は、今世紀以降年6~7%の成長を続けて低開発国から新興国へと成長してきたフィリピンの今後の歩みを象徴するのかもしれない。任期6年のドゥテルテ政権の今後に注目しよう。

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