2016.11.09  金融緩和の夢破れ、アベノミクス、負のレガシーとなりけり

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

奇妙な沈黙
 インフレ目標を掲げて大胆な金融緩和政策をとれば、日本経済は復活するなどという馬鹿げた想定にもとづき、日銀は国債の購入を続け、市中に資金を供給し続けた。しかし、物価上昇目標は達成されないばかりか、逆に物価下落すら予想される事態に陥り、日銀は金融緩和政策の再考を迫られている。
 2013年から導入された金融緩和政策(量的緩和政策)によって、市中にだぶついた資金は、実物経済の拡大に向かうことなく、金融市場に向かい、それが株式市場のバブルを生み出し、円安方向へと為替相場を転換させた。この「アベノミクス」イデオロギーにもとづく経済政策によって、一部の資産家や輸出産業は「濡れ手に粟」の富を取得した。他方で、円安は輸入原材料の高騰を招き、海外旅行費用を高騰させた。にもかかわらず、来春に4年目を迎える金融緩和政策の当初の目標は何も達成されていない。それどころか、日銀が買い込んだ国債は400兆円(GDPの8割)にも上り、今後の日銀の金融政策の展開(緩和政策の転換)の大きな足かせになっている。
 「バズーカ砲」と賞賛された黒田総裁の緩和政策は一部の富者をさらに富ませただけで、日本経済の今後に400兆円という不良債権に陥る可能性のある国債を抱え込ませることになった。「金融緩和の夢破れ、山積みの不良債権のみ残る。アベノミクス、負のレガシーになりけり」。いったいこの責任は誰が、どうとるのだろうか。
 時流に乗り、インフレ目標を唱え、2013年に日銀副総裁の座に就いた岩田規久男氏は、「2年以内にインフレ目標が達成されない場合には辞職する」と言い放ったにもかかわらず、いまだにその座に居座り続けている。アベノミクスに媚びを売り、日銀副総裁の地位を得ただけのことだ。何ともけじめのない人だ。
 物価目標が達成されないのは、その政策に現実的な根拠がないからである。賢明な経済政策提唱に事欠く揚げ句に、アメリカの経済学者が唱えだした「インフレ目標」を真に受け、日本でも展開すべきだと主張し続けてきた一群の経済学者の責任は大きい。彼らが頬被りして、雲隠れすることなど許されない。
 もうまともな人は、「アベノミクス」など問題にしなくなった。政府からも「アベノミクス」というスローガンが聞こえてこなくなった。筆者が主張してきた通り、「アベノミクス」は誤った経済政策イデオロギーに過ぎない。それをあたかも金科玉条の絶対公理のように支持してきた「経済学者」は恥を知るべきだ。

現実的根拠のない「インフレ目標」
 だいたい、「インフレ目標を明確に打ち出せば、人々は消費を早め、それが生産拡大に向かい、その好循環が持続する」などという、あまりに稚拙な論理に簡単に填まってしまうほど、現代の経済学は浮き世離れしている。10%や20%もの高いインフレが予想される場合ならいざ知らず、1~2%程度の物価上昇予想で、消費を増やす人などいない。1~2%程度の上昇予想でも動くのは投機的資金であって、消費者はその程度のことでは動かない。
 要するに、「インフレ目標」論は、金融経済の行動様式にもとづいて発想されたアイディアに過ぎず、それを実物経済の世界に適用しただけの話だ。ほとんどすべて通貨(貨幣)という共通言語に還元して理解できる金融とは違い、実物の世界ははるかに複雑で、金融経済で一般的に観察される事象が、そのまま実物の世界で再現できることなどほとんどない。
 消費が飽和状態にある中で、多くの人が早めに車を買い換えたり、さらに新車をもう1台買い込んだりしない。そういうことができるのは、金融相場で莫大な利益を得て、外車を何台も抱え込むことができる人だけである。来年から2%価格が上がりますと言われて、すぐに洗濯機や冷蔵庫を買い換える人などいない。
 黒田総裁を初めとして、物価目標が達成されないのは、消費税増税による消費者の買え控えや、原油価格の下落などの外的要因にあると言い訳する人が多い。そこには実物経済の複雑さを分析し理解することを放棄し、根拠のない単純な政策スローガンに頼るしかない現代経済学の貧困さがある。あたかも太陽が地球を回っているといつまでも主張し続けるように、現象の世界を堂々巡りして、現象から本質を分析する知力を失った現代経済学の貧困を見ることができる。

理論証明を強調する「アベノミクス」顧問
 こういう批判にたいして、「インフレ目標」を信奉する論者は、いろいろな口実を口にしている。安倍内閣参与の浜田氏などは、ことあるごとに、「金融緩和の効果は、理論的に証明されているんです」などと口癖のように答えている。理論的に証明されるのは経済モデルの中の話で、モデルが正しく現実を説明するか、現実を動かす力をもつか否かはまったく別の問題だ。ところが、講壇経済学の世界に埋没してきた人々にはモデルが絶対で、真の分析対象が現実経済であることが忘れ去られてしまっている。経済学者が作る経済モデルと現実経済との間には、埋めることができないほどの大きなギャップがある。にもかかわらず、自分が作ったモデルが真で、現実が偽であるかのような主張を平気で展開する。モデルが現実の裏付けを得られないのは、モデルの前提が誤っているからだとは考えない。本末転倒である。アベノミクスをヨイショするほとんどの経済学者は、自らの言説が「天動説」であることが理解できないほど、現実感覚を失っている人々だ。
 現代経済学のいう「理論的証明」とは、極めて非現実的な前提のもとで作成されたモデル分析のことだ。モデルによる証明とは、最初に結論を念頭におき、その結論が導き出されるようにモデルの前提を設定し、論理を構築することだ。こうすると、モデルが仕上がった段階で、あたかも前提から出発して結論が得られたように見える。これはモデル分析の常套手段である。証明を不能にするような前提など、最初から設定しない。
 ほとんどの理論分析は、極めて限定された前提で作られている。だから、現実を説明する力をもたない。ところが、現代経済学者にかかると、モデルが第一義的で、現実が二の次になる。モデル通りに現実が動かないのは、モデル外の要因が強く作用しているからと考える。当たり前である。現実経済は抽象モデルの何十倍何百倍も複雑だから、モデル外の要因は山ほどある。モデルが想定できる前提には限界がある。だから、抽象的なモデル分析のほとんどが現実経済の分析に役立たないというだけのことだ。
 残念ながら、金融技術などの一部の手法を除き、現代経済学は依然として、応用数学か、イデオロギーの枠を脱することができない。インフレ目標だけで問題が解決できるかのように主張することそれ自体が、現代経済学の無力さを表している。しかし、誤った主張を放置してよいわけがない。間違ったイデオロギーによって、大きな負のレガシーが残り、将来の日本経済に大きな負荷を与えたことに、関係者はもっと真摯に向き合うべきだ。責任が取りようもないほどの大きな重荷を日本経済に与えたことに、それぞれが責任をとるべきだ。言い放しは許されない。少なくとも、アベノヨイショの「学者」は論壇から去るべきだ。もっとも、そういう気概や反省ができるほどの「学者」であれば、アベノヨイショになるはずもないが。
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