2016.11.11  モンゴル語・チベット語の滅びかた
          ――八ヶ岳山麓から(203)――

阿部治平 (もと高校教師)

この夏チベット人留学生や元留学生に再会する機会があった。
そこで、彼らの故郷の町の話が出た。彼らの1人は、そこでチベット人の子供たちがチベット語ではなく、きれいな漢語の標準語(普通話)で話しているのに出会ったという。
漢語を話すチベット人の子供たちは幼稚園卒業組だ。中国の幼稚園では漢語で教育するから低レベルの会話なら可能だ。「うらやましかったが、残念にも思った」と彼らはいう。「ぼくたちの子や孫の世代にはチベット語はなくなるかもしれない」
これと似た話は以前も書いたが、彼らの落胆した様子を見ていると、やはりもう一度書かずにはいられない気持になった。
――ここでひとことこと。我々は「何々先生の講演は漢語が多くてわかりにくいね」などと、漢字であらわされる単語を音読したものを「漢語」というが、「漢語」は元来日本で中国語と呼ばれている言語のことである。私も便宜的に「中国語」を使うが、正確には漢民族の言語という意味で「漢語」というべきである。

私は、中国共産党の民族同化政策が続けば、文字を持たない民族はもちろん、高い文化と誇るべき歴史をもった民族でも、学生たちがいうように、あと二・三世代で民族語を完全に失うとおもう。民族語を失えば民族文化はほぼなくなる。
こんなことをいうと鬼面人をおどろかすいいぐさと思われるかもしれないが、目の前にモデルがある。文字文化を持ち偉大な帝国を築いたモンゴル人である。現在の内モンゴル自治区は清朝末期から漢人移住者がつづき、ついに90%近くになった。
もう10年近く前のことだが、内モンゴルのモンゴル語教育についての報告書を読んだことがある。モンゴル語を学ぶ生徒数が減少し、図書も新聞雑誌も減少していることが書かれていた。
当時も今もモンゴル族小中学校には、「蒙語授課」と「加授蒙語」という二つの形式がある。「蒙語授課」はすべての授業をモンゴル語で受ける。「加授蒙語」はすべての授業を漢語で受けるが、課目としてモンゴル語の勉強をする。
1986年には内モンゴル自治区全体でモンゴル語で学ぶ生徒は38万人いた。2007年には24万人に減少した。さらに小学1年生のモンゴル語教科書第一冊の印刷数は、1992年の6万8600冊から2006年の2万2500冊になった。14年間で3分の1に減ったのである。
この間にモンゴルの少子化が急激に進んだのではない。「蒙語授課」の生徒3分の2がいなくなったのである。ではこの14年後の2020年にはどうなるのか。モンゴル語を学ぼうという子供がどのくらいいるだろうか。

話をチベットに移そう。
チベット人地域各地方の中心地には、小学校から中学(日本の中学・高校)まで、普通学校・民族学校、民族寄宿制学校の3種がある。民族学校が寄宿舎を併設している場合もある。
普通学校は、教師が教室で使う言語や文字(教育用語)は漢語・漢字である。民族小学校では授業はチベット語で行われるが、初級中学(日本の中学)になると漢語で教える課目が増える。いずれのレベルにも課目としてチベット・漢両語がある。高級中学(高校)では課目としてのチベット語の授業を除いて、すべてが漢語による教育に変わる。
チベット人でも小中学校から漢語による普通学校に入学するものがいる。これは親が役所勤めの場合に多い。大学入試「全国統一高等学校入学試験(センター試験に類似。高等学校は日本の大学)」と、大卒後の就職に有利になると期待するからだ。ただし入学には子供の漢語レベルが一定水準以上であることを要求される。
町の一般チベット人の子供は民族学校へ行く。辺鄙な村の子供は寄宿制学校に入る。このごろは小規模校を廃校とし統合寄宿学校をつくって、収容児童を小学1年生からにしたところもある。だいたい月一回の帰宅休みがあるが、週末でも家族の誰かが来ないと学校外には出られない。
内モンゴルでもチベット人地域でも、学校は予算不足に悩まされている。生徒の奨学金を学校運営費に回すところもある。

民族小学校、寄宿制民族小学校を卒業した生徒はいずれも民族中学に入る。初級中学までが義務教育である。そこでの成績は興味深い。3、4ヶ月前中国のサイト「微信」に、ある民族中学の生徒名が記された成績表が載っていた。それを見るとチベット人学生でありながら、チベット語の成績よりも漢語の成績のほうがはるかに好いのである。
チベット語の授業をまじめにやらないか、試験準備をちゃんとやっていないかのどちらかだろうが、将来進学や就職を考えると「とにかく漢語だ。チベット語などやっていられるか!」という心理があるらしい。
チベット語文は書き言葉と話し言葉の距離が大きい。「チョウチョ」を「てふてふ」と書くようなものだ。これはモンゴル語も同じである。言文一致のチベット語が存在しないために子供向けの絵本や読物もない。チベット語では辞書なしには作文ができないが、漢語はあるレベルに達したら、低レベルの会話や作文はできる。これが成績に反映しているかもしれない。
市場経済の浸透とともに漢語の使用範囲は一段と拡大した。役所の文書、商品の説明書はもちろん、出稼ぎをしようにも漢語ができないと話にならない。極端ないい方をすればチベット語の出る幕は、日常会話のほか読経くらいしかないのである。このへんの事情はモンゴル語も同じようなものである。

当局による漢語化政策も着実に進んでいる。
たとえば青海省では2010年9月に国家の中長期教育計画にあわせて、「少数民族学生には漢語・漢字と少数民族言語文字との両方をマスターさせ使用させる」「学校の主たる教育用語は漢語・漢字である」という決定をした。はげしい反対運動が起きると、「じゃ、やれないところはやらなくてよい」と引っ込んで見せたが、現実には「やれるところから」実施して今日に至っている。しかも、最近ではかなりの地方で、寺院が俗人の子供へチベット語を教えるのを禁止している。

北京大学社会学系教授馬戎という学者は、2015年に「漢語」といういい方を「国語」に変えようじゃないかといいだしている(環球時報2015・8・27)。「漢語」といえば民族語のひとつに過ぎないが、「国語」といえば「国家語」として少数民族にこれを強制使用させやすい。
それはさておき、ここでは馬戎先生のいう「漢語の普及状況」を引用しておきたい。それは次のようなものである。
第一のグループとして、ほとんどが漢語を話す民族があり、これに相当するのは漢・回(全国各地に点在する漢人系ムスリム)・満・ホジェン・トゥチア・シボ・シェなどの民族である。第二は幹部・民衆間でほとんど漢語が使われる民族で、これに相当するのは、チュワン・バイ・サラ・トンシャン・ミャオ・ヤオ・モンゴル・トゥ・ポーアン・チャン・ムーラオなどの民族である。

どんな調査でこれが出てきたのか不明だし、第一と第二の区別もはっきりしない。だが、漢と回は母語が漢語だからこれを除くと、第一のグループはすでに民族語を失った民族を指しているようだ。第二グループにあるモンゴル人は、さきに述べたように話者が急速に減少している。だとすれば、第二グループは民族語喪失の危機に直面しているものということになる。
馬戎先生のあげたなかにチベットやウイグル、カザフなどはない。馬戎先生は、まだ民族語を維持しているとみているのである。だが、これらの民族語もいずれそう遠くない時期に、研究対象としてしか存在しない運命にあるのである。
彼らもまた匈奴だの烏孫だのといった民族のように、歴史に記録されるだけの存在になるのだ。私の学生たちの悲しみは、当っているのかもしれない。
Comment
言語のような民族文化を残そうとするか否かがグローバリズム的全体主義(=国家や資本の抽象的普遍主義)とインターナショナリズムの分水嶺ですね。
中国政府のやり方は、資本主義的グローバリズムと同様の全体主義でしょう。
こういう問題にも彼ら中国「共産」党連中の哲学的貧困と反マルクス的体質が表出している。

バッジ@ネオ・トロツキスト (URL) 2016/11/11 Fri 15:11 [ Edit ]
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