2016.11.28  巨星墜つ、フィデル・カストロ氏が死去
     共産陣営では稀に見る清廉さが長期政権を生む

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が11月25日、死去した。90歳だった。20世紀から21世紀にかけて世界の共産主義・社会主義運動を率いたレーニン、スターリン、毛沢東、ホー・チ・ミン、金日成、チトーらの亡き後、ただ一人残っていた革命家が姿を消した感じで、まさに「 巨星墜つ」の感を禁じ得ない。カストロ前議長は実に57年間の長期にわたってキューバに君臨したが、それを可能にしたのは、共産主義・社会主義陣営では稀に見る政治指導者としての清廉さと無私が、キューバ国民に支持されてきたからではないか。

 カストロ氏は、1953年、26歳で、同志とともにキューバのバチスタ政権打倒の武力闘争を起こす。元キューバ大使の宮本信生氏の著書『カストロ』(中公新書、1996年)によれば「米国に隣接し、また砂糖産業の影響をもろに受けたキューバは、二〇世紀中葉、国内的には政治的腐敗、不正義、不平等、対外的には政治的・経済的対米従属・屈辱を特徴とする、『腐った、さらに腐りかけた』社会であった。そして、そこにカストロ・キューバ革命を生む温床があった」という。
 
 この時の武装蜂起は失敗し、カストロ氏も捕らえられて裁判にかけられ、15年の禁固刑を宣告される。が、蜂起した人たちに恩赦を与えるべきだとの世論が高まり、1955年、釈放される。その後、カストロ氏はメキシコに移り、ここで再度の武装闘争の準備を進め、1956年、氏とチェ・ゲバラら同志82人を載せたヨットがメキシコを出港、キューバの東海岸に着く。ところが、海岸にはバチスタ軍が待ち構えていて、カストロ側は多数の犠牲を出し、残ったカストロ氏らはシェラ・マエストラの山中に逃げ込んだ。
 しかし、この山中でゲリラ戦を展開しながらバチスタ軍と戦い、ついに、1959年、バチスタ大統領がドミニカへ脱出、ここにカストロ氏らのキューバ革命が成功する。

 革命成功後、カストロ氏は、首相、共産党第1書記、国家評議会議長とその時々で肩書きは変わったが、常にキューバの最高指導者であり続けた。2008年に国家評議会議長を弟のラウル・カストロ氏に譲り、第一線を退いたが、その後も党機関紙にコラム「思索」を執筆し続け、この国の内外政策に影響を持ち続けた。文字通り、カストロ氏はキューバという国家の代名詞だったと言える。

 日本でもフアンが多い。とりわけ私が注目するのは、駐キューバ大使を務めた日本の外交官が、退任後、カストロ氏について好意的な著作を相次いで出版しているという事実だ。最初は、1991年から駐キューバ大使を務めた宮本信生氏の『カストロ』であり、次いで出版されたのが、1996年から同大使を務めた田中三郎氏の『フィデル・カストロ――世界の無限の悲惨を背負う人』(同時代社、2005年)である。2009年から駐キューバ大使を務めた西林万寿夫氏も大使退任後、『したたかな国キューバ』(アーバン・コネクションズ)を出版したが、その中でカストロ氏に触れている。

 カストロ氏が主導した革命キューバは、成立後、まさに危機続きだった。
 キューバ政府が革命直後に米国企業を接収すると、米国は1961年にキューバと外交を断絶。これに対抗してキューバが「社会主義」を宣言すると、米国は亡命キューバ人を中心とする傭兵軍をヒロン湾に上陸させた。1962年には、米国とソ連・キューバが対決し「戦争直前」と世界を震撼させたキューバ危機が起こる。この年、米国はキューバに対して全面的な経済封鎖を断行、これは今なお続いている。
 米国による経済封鎖によってキューバ経済は大打撃を受け、深刻な経済不振が慢性的に続く。それに追い打ちをかけたのが、キューバの後ろ盾であったソ連の崩壊(1991年)であった。このため、米国に移住・亡命するキューバ人が増えた。

 こうしたことから、革命以来、これまで何度も「カストロ政権は崩壊する」との見方が流布されてきた。しかるに、まだ崩壊してはいない。なぜだろうか。
 
 宮本信生氏は『カストロ』の中で、「カストロ政権はなぜ崩壊しなかったのか」と問い、次のように述べている。
 「カストロのキューバ革命の原点は平等社会と対米自主・独立の達成であった。そして、平等社会についてカストロはいわば疑似ユートピア的平等社会を達成した。国民の間の平等であるのみならず、国民と指導層との間の平等でもあった。従って、キューバには赤い貴族・ノーメンクラトゥーラは存在しなかったし、現在もそうである。カストロ指導部は、ベトナムのホー・チ・ミン指導部を別として、かつて存在したいかなる共産党指導部よりも無私であり、清廉であるといえよう」
 「カストロ兄弟が別々に居住している住居は、警護こそ厳重であるが、通常の住宅である。旧ソ連・東欧諸国の指導者の贅沢とは比較すべくもない」
 「国民は極度の経済的困難に直面し、大いに不満である。・・・しかし、ノーメンクラトゥーラが存在しない清廉なこの平等社会においては、旧ソ連・東欧諸国に存在したような、一般国民の党・政府指導部に対する妬みや恨みは存在しない。この事実こそ、経済的危機の中あって、キューバの政治的・社会的安定が維持された最大の要因であるといえよう。そして、それはいまも変わらない」
 ノーメンクラトゥーラとは、旧ソ連圏で「赤い貴族」と呼ばれた、特権的な生活をする政治家や官僚たちのことである。

 また、元駐キューバ大使の田中三郎氏は『フィデル・カストロ――世界の無限の悲惨を背負う人』の中で「フィデル・カストロは、誰よりも無私の心に生きる人である」と述べている。
 
 さらに、「フィデル・カストロ・ルス。老いぼれた、極悪非道の独裁者か、はたまた理想を捨てない不屈の巨人か。いずれにせよ、虚実を自分の目で確かめたい」と、2度、キューバ行きを果たし、ついにカストロ氏との面会に成功した作家の戸井十月氏(故人)はその著『カストロ 銅像なき権力者』(新潮社、2003年)の中でこう書いている。
 「カストロは無私である。それは間違いない。カストロは、生きた時間の殆どをキューバのために、キューバ人のために使ってきた。そのためならいつ死んでも構わないという覚悟の中で生きてきた」「キューバにノーメンクラトゥーラは存在しない。だから、多少苦しくとも人々はカストロらを支持する」
 
 カストロ執行部が、深刻な経済不振の中にあっても、国家予算の半分を投じて維持してきた教育と医療の無料化政策も、キューバ国民の大半がカストロ執行部を支持してきた一因だろう。西林万寿夫著の『したたかな国キューバ』にも、「多くの人々はキューバの社会主義を信じている。経済がうまく回っていないことは分かっているが、医療や教育が無料というところが大きい」と書かれている。

 いま一つ、キューバが他の社会主義国と著しく違う点を挙げておこう。
 私はこれまで3回この国を訪れたが、いつも印象に残ったことの一つは、この国の街頭にカストロ氏の肖像写真が飾られていないことだった。銅像もない。かつて私が訪れたソ連、中国、北朝鮮では、国中の至るところに最高指導者の肖像写真が飾られ、銅像があった。あまりのはんらんぶりに驚いたことを今でも鮮やかに覚えている。それは、異様な光景だった。
 聞くところによれば、カストロ氏は、自分の写真を街頭等に掲げることを禁じていたという。そのことは、この政治指導者の「清廉さと無私」とつながっているように私には思われ、清々しささえ感じた。

 フィデルの死去でキューバはどうなってゆくだろうか。にわかには判定できないが、当面は、ラウル・カストロ執行部がフィデルの精神と政治路線を受け継いで国造りを進めてゆくに違いない。問題は、革命を経験していない若い世代の動向だ。この人たちが、これから先、フィデルの精神と政治路線を継承してゆけるかどうか。キューバ政府の関係者は「若い世代に対しては革命教育をしっかりやってきているから心配ない」と言うが・・・
 それから、今年4月に開かれたキューバ共産党第7回大会で打ち出した経済改革と、米国との国交回復により、国民間の経済格差が広がるのではないか。キューバ革命が目指した「平等」に亀裂が生じた時、国民の団結と社会主義体制が果たして維持できるかどうか。「巨星」の死去で、人口1100万人の国・キューバは難しい局面を迎えるかもしれない。

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