2016.12.01  「キューバの皆さん、さあ・・・」
    暴論珍説メモ(151

田畑光永 (ジャーナリスト)

 キューバ革命の指導者、フィデル・カストロが亡くなったことについては、本ブログでも先月28日に岩垂弘氏があらためてその生涯を辿りつつ、業績をたたえる追悼文を書いている。氏と同じく、いわゆる戦後民主主義世代に属する私は氏の所論のほとんどに共感するのだが、「巨星の死去で1100万人の国・キューバは難しい局面を迎えるかもしれない」という最後の一行だけは次のように変えたい。
 「キューバの皆さん、さあ、心置きなく楽しい堕落の道を歩き始めてください」と。
 私は一昨年の春、ほかならぬ岩垂氏に引率されて、短期間だがキューバを訪れた。あえてその目的を言葉にすれば、「社会主義の最後を見届けたくて」ということになろうか。今や地球上から実体はもとより、言葉さえも消えつつある「社会主義」は、しかしわれわれにとっては特別の郷愁をかき立てる。
 1950年代から60年代にかけて社会に出たわれわれ世代は東西対立の中で、戦争と市場競争の資本主義がいいか、平和と計画経済の社会主義をとるか、という設問に、多くはためらいなく後者を選んだものであった。
 実際、第一次大戦のさなかにロシアで生まれた「ソ連」社会主義は、第二次大戦後、東欧諸国、朝鮮半島北部、中国大陸、モンゴル、インドシナ半島のベトナムへと広がって、その趨勢はまさに唯物史観の指し示すごとく、世界に広がるものと見えた。続いて1959年初頭、それを裏書きするように起きたのがアメリカの裏庭・カリブ海でのキューバ革命の成功であった。
 ところが、そこから先の社会主義の歴史はなんとも無残としか言いようがない。金儲けのためにものが生産される資本主義よりも、国民の必要なものを必要なだけ計画に基づいて生産する社会主義のほうがシステムとしては断然優れていたはずなのに、資本主義に追いつくどころか、いつまでたっても国民を満足させるだけの生活水準に到達することができず、1980年代末以降、「社会主義」の看板を残すか外すかの違いはあっても、ほとんどの社会主義国は市場経済の軍門に降ってしまった。
 なぜ社会主義は成功しなかったか。それをここで論じても詮方ない。ともかく「社会主義は資本主義から共産主義へいたる過渡期」という定義をもじって、「社会主義とは資本主義から資本主義へいたる過渡期」と反共主義者から揶揄される仕儀になったことは認めなければならない。
 その中で異彩を放ってきたのがキューバである。アメリカとの対決姿勢を緩めることなく、最大の同盟国かつ後ろ盾でもあった「ソ連」が消えて、「ロシア」に戻っても、独自の社会主義をこれまで続けてきた。
 そのキューバ社会主義はこれからも永続するのかどうか、それを考えるヒントでも得られれば、という思いでハバナに降り立った。
 全国民の生涯を手厚くカバーするキューバの医療体系はさすがであった。先年、アメリカのマイケル・ムーアがつくった映画「シッコ」でその一端は見ていたが、確かにそこには社会主義の思想が生きていた。とくに膨大な数の開発途上国からの留学生を受け入れている医科大学では、やがて世界の医学の標準語はスペイン語になるのではなかろうかという気にさえなった。
 しかし、「社会主義の弱点」にも事欠かなかった。早い話、我々が泊まったホテルは中級にも及ばないクラスであったのだが、5階建てなのにエレベーターは4階までしか行かない。それはいいとして、そのエレベーターがよく止まる、人が乗って動いている最中に。じつは私もそれに見舞われた。階の途中で止まってしまったのだ。同行者5人ほどが一緒だったが、こちらは扉を叩いて精いっぱい喚き続けるしか方法がない。やがて扉の隙間から人の指が一本現れて、とにかく救出作業が行われていることが分かったのだが、それまでにかかった20分ほどの時間は、今、思い出しても背中がむずむずする。
 ホテルのエレベーターや風呂、トイレの水回りの不具合はかつての社会主義国では日常茶飯であったが、その伝統がキューバでしっかり生きていた。問題は不具合が起こるというだけではない。その原因を突き止めてきちんと修理をしないのだ。どこかいじって動くようになると、そのまま動かす。だからすぐまた止まる。別の荷物用のエレベーターでは一人の仲間のスーツケースが壁との隙間に挟まって大破してしまった。
 国内事情の説明を受けてショックだったのは、食糧の自給ができていないということだった。国土面積は⒒万平方キロと日本の本州の半分ほどはある。そこに東京都より少ない1100万人の人口である。しかも位置は北回帰線のすぐ南側、熱帯に属して緑が豊かである。それで食糧の自給ができないとはどういうことなのだろうか。
 われわれのホテルの目の前が政府の農水省にあたる役所だった。大きな建物で霞が関の農水省にも劣らないくらい。しかももっと背が高かった。その巨大な役所にみな早く出勤してくる。見ていたら7時前から出勤が始まり、8時ごろがピークだった。こんなに真面目なお役人が大勢いて、農業政策を考えているはずなのに。
 かつて多くの社会主義国がそうであったように、キューバも経済が泣き所のようだ。聞けば2010年から経済改革がスタートし、ハバナ郊外の港近くには「マリエル開発特区」なるものが設けられ、外資企業の誘致に力を入れているということだし、今年1~3月には129万人の観光客を受け入れたとも伝えられる。
 遅まきながらキューバも社会主義お決まりのコース、つまり「改革の名による自由化」路線に踏み出したところのようであった。しかし、一昨年は武力革命のシンボル、フィデル・カストロが存命であったために、後継のラウル・カストロもいくら実弟といえども思い切った市場経済化に乗り出すことはためらっているような印象だった。
今、ようやくフィデルの時代は終わった。革命からすでに60年近い歳月が経っている。革命と建設は別である。背負ってきた革命の伝統をここらで卸してもフィデルも文句は言わないはずである。
 中国の毛沢東は生前、「おれが死んだら10年もたたないうちに修正主義が広まるだろう」と予言したが、10年どころか、鄧小平が改革・開放に踏み切ったのは毛の死後2年3か月後のことであった。革命から数えても29年後であった。
 ちょうどその頃、私は北京にいて、その大転換を目撃することができた。「銭儲けができるやつは先に金持ちになってかまわない」という鄧小平の「先富論」が人々を駆り立てた。農村に「万元戸」(1万元儲けた人間)が出現したと政府のマスコミも金儲けを奨励した。あっちで何かが足りないと見るや、別の町でそれを買いこんで売りに行って大儲けしたといった話がニュースになり、人々は嬉しそうだった。
 つい2,3年前まで、毛沢東思想万歳!と叫んで革命に明け暮れていた人々があっという間に上から下まで「堕落」した。しかし、堕落の味は密の味である。皆がそれで幸せな気分になれるなら、誰にもそれを止めることはできない。キューバの人々も今こそそれを味わうべきだ。自分で作って自分で売れるとなったら、あの豊かな土地があるのだから、きっと農作物などは輸入しなくても国中にあふれるのではないか、と門外漢の私などは想像してしまう。
 万事めでたし、だがそこで話は終わり、ということにはならない。その幸せにほどなく一党独裁官僚の手が伸びてくる。権力を金儲けに活用し始める。それを許すと、庶民は自由に堕落できなくなる。だからできるうちにしっかり堕落しておかなくては後で臍をかむ。
 一番いいのは、堕落の盛り上がりの勢いに乗じて、一党独裁を廃して民主化を一気に実現してしまうことだ。キューバ共産党官僚の力と知恵がどの程度のものか、私には分からないのだが、フィデル・カストロなき後の革命政党がキューバではいかなる道を進むか、これが次幕のヤマである。あの音楽好きで陽気なキューバの人々が目前の曲がり角をうまく曲がりきって欲しい、とはるかに祈っている。(161130)
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