2016.12.20  クルド人国家独立への道筋
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

クルド人国家独立への条件が、かってなく整いつつあることを連載で書いてきた。その実現性は? どのようなプロセスで実現するのか? どのような国家になるのか、乗り越えなければならないハードルは?をまとめておこう。もちろんすべてが関連する。
おそらく来年前半にモスル解放作戦が終了し、IS(イスラム国)がイラクから追放されるだろう。ISの支配下から脱出して難民となり、おもにクルド(公式にはクルディスタン)地域政府と国連の支援の下で、やっと生活してきた数十万人あるいは百万人を超えるモスル市民の帰郷が進みだした時点で、クルド国家独立への動きが表面化するだろう。
 2年半にわたるISの支配と、激しい戦闘でひどく破壊された市街と住民コミュニティの再建は大事業だ。イラク政府だけでなく、モスルとイラク北部のIS支配下の町や村からの難民を保護し、国連機関とともに支援してきた、クルド地域政府が大きな役割を担わなければならない。その支えになるのは、解放作戦で協調して成功した政府軍とクルド民兵軍団ペシュメルガへの住民の信頼だ。
前回に紹介した通り、2003年のイラク戦争でフセイン政権が崩壊し、多国籍軍の占領支配を経て、04年に主権回復。05年に国民投票で承認された新憲法で、すでに既成事実となっていたクルド人自治区が、イラク連邦の唯一の自治区として承認され、アルビルを首都とする地域政府による自治が公式に始まった。その後地域政府は行政を安定し、自治区を発展させてきた。地域政府の予算については、イラク政府に人口比に比例する国家予算の17%を要求、クルド地域で産出する原油の輸出継続と完全独立への地域住民投票の実施プランを取引材料にして、ほぼ要求を満たしてきたようだ。
それなのになぜ、独立国家を樹立したいのか。少なくとも1千年以上、クルディスタンの住民としてその名前で、生き抜いてきた歴史。自らの国家を築く願いをごく短期間、小さな地域で実現しては大国と周辺国に押しつぶされ、住む地域を分断されてきた。現在も方言は多様だが、クルド語で語り合い、生活し、民族としてのアイデンティティを守り抜く3千万―3千5百万人もの“自らの国家を持たない最大の”民族。なぜクルド独立国家なのか、という問いに答えられるのは、クルド人自身だけだろう。いま言えることは、イラクのクルド自治地域の住民の大多数が、完全独立を求めていること。同時に、フセイン政権の残虐な弾圧、民族・宗教紛争の辛苦の経験を重ねてきた住民たちは、新たな流血ではなく、平和的に独立達成を願っていることだ。
国際法的には、国家の独立だけならば、その地域の住民投票で多数が支持すれば独立国家の樹立が可能。東欧セルビア共和国のコソボ自治州では1990年、自治州議会が独立を宣言、独立を認めないセルビア政府軍との激しい戦闘が続き、多数の住民が犠牲になった。同民族の隣国アルバニアとNATO軍がコソボ側を支援。国連の調停で、08年にようやく政府が国家独立を正式に宣言。セルビアがコソボ独立を事実上承認したのは、さらにその3年後だった。
イラクのクルド地域政府も住民多数も、独立国家樹立の決意を固める一方で、イラク政府の合意を得て、新たな紛争を発生させずに、実現することを強く願っている。しかし、キルクークの帰属をはじめ、イラク政府と議会にクルド地域の連邦からの離脱と国家独立を承認させるために、交渉課題は多い。
クルド人住民がイラクより多い隣接国トルコ、イランでは、国内のクルド人の民族主義を刺激し、民族的権利の主張、運動がさらに強まるだろう。両国にとってそれが、イラクでのクルド国家独立にかかわる最大の問題だが、すでに両国は、クルド地域政府と原油の国際市場への輸出や、対IS作戦、国内のクルド人問題などで話し合い行っている。両国はイラクでのクルド独立後の対応を探り始めたともみえる。
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