2016.12.28  アレッポ市民の血にまみれたプーチンの手(上)
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

プーチン大統領を故郷山口県に招いて上機嫌だった安倍首相。握手した手は、アレッポ市民の血にまみれていたに違いない。
この2016年12月15日、6年近くの内戦によって、40万人以上の国民の生命を奪い、何百万の家庭を破壊し、国連推計で660万人の国外難民、600万人以上の国内難民を生み出したアサド・シリア大統領は、まるで内戦に勝利したかのように、シリア第2の都市アレッポの「完全制圧」を宣言した。シリア軍は声明で「圧倒的な勝利だ。この戦争が戦略的転換点に至ったことを示している」と述べた。
英BBC電子版は「2011年のアサド大統領に対する決起以来、彼にとって最大の勝利だ」と伝えた。
その4日後の19日、トルコの首都アンカラでの写真展開幕式で、ロシア大使がトルコ人の警護官に射殺された。犯人の男は発砲後に「アラー・アクバル」「アレッポを忘れるな、シリアを忘れるな」と叫び、他の警護官に射殺された。

9月以来、シリア政府軍はロシア軍の空爆支援の下、反政府勢力(市民も多い)が支配してきたアレッポ市東部への攻撃を強化、包囲、封鎖した。2年以上、市西部は政府軍が支配、東西で市の支配を分け合って、比較的静かな状態がつづいていた。政府軍の空爆では、残虐兵器“たる”爆弾(ドラム缶に爆薬とくぎを詰めた殺傷用爆弾)も多用して人々を恐怖の底に追いつめた。世界有数のユネスコ歴史遺産のこの街を破壊し、多くの子供たちを含む多数の市民を死傷し、餓死寸前にまで追いやった。そうして国連とロシア代表が説得し、反政府勢力に一般市民と戦闘員の退去を最終的に合意、満載のバスが動きだしたからだ。市民と戦闘員の退去を見守った国連代表は、「少なくとも3万4千人」の一般市民と戦闘員(市民も多い)が退去したことを確認した。退去せずに残った市民と戦闘員は数千人ないしそれ以上という推定もあるが、不明だ。
ロシアのセルゲイ国防相は、「アレッポの反政府勢力に対して、昨年9月以来18,800波の爆撃を行い、725の訓練キャンプ、405の兵器工場・作業場を破壊し、3万5千人の戦闘員を殺した」と誇った。

アレッポの市民たち、とりわけ若い女性や子供たちは、アレッポの生活、恐怖をツイッターなどSNSで発信し続けた。英語の発信も多かった。食べ物もなく9月以来、絶え間ない空爆、砲撃への恐怖で外に出られない毎日を、全世界が実感した。
内戦前は 230万人もの市民が、にぎやかに暮らしていたアレッポ。2千年以上の豊かな歴史、多様な建物と美術品に飾られた文化都市。政府軍とロシア軍に徹底的に破壊されるまで、シリア随一の商都であり、工業都市でもあった。
気温は零度以下、吹雪が荒ぶ街頭で、政府軍の監視の下、長時間待ち続けた市民たちがやっと満載のバスに乗った。行方は、アレッポの西方のイドリブ県。反政府勢力が支配し、北側はトルコとの国境に接している。トルコには、すでに270万人のシリア難民がテントなどで暮らしているが、さらにイドリブ県にテント村を作って、8万人のアレッポからの避難民を収容する計画だという。
しかし、アサド政権はアレッポ制圧に続いて、反政府勢力の支配する地域としては、北部と西部のクルド人武装勢力とイスラム国(IS)支配地域以外では最大の、イドリブ県を攻略しようとしており、アレッポ難民たちがいつまでここで難民生活を続けられるかわからない。(続く)

アレッポ1
アレッポ2
{写真説明}英BBC電子版は12月21日、“Aleppo:Before and After Images”(アレッポ、以前と以後の光景)と題して、ほぼ同じ場所で撮影した世界歴史遺産の旧市街の光景を、内戦前の2008年と最近の写真を並べて、報道した。おもに政府軍とロシア軍の空爆、砲撃で、大きな丸屋根も消え失せ、破壊がすさまじい。
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