2016.12.29  アレッポ市民の血にまみれたプーチンの手(下)
坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

▽最悪の国家破壊者アサドを救ったプーチン
アサド・シリア大統領は、第1次大戦以降の歴史ではほとんど及ぶ者がない、国家と国民の生活の残酷な破壊者だ。そのアサドは、プーチンのロシアに支えられ、助けられて、権力の座にある。アサド政権は、冒頭に数字をあげたように、自国の国民の生命、家族、生活、財産が徹底的に破壊されても権力の座に居座った。もしアサドが大統領を辞めていれば、シリアの国家も、国民もこれほど悲惨な状態に陥ることはなかった。より強い、独裁者だった父親、ハフェズ・アサドなら、こんな事態に国家と国民を突き落とすことはなかったに違いない。
 2011年春、「アラブの春」の一翼を担って、アサド独裁政権に民主化と自由、人権を求める、様々な階層のシリア国民が決起、デモと集会が活発化した。アサド政権内部でも、
実業家たちや富裕層の中にも、民主的な選挙と幅広い政権構成を支持する有力者も少なくなかった。もしこの時点でアサド大統領を取り巻く、あるいは利用してきた軍と情報機関、有力資産家たちが、アサドを説得して、民主化へと妥協すれば、内戦にはならなかった。
だが、アサド政権は、わずかな政治的譲歩案を示しただけで、民主派との妥協どころか話し合いを拒否、軍と治安警察で過酷に鎮圧を始めた。
「アラブの春」に力付けられた民主勢力各派だけでなく、軍内部の革新派が脱退、「自由シリア軍」を結成して、アサド政権の打倒に動きだした。この時点でも、アサドが大統領が引退すれば、各政治勢力が妥協する政権ができたはずだ。現に政権有力者の中からも、そういう動きが見えた。しかしアサド自身も、アサドを取り巻く権力中枢の親族、軍、情報機関、バース党の有力者たちも、軍と情報機関、シャビーハ(粗暴な民兵組織)を動員して、民主勢力や自由シリア軍を非妥協的に弾圧する道を選んだ。それが第1次大戦以後、最悪の内戦に発展した。
 反政府勢力には、湾岸アラブ諸国が支援する様々な勢力が加わり、不統一な反アサド勢力ではあったが、情勢はアサド政権の不利へと次第に傾いた。しかし、父親ハフェズ時代に地中海岸ラタキアに海軍基地を建設したロシアが、兵器の供与はじめ支援を強化し、反米感情が強いイランの政権もアサド政権の支援を始めた。また、レバノンのシーア派政治・武装勢力ヒズボラもアサド政権の要請にこたえて、強力な民兵部隊をシリアに派遣した。
 
アサド政権は13年8月、ダマスカス郊外に迫った反政府勢力支配下の地方都市に、化学兵器を使用した。その事実を米国と国際機関が突き止め、アサド政権を追及。アサド政権がその事実を認めず、化学兵器の砲撃を続けたため、米国は艦隊を地中海東部に派遣しシリア爆撃を実施する態勢に入り、英国なども同調した。攻撃開始寸前、ロシアが介入、アサド政権に化学兵器の保有を認めさせ。国際機関の監視下に国外に搬出、全廃することを約束させた。このため、米、英は爆撃を取りやめ、シリア側は国際機関の監視下に化学兵器を搬出し始めた。約束はほぼ実施されたと国際機関が14年に認めた。もし、ロシアの介入がなく、米英軍の爆撃が実施されれば、反アサド勢力を力づけ、政権が崩壊した可能性がある危機だった。ロシアは国際社会が予想もしなかった突然の介入で、アサド政権を救ったのだった。
以後、ロシアはアサド政権への支援をさらに強化。アサド政権が倒れて地中海唯一のロシア海軍基地ラタキアが失われる事態を阻止するため、シリアへの軍事介入を強化した。
2015年9月30日、ロシアはアサド政権を支援する爆撃を開始した。

▽アサドのもう一つの大罪-ISとの戦いを軽視、急成長を許した
アサド大統領のもう一つの大罪は、偏狭で残酷なイスラム過激派IS(イスラム国)をシリアに根付かせ、シリアを本拠地として世界的なテロ集団として成長させ、テロ攻撃をシリア、イラくだけでなく、世界的各地で実行するまでにしてしまったことだ、
IS(イスラム国)の前身組織「イラク・イスラム国」がイラクで結成されたのは2006年。米軍、イラク政府軍へのテロ攻撃を拡大したが、2010年前後から米軍、政府軍の作戦に次第に制圧され、中部ファルージャなどに押し込まれ、活動が縮小した。このため13年、内戦状態になったシリアに主力が移動、「イラク・シリアのイスラム国」(ISIL)に改称。シリア政府軍が首都周辺、中部・西部での反政府勢力の鎮圧に集中し、手薄になった東北部、東部のイラク国境近くで、ISILは町や村そして油田施設を攻撃。14年には入ると東北部の中心都市ラッカを占領して、“首都”とし、ISILを「イスラム国」(IS)と改称した。この時点で、いやそれ以後でも、アサド政権が反政府勢力と一時的にでも停戦して、シリア軍がイスラム国との戦いに集中していれば、ISは間違いなく壊滅することができたはずだ。
国連代表が中心になって、シリア内戦を終わらせる和平工作が繰り返し行われたが、そのつど成功しなかった理由は、アサドが辞任を拒否し続けたことと、数グループの反勢力側にはそれぞれアラブ湾岸諸国の支援国があり、いつも交渉の重要段階で分裂してしまうからだった。もし、アサド政権側が、ISを壊滅するために、一時的休戦を反政府勢力に提案すれば、支援国も米国も、おそらくロシアも賛成したに違いない。もし、一時的休戦が実現すれば、政府軍と反政府勢力、米、英、フランス軍も、ロシア軍もIS攻撃に参加し、短期間にISを壊滅できただけでなく、内戦の最終的解決へ弾みがついたに違いない。
ISはラッカ占領後、石油収入と略奪した古文化財で資金を増やし、アラブ諸国や欧州などから若者たちを勧誘して数万人ものテロ組織に急成長。14年6月には、イラクに侵攻してモスルを占領、銀行を攻撃して巨額の国家資金を略奪。その資金と巧妙な宣伝で、影響力を広め、さらに若者たちを集めて、大規模なテロを欧州、中東、それ以外でも実行するようになった。一言でいえば、アサド政権が反政府勢力の攻撃に集中し、ISと戦わなかったために、ISによるテロを中東、欧州そしてそれ以外に広めることになったのである。(了)
Comment
詳細な解説、とても勉強になりました。ありがとうございます。
やはり内線初期の段階でアサドを辞めさせられなかったことが、シリアがここまで酷いことになっている原因だと良く分かりました。
そして、先日の首脳会談の腰が定まらない外交の結果、日本はロシアの動きに「理解を示す」国だと国際社会からみなされていることに深く恥じ入らざるを得ません。
夜ノ森の桜 (URL) 2016/12/30 Fri 01:11 [ Edit ]
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