2016.12.30  送朴迎新
    韓国通信NO513

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

小原ソウル12月

クリスマス目前、色彩豊かなイルミネーションで飾られたソウルの町並みは、毎週末100万から200万人の市民で溢れたことが信じられないほど穏やかな年末の風景だった。
娘にとって初めての韓国、私には歴史的な激動のさなかにあるソウル3泊4日の旅となった。沖縄の名護に暮らす娘と仁川空港で合流して夕方にホテルに到着。親の「見栄」があったのかも知れない、交通の便がとてもいいソウル市庁舎前の高級ホテルを予約しておいた。夕食はカムジャタン。ホテル裏通りの粗末な食堂から短い二人の「観光旅行」が始まった。沖縄に暮らし始めて20年になるヤマトンチューは、早速、「辛い」「寒い」の連発で、先行きが思いやられた。
貞洞劇場で『カオン』という歴史ドラマを鑑賞。二百席ある劇場の観客は三十人ほどだった。古典舞踊、パンソリ、プク(鼓)、激しい立ち回り等熱のこもった舞台とは対照的に観客席は静まり返っていた。
清渓川の川辺を歩いた。この辺りも毎土曜日は大勢のローソクデモの参加者で賑わったはずだ。イルミネーションに歓声をあげる市民たちに混じって散策を楽しんだ。今見てきたばかりの劇場公演も好評だったが、夢中に写真を撮りまくっている娘にドブ川を復元した李明博ソウル市長が大統領になった話をし始めたが、つまらない話に思えてやめてしまった。
団体ツアーならバスで次々と観光地を訪れるところだが、今回は徒歩中心、地下鉄、タクシーを乗り継ぐ強行軍となった。凍て付く寒さと、ありのままの韓国を触れて欲しかった。

<急激な円安が進行中>
ホテルの朝食代8万ウォンには驚いた。朝食のバイキングにひとり四千円以上も払ったことになる。強いアメリカを目指すトランプ次期大統領のあおりをうけて急激な円安・ドル高が進んでいることを肌で感じた。
翌朝、徳寿宮の朝の散歩から始まり、そこから世宗通りを光化門に向かって歩いた。道路の中央公園には大統領退陣を求める看板と旗、泊まり込み抗議をするテントが並んでいた。目を丸くしている娘に説明したが事情がよく呑み込めないようだった。
弾劾裁判の「判決待ち」から一歩進んで、‘송박영신’(送朴迎新)、新しい社会づくりを開始しようとする意思が感じられる。「朴よ、さようなら、そして新しい年(社会)を迎えよう」という意味らしい。
クリスマスイブも大晦日も奇しくも土曜日、新年も第一週から全国各地で大規模な大統領糾弾の集会が予定されている。日本では弾劾可決で「終わり」という理解が大勢のようだが、韓国はこれからが「始まり」だというのがスゴイ。日本のマスコミはフランス革命にも匹敵する歴史的大事件が隣国で進行中だということに気づかないようだ。

<娘と歩いたソウル>
1987年、30年前、ソウルを初めて歩いた感動がいまだに忘れられない。直前に購入したガイドブックを片手にやってきた娘に押し付けがましくあの時の感動と素顔のソウルを知ってもらうのが今回の旅の目的だった。南山タワー、小劇場が密集する大学路、漢南の新沙洞を予定していたが、悪天候(二日目は朝から雨、三日目の午前中は小雪が舞った)のために省略したのが惜しまれるが、以下にコースを参考のために紹介しておきたい。
「韓国とは、韓国人とは…」という軽薄な厭韓言説が溢れる時期にこそ自分の足と目で確かめ考えたいという思い。微妙な関係を持ち続けてきた韓国は日本人にとって刺激的で魅力ある存在であり続けている。

徳寿宮、教保文庫(ブックセンター)、景福宮、曹渓寺、日本大使館(従軍慰安婦水曜デモ参加)、仁寺洞、ギャラリーで写真展、東大門市場、鐘路商店街、ヨイドの国会議事堂、明洞、「ナンタ」劇場、明洞大聖堂、韓国銀行(旧朝鮮銀行本館・現貨幣博物館)、南大門市場、昌徳宮、ソウル市庁舎新館見学

<ソウルの「風に吹かれて」>
9月から突如として始まった前代未聞の反政府デモに驚き、「やじ馬」として韓国へやって来た。デモ参加者200万人は人口比で換算すると日本では400万人以上が参加した計算になる。とてつもないことが起きていることを実感させるが、それは韓国があらゆる問題で行き詰まっていることを示す数字でもある。
大統領の親友、「崔順実ゲート」から明らかとなった政治の私物化(壟断)が具体的でわかりやすいため国民の怒りを買ったのは事実だが、それだけでは問題は矮小化される。
セウォル号事件、政財界の癒着、労働法の改悪、国定教科書問題、格差社会への不満、米軍基地問題、従軍慰安婦問題の政府間決着、教育問題、エネルギー(原発問題)、対北朝鮮政策など、ありとあらゆる問題が現体制への不満として噴き出した。もはや大統領が退陣するだけでは解決は不可能。次の大統領も関心事の一つだが、「誰が大統領になっても変わらない」という声も多く聞かれる。
大統領の弾劾問題で政治・経済・外交の停滞が指摘される。大統領が職務停止なら当然のことだ。韓国は今、生みの苦しみのただなかにある。ソウルの町を歩いていると混乱どころか吹っ切れた希望のような雰囲気さえ漂う。

<またもや全俸準将軍の登場だ>
雇用不安と格差問題は今や世界が共通する深刻な問題となっている。矛盾の激化、解決の見通しがつかない状況のなかで、解決への最短距離にあるのは意外にも韓国なのかも知れない。ここで東学農民革命を登場させるのは唐突過ぎるかも知れない。19世紀末、朝鮮全土を席巻した東学農民の革命精神が今回の「大運動」の底流を作っているのではないか。そう夢想するのは、去る9月に「全俸準を追いかけて」一週間かけて慶尚・全羅地方をめぐり、全俸準らの農民革命が今でも民衆の心に深く根をおろしていることを感じたからかも知れない。
権力者の横暴を懲らしめ、弱者を助ける東学党精神が、今回の政治や大企業の横暴に対する批判、公平な分かち合いを求める運動の中に生き続けているような気がしてならない。借り物ではない土着の歴史の中で血肉となった「平等」「不正義に対する怒り」が120年の時空を超えて、積もり積もったマグマとなって噴出した感じなのだ。そうでなければ200万人以上の人が世直しを求めて立ち上がった説明がつかない。東学農民の革命精神を受け継いだ民衆が今、全国各地で「公平」「平等」「共助」を求め、価値観の変更と政治の抜本的な改革を求めてやまない。
「送朴迎新」は庶民が真に生きやすい「新」しい社会への期待感を表している。
共通する問題を抱える日本は高い内閣支持率が物語るように不満や怒りは抑え込まれたままだ。
大統領即時退陣のゼッケン姿の男性が日本の反響を聞いてきた。
「日本の多くの人も関心を持っている」が、「貴方たちのように怒っている人は多くはいない」と答えるのが精一杯だった。怒る韓国人と眠る日本人の違いはどこから来るのか。その問いに間髪入れず、「日本と韓国は違う」「韓国は遅れた民主国家」という感想が戻ってきそうだ。新憲法になっても日本人の血肉は旧態依然。私たちが「万系一世」の天皇の臣民であり続ける限り、世直しの機運は起こりそうにない。

<次の世代へ>
仁川空港の慌ただしい荷物検査、出国手続きに紛れて挨拶もなしに、それぞれ来た道を又帰って行った。
娘と二人だけの旅行は今回が初めて。始めはぎこちなかったが、いつのまにか昔のわがままな親子関係に戻っていた。小さい頃はいつも手をつないで歩いた。思春期を迎えたころから父親を汚いものを見るようになっていった。口が悪いのは父親ゆずりなので仕方ないが、親に保護者気取りで命令するのには閉口した。「薬飲んだ?」「着替えした?」「歯磨いた?」、最後には二人で行った先の一覧表を「書け」という厚かましさである。  
短い結婚生活に終止符を打ち、沖縄で暮らす娘の相談相手になれなかったことが悔やまれるが、これからは親子として、独立した大人同士としていろいろな話ができそうだ。
 おびただしいハングルに驚くばかりの彼女が、「私もハングル習ってみようかしら」と云いだしてくれたらうれしい。沖縄では三線に熱中、ハーリー仲間とともに地域にすっかり根を張った彼女は千葉に戻る気はないようだ。頼もしいようで淋しくもある。地史編纂や文化財の調査に従事している。仕事をとおして平和教育ともかかわる。沖縄の従軍慰安婦の話は彼女から教えてもらった。乱暴な口利は、もっと遠慮なく話してほしいという彼女のシグナルと受け止めた。これからは彼女に負けないくらい乱暴な口で私の思いをぶつけてやろうと思っている。

・25
日、帰国後、駅頭で「アベ政治を許さない」のプラカードを掲げていたら、娘と同年令くらいの青年が話しかけてきた。「東京オリンピックに希望を感じる」という。
「放射能がコントロールされていない日本に来ない選手が続出するかもしれませんよ。日本の常識は世界の非常識だから」と話した。
話がなかなかかみ合わなくて可笑しい。さらに「安倍首相と小泉元首相のどちらが立派か」なんて聞いてくる。政治の話をしたくても相手がいない寂しさを紛らわしているように見えた。トンチンカンな話だったが無視されるより話しかけてくれたのはうれしい。クリスマスの日、サンタの帽子とヒゲで一時間。子どもたちからは注目を浴びた。安倍さんが頑張っているのに「アベ政治を許さない」なんて変なサンタと思った人もいたかも知れない。「ありがとうございます」とていねいに挨拶して通りすぎた中年の男性がいた。   2017  今年の最終号です。
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