2017.01.20 民あってこその、国 命あってこその、人
韓国通信NO514

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

「民あってこその、国 命あってこその、人」
草壁皇子(天武天皇第二皇子、母は持統天皇)の長男のカル王子(後の文武天皇)に道昭が語った言葉だ。小説『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』(石川逸子著2016)では、この言葉が道昭の言葉として二回ほど語られる。
人の命がどんどん軽くなっていく。国のために、会社のために命を捨てるなんてまっぴら「ご免」が私の信条だが、世の中は逆の方向に向かっている気配が濃厚だ。
理性のひとかけらもない超大国の指導者の誕生。それにすり寄ろうとするわが国の指導者。単一民族を主張して人種、宗教、文化の違う人たちを排除しようとする動きが世界各地でも日本でも活発だ。

<昨年末から読み続けた二冊の本>
ひとつは韓国の小説『徳恵翁主』(トッケオンジュ)、もう一冊は『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』である。それぞれ400ページを超す大作、韓国語の小説は辞書と首っぴきのため一日数ページしか進まない。

『徳恵翁主』は日韓併合後、高宗の末娘徳恵翁主(王女)が希望もしない日本へ留学させられ、やがて旧対馬藩主宗家の当主宗武志と結婚、政略結婚ながら幸せな結婚生活を送る。精神病の発症、離婚して故国に帰るという話だが、こちらはまだ読みかけ。併合後の韓国王室が直面した悲劇が民衆の苦難とともに描かれた小説はベストセラーとなり、去年映画化され好評を博した。小説をとおして韓国人にも改めて「発見」された歴史上のヒロインだが日本でもその存在を知る人は少ない。皇女に涙した多くの韓国人の涙は何なのか。小説には彼女の周辺に韓国独立を目指す若者の姿も出現する。日韓関係が戦後最悪と云われるなかで、過去の歴史について、また一般の韓国人が日本に何を求めているかを知る一冊になることを期待して読み続けている。

<『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』を読む>
『道昭』もはっきり言って私には手ごわい小説だった。最近読んだ三田誠広の『親鸞』は親鸞の生い立ちから始り、人間親鸞像を描きながら浄土真宗の「教え」に迫った。『道昭』も仏教者の思想と背景に迫る点では三田の『親鸞』とかわらないが、登場人物の多さ、スケールの大きさに圧倒されずにはいられない。

道昭は西暦700年(文武4年)没。生まれたのは629年(舒明2年)である。従って親鸞より約400年前の人ということになる。あの『西遊記』で有名な玄奘三蔵法師から直接仏教を学び、帰国後、天智、天武、持統、文武天皇の時代に日本各地で教えを広め、俗的な権力とは一線を画しながら民衆に影響を与えた。わが国座禅の始祖ともいわれ、自らを火葬させたことでも知られる。
恥ずかしいことに私は道昭という人物を知らなかった。あわてて高校の日本史の教科書(山川出版・学校図書)を広げてみたが道昭はどこにも見当たらない。教科書にも取り上げられていない人物を主人公にした長編小説にまず驚いた。

日本への仏教伝来は6世紀中ごろ、百済からと言われている。道昭が遣唐使の一員として留学した653年は、仏教伝来から100年ほど後、葛城大兄―中大兄皇子(後の天智)が中臣鎌足と蘇我入鹿を暗殺した大化の改新645年から8年後である。唐の長安で玄奘から学び、帰国したのが8年後の661年、道昭31才の時だ。
当時の朝鮮半島は三国時代が終わりを告げようとしていた。唐・新羅連合軍によって百済が滅亡、斉明王と中大兄皇子が百済復興を試みたが白村江で大敗を喫し天智王が即位した(元の襲来はよく語られるが、白村江の敗北は余り語られない。敗北後、唐と新羅の襲来に国をあげて備えたことについても本書では触れられている)。東アジア全体に緊張が走り、朝鮮半島も倭国も激動の時代だった。

そのさなか帰国した道昭は、唐から持ち帰った経典を法興寺に納めると、「他利行」(「寺にこもっていては、み仏の足元に近寄れそうにありません。せめて名もなき民と苦をともにし、彼らが少しでも暮らしやすくなるよう、病に苦しむものには医術をほどこし、あらぶる川には橋をかけ、水に困る地には池を掘る」と道昭に語らせている。P289)の旅に出て、生涯、政争に巻き込まれることなく一僧侶として生涯を終えた。
道昭が生きた時代とあらすじを教科書風にまとめたのが本書たが、日本史の教科書では第一章古代国家の起源に次ぐ第二章「律令国家の成立」の時期にほぼ重なる。

<歴史文学の可能性を示した一冊>
『道昭』は一僧侶の生涯が詳細な日本とアジアの時代背景のなかで描かれている点が特徴だ。小説としての面白さにくわえ歴史書を読んだような充実感がある。くわえて歴史書にない生き生きとした人間群像が続々と登場する興味深さがある。
このような本を読んだら歴史に興味を持つ人が増えそうだ。わが国の無味乾燥な歴史教育のありかたに一石を投じているように感じられる。単なる事物の羅列ではない。唐に留学した国際人、道昭にスポットを当て、国際都市長安での生活は仏教修業にとどまらず、西域の人たちとの交流、日本と朝鮮の情報が唐にいる彼のもとに伝えられるという設定も奇想天外で新鮮だ。
もう30年以上も前のことだ。金達寿の『日本の中の朝鮮文化』を読んだ衝撃は忘れられない。日本各地の文化と地名から朝鮮文化の足跡を探った著書を読み、古代日本が大陸文化圏にあったことをことを知った。
『道昭』では多くの渡来人とその子孫たちがエリート集団として登場する。当時の倭国の政治を動かしていたのはまぎれもなく渡来人だったこと、中国が及ぼした影響の大きさが語られてもいる。
わが国には韓国の「史劇」(時代劇)ファンが多い。おなじみの新羅第27代 善徳(ソンドク)女王、金庾信(キム・ユシン)将軍、金春秋(キム・チュンジュ、後の29代 武烈王)、高麗の淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)将軍が登場することに興味を抱く人も多いはずだ。くわえて玄奘と唐の高宗、則天武后までが登場するとなっては、『道昭』はさながら壮大な「アジア歴史ドラマ」の観がある。

<魅力的な登場人物たち>
登場人物は歴史書をあざ笑うかのように魅力に富んだ「普通の人たち」を登場させているのも本書のもうひとつの特徴かも知れない。
唐によって滅ぼされた西域高昌国の木蘭という女性と、道昭の子どもを身ごもった花信尼という二人の魅力的な女性が登場し、読者を少しドキドキさせるに違いない。また道昭の「利他行」の旅に従ったアイヌのエオルシ、防人のイナマロ、行基はまるで三蔵法師に従った三人の従者、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を想起させる面白さだ。東大寺を建立した行基は道昭以上に歴史上の「有名人」だが、エオルシには土地を奪われたアイヌの悲劇を語らせ、イナマロには西国の守備に連行された防人たちの不幸を語らせ、当時の庶民が直面した生活苦にも目配りがされている。

その他に多くの人物を「歌」とともに登場させているのは詩人である著者なればこそとうなづける。謎の多い歌人柿本人麻呂が登場し道昭に苦しい心うちを語り、無頼と思われる小角という人物を登場させているのも興味深い。
道昭の世界は仏教をとおした慈愛に満ちたものだが、現実の世界は侵略、殺戮に明け暮れ、貧困に満ちた社会だったはずだ。
小角は道昭にこう問いただす。「おのれ(道昭―作者註)は善いことをしているつもりだろうが、大海の水一滴掬いあげるより虚しい行いよ。わずかな病人を救ってみて、多くの貧に苦しむものたちの嘆きを何とする」。小角は世を変えるために権力と力で対抗することを主張するが道昭は「殺生は認められない」と反論しつつも心は揺らぐ。人の命はむなしく、できることにも限りあることを悟った道昭の結論は、冒頭で紹介した「民あってこその、国 命あってこその、人」だった。
道昭にこう言わせた作者の思いは、今世界を覆い始めた「命の軽さ」「偏見」「憎しみ」という風潮に警鐘を鳴らしたものに違いない。

昨日、葬儀で青梅にでかけた。叔父の骨を拾いながら、禁を破って弟子に火葬を命じた道昭を思い出した。
「白骨と化したわが身をさらし、財をため権力をむさぼることのはかなさを示す」。白骨となってまで思いを伝えたいという道昭の激しさに身震いした。弟子たちが道昭の骨を争って集めようとすると、にわかにつむじ風が起こって灰や骨を吹き上げたとも記されている。

石川逸子著『道昭――三蔵法師から禅を直伝された僧の生涯』はコールサック社発行。2016/1125発行。定価1,800円+税

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