2017.01.30 『消えゆく限界大学――私立大学定員割れの構造』を読む
――八ヶ岳山麓から(210)――

阿部治平(もと高校教師)

定員割れをきたした大学、またはその危機に見舞われている大学が話題に上るようになって久しい。
私は2011年までの約12年余り、中国の大学で日本語や日本事情を教えていたが、そのときにも、日本から留学生募集のためにやって来る大学関係者がかなりの人数に上った。たいていは名前を聞いたことがない大学の方々で、たいてい大学名、学部名に「国際」「情報」「環境」「コミュニケーション」などの文字が入っていた。中国青海省の大学教授たちは、「こんな奥地にまでどうして学生募集に来るのか?」と怪訝な顔をした。
帰国後故郷の長野県に定住してみると、こんどは県内の私立大学が入学者の定員割れによる経営難を理由に、公立への移管を県や市に働きかけているという新聞記事を目にした。また同じ理由で長野県は県立短期大学を4年制に設置替えした。
さらに、私大経営者の不祥事、留学生たちの大量大学離脱など、首をかしげてしまうような大学をめぐる事件を次々と聞いた。大学の危機は全国的な現象であった。

日本の18歳人口は1992年がピークで200万人余りだった。22年後の2014年には40%余り減少して118万人となり、2018年度以後の6年間は一気に105万人程度まで減少することが予測されている。いわゆる「2018年問題」である。
さきの報道に接するたびに私は、たとえ四年制大進学率が現在の52%から60%になったところで18歳人口の減少には勝てない。いずれ淘汰されるべき運命にある大学はさっさと撤退すべし、と思った。

このたび、小川洋著『消えゆく限界大学――私立大学定員割れの構造』(白水社2017、2,000円)を手にした。じつに身につまされた。小川氏は、私立大学は採算ラインの定員8割を切っている100余りの大学のうち、中学高校の併設校や他の資産などがない大学はやがて撤退に追い込まれるだろう、と指摘をしているのである。

小川氏は高校教員を経験し、のちに大学の先生になった人である。高校教員時代には高校問題について研究し、『なぜ公立高校はダメになったか』(亜紀書房 2000年)を書いた。私にとっては、ずいぶん自分のやって来たことを反省させられた本である。小川氏は大学教員になってからは義務教育の調査研究を行い、同時に大学問題の研究に取組んだ。その成果が本書『消えゆく限界大学……』である。
「限界大学」とは、「存亡の淵に立たされている大学」の意である。小川氏は、「定員割れはある年、突然発生するわけではない」といい、この危機に見舞われるのは、「人材的にも財力的にも大学を運営するだけの能力に欠ける、文字どおり弱くて小規模な弱小私大」であるという。
ではこれら限界大学は、なぜ、いつ、どのようにして開設されてきたのか。
小川氏は、わが国の高等教育施策の歴史を縦糸に、その時代の豊富な統計資料を横糸にして議論を進める。

小川氏によれば、大学における入学者定員割れの状況は、その大学の設置時期によって大きく異なる。彼は敗戦直後の学制改革以降を6つに区分した。開設校数と、その後定員割れをきたした校数の比率がともに高いのは、「第3期:急増期」(1964~68、)、「第5期:臨定期」(1986~2005)の2つである。
「急増期」とは第一次ベビーブーム世代の大学進学に合わせて大学数が急増した時期、「臨定期」とは第二次ベビーブーム世代の大学進学に合わせて大学入学定員の臨時増と大学設置審査の簡易化がはかられた時期である。2つの時期の定員割れ校数の比率は、それぞれ30.1%、45.1%である。

つまり第一次、第二次ベビーブーム世代への対応がはかられた時期に開設された大学群の中に、定員割れを起こした私大が集中しているのである。そしてこの種の大学の多くは「短大」を母体とするものであった。
短大は戦後の学制改革のさ中に、1949年「暫定措置」としてもうけられたものである(短大の歴史については本書を参照してください)。短大は女子高校生を多く迎え入れたが、80年代に入りオフィスのOA化が始まると、短大卒業生への需要は減少し、女子高校生は四年制大学へ進学し始めた。とどめを刺したのは91年のバブル崩壊である。それまでも私立短大の閉校と開設は併存していたが、1997年の504校をピークとして、短大数は減少に転じた。
閉校に至った短期大学は3つに分類できる。撤退(廃校)、同一法人が経営する既存の大学の大学への統合、自ら改組転換しての四年制大学への移行(大学化)、の3つである。このうち「大学化」は、閉校私立短大の約3分の1にあたる。

小川氏は、短大が「大学化」したとき、そこには「短大以上大学未満」ともいうべき文化が形成されたという。そしてこれこそが魅力ある大学への脱皮を阻み、進学志願者をひきつける力を育て得ず、定員割れをきたす遠因になったのだという。これぞ本書の“クライマックス”部分である。
「短大以上大学未満」の文化とは何か。まずもともと規模が小さく財政基盤が弱い。経営責任者たちが四年制大学を運営するに足る識見と能力を持ち合わせず、そのために明確な目標に向かって学内を束ねていくだけの力を持たない。短大以来の教員たちが短大仕様の教育観に固執し、大学という研究主体の文化に自らを作りかえることができない。それらがあいまって大学全体として魅力ある教育カリキュラムを提供することができない、等々がそれである。

ところが小川氏によると、基盤が弱小であっても、比較的安定した運営ができている大学があるという。理事会が中心となって改革ができ、「お嬢様大学」から魅力ある総合大学へと大きな飛躍を遂げた武蔵野大学がその一例である。そこには改革の支柱の役を果たした一教育研究者の存在があり、また地元企業への卒業生斡旋の途をひらいた大学職員のはたらきがあった。初年次教育に力を入れたカリキュラムの開発が行われ、離学率が低下するという効果をみた。
ほかにも教員組織の刷新をはかった名古屋外国語大学、「ちょっと大変だけど実力がつく大学です」をキャッチコピーに、地元に役立つ人材の育成に力を注いで成功した共愛学園前橋国際大学など、全部で5つの成功例が紹介されている。危機意識の共有、企画立案能力、有能な人材を得る道筋の確保などがそれらの共通項である。

これら成功例に鑑みて小川氏は、弱小私大が生き残るための条件を6つ掲げている。①地域の信頼を得る、②入学前教育と初年次教育を充実させる、③ターゲットを絞った学生募集をする、④短大文化を清算し、教育・研究活動を活性化する、⑤安易な道を避ける、⑥経営体制の刷新をはかる、である。
それぞれの理由は察せられるであろうが、「⑤安易な道を避ける」はわかり難いかもしれない。これは、留学生依存や、流行学部・学科の集客力への大きすぎる期待である。いずれ時流は変わる、それを意識せよというわけである。
「⑥経営体制の刷新をはかる」は文字通りの意味だが、教育事業にふさわしくない人物が理事長におさまっている私学への警告でもある。打開策のひとつは外部人材の導入で、著名な学者・研究者を学長に招いて広告塔になってもらうことだが、安易にこれをやると、理事長と新学長との間に確執が生じることが生じるのはしばしば耳にするとおりである。

このほかに地方自治体に経営を引受けさせる「公立化」という手段がある。私の周辺では、地域文化に貢献するという趣旨で、上田市の長野大学と諏訪広域自治体の諏訪東京理科大学がある。
この場合は、設置主体の地方自治体に公立化によって総務省から運営交付金が受けられるほか、地方交付税交付金が配分される。これらの収入は現在の私学助成金より高額になることから、まず授業料が引き下げられる。その結果、全国から応募者を呼び込むことができ、定員を充足できる。しかも公立化によって地方幹部職員の天下り先が増えるという余禄もある。
かくしてひと時の安心を得た例がいくつかある。だが小川氏は、地方自治体は私学を引受ける前に、なぜその大学が不調に陥ったかよく調査すべきだといっている。

さて、小川氏の議論を踏まえても、いや小川理論に筋が通っているからこそ、長い時間で見ると、私はやはり18歳人口の減少が大勢を決するように思う。
だから限界大学の関係者は、いまから本書を読んで淘汰されない側に身を転じてほしい。また自治体関係者は限界大学を救済すべきか否かを判断する前に、ぜひ本書を読んでほしい。
さらに重要課題は、淘汰を余儀なくされたとき、その終焉をどう見守るのがよいかである。大学関係者、為政者はその被害を最小にする方法をいまから考察してほしいと思う。無視できない数の大学がいずれ臨終を迎えようとしているのだから。

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