2017.02.15  アメリカ社会とトランプ政権の移民政策
          映画『ブルックリン』から考える

小川 洋 (大学非常勤教師)

 選挙中に違法移民の排除を掲げていたトランプ政権だが、政権発足後にさっそく大統領令を出し、いくつかのアラブ諸国からの入国禁止、メキシコとの国境の壁建設を指示するなど、実行に乗り出した。しかし入国禁止については、司法側から直後に無効判断が出されるなど、現場では混乱が続いている。
 ネットではツイッターで、アメリカ先住民がトランプ氏に向かって「マジかよ。で、お前はいつ出ていくんだ!」と叫んでいる画像が投稿されていたりして、笑わせてくれるのだが、正当なビザやグリーンカードをもっている人物までが、現実に空港で拘束される事態が発生すると笑いごとでは済まなくなる。

 トランプ氏も当然、移民の子孫である。祖父がドイツから渡米した。その際に、苗字のDrumpfをTrumpにしたと言われる。母親はスコットランド最北のルイス島出身である。トランプ氏の顔は角ばっていて、どちらかと言えばゲルマン系というよりはケルト系の特徴が強くみられるから、母親似なのかもしれない。

 アメリカのケルト系としてはアイルランド移民が典型だが、最近もアイルランド移民をテーマとする映画作品があった。2015年に公開された映画『ブルックリン』は1952年の舞台設定で、アイルランドの若い女性が単身で、第二次大戦後の好況に沸くニューヨークに移り住む話である。ヒロインのエイリシュ・レイシーを演じたアイルランド系アメリカ女優のシアーシャ・ローナンはアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、映画も全編にわたって無駄な映像の一つもない名作である。アメリカに移住した人々がどのような経験をしながらアメリカ人となったのかを振り返るため、しばらく映画のストーリーを紹介しよう。

 それぞれの場面の映像はじつに多弁である。例えば、彼女がエリス島(54年まで使われていた)の移民局の入国審査の列に緊張して並んでいると、審査官のデスクの向こう側を家族連れのシルエットが横切る。入国を拒否されて送還される人々である。彼女は無事に入国を許可され、担当官に「青いドアから出るように」と言われる。彼女がドアを開けると眩いばかりの光に包まれ、彼女が祝福を受けているような印象を与える。

 しかし実際に生活が始まれば、孤独感や民族的差別のなかで強烈なホームシックに襲われる。昼食をとったカフェでもアイルランド訛りを指摘され、嫌な思いをさせられる。高級デパートの店員としての仕事を始めても、接客はぎこちない。上司の注意に対して「努力します」と答えると、上司は「下着を着ける時に努力する?同じように意識しなくてもできなければ。」と冷たく言い放つ。

 優秀な成績で中等教育を修了したエイリシュはアイルランドの田舎町では能力に相応しい仕事もなく、病弱な姉と母親の生活を支えるために性格の悪い女主人の経営する雑貨屋の店員をしている。その姉がカトリックの司祭に頼んで妹のためにアメリカへの移住と就職の機会を作った。ブルックリン地区の司祭は彼女に会計士の資格取得を勧める。学費は教会の寄付金である。向上心の強い彼女は、手始めに夜間の簿記クラスの履修を始める。

 と前後して、アイルランド系移民の集まる教会で週末に開かれるダンスパーティに出たエイリシュは、アイルランド女性が好みだというイタリア系男性(トニー)とめぐり会う。彼女は、堅実な働き者でありエイリシュに敬意にも似た姿勢で接するトニーと付き合いを深めていく。徐々にホームシックを克服しながら明るく振る舞うようになったエイリシュに対し、それまで彼女に冷笑的ともいえる態度をとっていた同じアイルランド系の先輩女性たちは、惜しみなく応援するようになる。交際相手がイタリア系と聞くと、「彼の話は、どうせ野球と母親のことばかりでしょ」と冷ややかに言う(当時のイタリア系男性のステレオタイプであった)。ところがトニーは聞き上手でもあり、自分がドジャースのファンであることも母親のことも話をしたことがなかった。エイリシュが否定すると、“Keep it”(日本語の字幕では「それは当たりよ」と訳されている)と、交際を深めるようにアドバイスされる。さらに、エイリシュがトニーの家に食事に招かれたと聞くと、スパゲッティの食べ方を指導してくれる(イタリア料理がアメリカで市民権を得るようになったのは、この時期のことだという)。また、当時ニューヨーク市民の手近なリゾートとなっていたコニーアイランドに二人で出かけると聞くと、水着の選び方からムダ毛の処理の仕方まで丁寧に教えてくれる。なお、ここで選ばれる水着の淡いグリーンはアイルランドのシンボルカラーでもある。

 多くのアメリカ移民は、このエイリシュと同じように、孤独と差別に苦しみながらも、同じ民族系の仲間たちの善意に支えられ、多様な民族と交流しながらアメリカ社会の中で、新しい生活を築いてきた。映画は、姉の急死の報に接して故郷に戻ったエイリシュのアメリカとアイルランドのいずれを選ぶか迷う様子を描きながら、結局はアメリカに戻る場面で終わる。

 アメリカへの帰途の船中でエイリシュは、アメリカに初めて向かう若い女性に先輩として様々なアドバイスをする側になる。「ブルックリンはアイルランド人が多く、故郷のようなところだ」と安心させる。また入国審査の際には「靴を磨いておく、目を見張ってアメリカ人のように自信ある態度でいる、そして絶対に咳をしてはならない(結核患者は強制送還)」などである。さらにエイリシュは続けるが、それはいつの間にか、自分自身に言い聞かせるモノローグになっている。「孤独に苦しむだろうが、ホームシックで死ぬことはない。それまで知ることのなかった人との出会いがあり、そこに生活の足場ができる。」と続ける。最後は再会したトニーと抱き合う場面で終わり、二人で家庭を築いていく未来が示されるのである。

 アメリカは嫌いだがアメリカ人は好きだという日本人は多い。日本人だけではないだろう。この映画が描いたように、次々と移住してくる様々な民族が、助け合い、また混じり合いながら社会が形成されてきた特有な社会形成の過程が、多くのアメリカ人の性格を形作っているからだと思う。しかしトランプ大統領は、難民や移住希望者たちに対して、高くて厚い壁を築こうとしている。移民の流入を停止することは、このようなアメリカ社会の成り立ちそのものを否定することである。アメリカ社会は外から新しい人々を受け入れることで活力を維持してきた。トランプ氏による移民の拒否はアメリカ社会の衰退を意味するはずだ。

 なおまたエイリッシュを援助したカトリック教会は、近年のアメリカでは、セックス・スキャンダルなどで社会的信頼を著しく損なっている。国家・政府の手の届かない福祉や教育などの面で重要な役割を果たしてきた教会そのものも、社会的地位を低下させている。ハイウエイなどのインフラの劣化が問題となっているが、アメリカ社会を支えていた目に見えないインフラも衰えつつある。アメリカは自ら確実に、その活力を喪失する過程に入っているように見える。
なお残念ながら、この映画はカナダ、フランス、アイルランドの合作であり、アメリカ映画ではない。
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