2017.02.17 日本の核兵器廃絶運動のあり方を批判
     「ラロック証言」の元米海軍提督が死去

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 1月11日付の「しんぶん赤旗」に載った訃報が目を引いた。そこには、元米海軍提督で、ミサイル巡洋艦プロビデンスの艦長を務めたジーン・ラロック氏が昨年10月31日に98歳で死去したとあった。「米艦船は日本に核兵器を持ち込んでいる」というラロック氏の証言は日本の各界に衝撃を与えたが、私はこのこととは別のことでも同氏に関心を持ち続けてきた。というのは、同氏が日本の核兵器廃絶運動のあり方に対し一つの疑問を呈していたからである。

 ラロック氏の証言とは、1974年9月10日、米国議会の上下両院合同原子力委員会軍事利用小委員会が開いた、核拡散の危険をめぐる公聴会で述べたものである。ラロック氏は当時、元海軍少将で、国防問題に関するシンクタンク「国防情報センター」の所長を務めていた。当時、共同通信ワシントン支局にいた佐藤信行氏によれば、証言の内容は次のようなものだったという(2009年8月の日本記者クラブ会報に掲載された「ラロック証言のいま―『核なき世界』へ」による)。

 「私の経験によれば、核兵器を積み込める艦船はいずれも核兵器を積み込んでいる。これらの艦船は日本や他の国々の港に入るに当たって、核兵器を降ろすことはない。核兵器を積み込める場合には、艦船がオーバーホールないし大規模な修理を受けるための寄港の場合を除いて、通常はいつでもこれらの核兵器を艦船内に積み込んだままである。これらの核兵器の一つをうっかり使ってしまうかもしれないという現実の危険性がある」

 この発言は日本国内に大きな反響を巻き起こしたが、日本政府は「米国がいかなる形にせよ、日本に核を持ち込む場合は日本政府との事前協議の対象になる」として、米艦船による日本への核兵器持ち込みを否定し続けた。しかし、いまでは、日米安保条約の改定時に日米両国政府間で「核持ち込みの密約」があったことが明らかになっている。

 ラロック氏の訃報に接した瞬間、私の脳裏に甦ってきたことがあった。平和運動家であった故熊倉啓安氏(1927~1995年)から聞いたエピソードだ。
 熊倉氏は日本平和委員会の専従活動家で、事務局長、副理事長、代表理事、顧問を歴任した。この間、原水爆禁止運動、基地反対闘争、日中・日ソ国交回復運動、日韓条約反対運動、反安保闘争、ベトナム人民支援運動、沖縄返還運動などに関わった。

 1978年5月には、米国に渡航した。この時期、ニューヨークの国連本部で第1回国連軍縮特別総会(SSDⅠ)が開かれたためだ。
 SSDⅠに対し、日本の原水禁運動団体、労働団体、市民団体、宗教団体は「国連に核兵器完全禁止を要請する署名運動推進連絡会議」を結成し、全国で署名運動を展開、署名は1869万筆に達した。この署名簿をたずさえた「国連に核兵器完全禁止を要請する日本国民(NGO)代表団」の502人がニューヨークに向かい、署名簿を国連事務次長に手渡した。熊倉氏もこの代表団に加わった。
 その後、代表団は12の班に分かれて各国政府や軍縮関係機関を訪れ、核兵器完全禁止に向けての努力を要請した。

 熊倉氏は第3班に加わり、ワシントンの「国防情報センター」にいたラロック氏を訪ねた。熊倉氏によると、班のメンバーの要請に「きみたちは来るところを間違えた。核兵器反対を言うなら、むしろ日本政府に向かって言うべきだ」と述べたという。「米国の『核の傘』のもとに安住していて反核を叫ぶことの矛盾を見事に突かれた思いでした。ショックでした」。帰国後、同氏が私にもらした述懐である。

 核兵器の拡散を恐れるラロック氏としては、核兵器の拡散を防ぐためには、まず各国の国民がそれぞれの国の政府に核兵器の製造や持ち込みをやめるよう働きかけるべきだ、と考えていたのだろう。が、それまでの日本の核兵器廃絶運動は、専ら、核兵器の禁止を国際社会に訴えるもので、米国の「核の傘」に頼って日本の安全保障を図ろうという歴代の自民党政権に対して「それを止めよ」と要求する運動は弱かった。それだけに、熊倉氏にとっては虚を突かれた思いだったのだろう。

 熊倉氏が、その後、ラロック氏の指摘を日本の運動にどのように活かしたらいいのかと考えていたのかどうかは私は知らない。が、同氏を通じて知ったラロック氏の指摘は、私にとって日本の核兵器廃絶運動を考える上で重要な視点となった。だから、日本の核兵器廃絶運動のあり方について意見を求められれば、ラロック氏の指摘を頭の隅に置きながら、意見を述べてきた。

 例えば、「週刊金曜日」1998年8月4日号に発表した『米国の「核の傘」の下で反核を叫ぶ矛盾』である。
 私はそこで、日本で開かれた反核集会に参加した海外代表が「米国の『核の傘』から抜け出さないと、日本は核軍縮で指導的役割は果たせない」「米国の『核の傘』の下にいることが日本の外交政策を制約している。日本は、米国の『核の傘』から脱却を」などと発言していることを紹介しながら、「日本の運動がこれまで掲げてきた最大にして最優先の課題は一貫して『核兵器完全禁止』または『核兵器廃絶』だった。ほとんどこれ一本やりだったといってよく、一部の団体はともかく、『米国の核の傘からの脱却』を運動の全面に明確に掲げたことは、運動全体としてはなかった」と書いた。   

 ところで、日本の原水禁運動団体、消費者団体、青年団体、婦人団体、宗教団体などは今、3月から国連で始まる、核兵器禁止条約締結に向けた会議に向けて、被爆者の団体である日本原水爆被害者団体協議会提唱の「ヒバクシャ国際署名」に取り組んでいる。「核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶようすべての国に求める」署名だ。
 ところが、日本政府はこの条約の締結に反対している。としたら、日本の運動としてはこぞって「被爆国の政府が核兵器禁止条約に反対するのはおかしい」と、日本政府に迫る運動も起こしてもらいたい。そう思わずにはいられない。一部の運動団体は「日本政府は核兵器禁止条約へ行動を」とのスローガンを掲げて活動しているが、まだ運動全体のものとなっていない。

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