2017.03.04  ヒマラヤの花にとりつかれた人生の集大成
          ――八ヶ岳山麓から(213)――

阿部治平 (もと高校教師)

森田千里というひとがいる。1932年山口県生まれ。東京理科大学山岳部出身。埼玉県蕨市の中学の理科教師をしながらインド北部のヒマラヤ山域に通う。やがてヒマラヤへの憧憬は病となり、1990年ヒマチャルプラデシュ州クル谷の奥の町マナリに移り住み、25年を過ごす。クル谷は、第二次大戦前にチベット高原を横断した画家・哲学者のロシア人ニコライ・レーリヒ(1874~1947)が滞在した場所でもある。
森田さんは、以後自らも山に登りながら日本に引き揚げるまで、インドヒマラヤやカシミールの奥のラダクへ行く日本の登山隊やトレッキング隊のためにあれこれと世話をしてきた。
この人が植物図鑑を出版した。
『北西インドヒマラヤの高山植物ハンドブック』(A Handbook of Alpine Plants in Himalayan Region of Northwest India)である。同類のものとしては、すでに吉田外司夫『ヒマラヤ植物大図鑑』があるが大きくて重い。これを持ち歩くのを躊躇する向きには、森田図鑑が手ごろである。インドヒマラヤだけでなくネパールでも十分通用する。しかも索引がしっかりしているから使いやすい。

森田さんがついには移り住むことになったインドヒマラヤは、5000~6000メートル級の実に地味な山しかない。チョモランマ(エベレスト・サガルマータ)をはじめ、ダウラギリ、アンナプルナ、マナスルと8000メートル級の山がぞろぞろ連なるネパールヒマラヤとはかなり異なる。
なぜインドヒマラヤなのか。
ネパールヒマラヤは、学校の夏休みの時期は雨季で山へは入れない。それに森田さんがヒマラヤをめざしたころ、ネパールヒマラヤは、日本はもちろん、欧米からも登山隊が大量におしかける時代を迎えていた。森田さんはモンスーンンと人を避けて北西インドの山域を選んだのだろう。

ここで彼は心の琴線にふれる山と人に出会った。インドヒマラヤには低いとはいえ、登って満足でき、しかも8000メートル級登山への入門用としても適切な山はいくらでもある。それに中印国境紛争の影響を受けて、国境のインド側には自動車道路が山奥にまではいっていた。ネパールのようにベースキャンプまで長いキャラバンをする必要はなく、カネと時間が節約できたのである。
山ふところの農家はイネやトウモロコシの栽培とともに羊や山羊の多頭飼育をやる。夏は山、冬は麓とという移牧である。ヒマラヤ前山のダウラダール山脈の峠を越えてパンジャブ最上流の大峡谷に入ると、ここでいきなり、インド文化はチベット文化に変る。信仰はヒンズー教から仏教になり、あいさつも「ナマステ」から「ジュレ」になる(この地域については棚瀬慈郎著『インドヒマラヤのチベット世界「女神の園」の民族誌』(明石書店)がくわしい)。
森田さんが幸運だったのは、マナリでとびきり好い人に出会えたことだ。山岳ガイドのリグジン・ダラキーである。ラダク人のリグジンは、インド政府が山岳観光に目をつけ始めたばかりのころにガイドとして養成され、北インドきっての名ガイドとなった人である(2017・01死去)。森田さんは奥さんを説得し、退職金をはたいて、リグジンの世話でマナリの町はずれに「ヒマラヤン・ハワー・アシュラム」すなわち「風の風来坊」と称する山荘を建てた。

ここで彼はヒマラヤの花の写真を撮りまくった。山荘近辺の路傍、耕地の土手から標高4000メートル余りの植物限界まで、その数おおよそ4万である。うち整理の対象としたのが1万数千、図鑑に載せたのが1500前後である。それぞれに学名・和名・撮影地・インドヒマラヤにおける分布域・開花期・草丈・生態についての若干の注が付いている。学名表記をしたのは現地の人の利用も考えてのこと。当然のことながら、これには植物分類学のたしかな学術的裏打ちがある。完成までに10年かかったという。
森田さんは、通常我々が従うエングラー(H.G.A.Engler)の分類ではなく、大場秀章東大名誉教授の『植物分類表Syllabus of the Vascular Plants of Japan』によっている。森田図鑑にはエングラーとの主な違いが一覧表になっており、わかりやすい。
たとえばエングラーでは、ネギ属はユリ科にまとめられていたが、新しくネギ科が立てられてそこに入る。同じようにアカザ属はアカザ科だったがヒユ科が新設されそこに入る。ウルップソウ属はゴマノハグサ科からオオバコ科へ、マツムシソウ属はマツムシソウ科が廃止されスイカズラ科へといったようになる。

私はこの図鑑を見て、完成までに森田さんがどのくらい苦労したかを思って感動してしまった。もう四十年くらい前になるが、私は中国の地理書『中国自然地理綱要』(商務印書館)を故駒井正一金沢大学教授とともに翻訳して『中国の自然地理』(東京大学出版会)として出版したことがある。私たちの場合漢語が与えられていたから、それから学名を検索したのだったが、それでもひどく苦しんだ。もっとも私が微力だったから本当に苦心したのは相棒だった。
だが、まったくそういった手掛かりがなく、いきなり現物を見て、あるいは写真を分析して、何属までわかったとしても同種か異種かを判別、同定するのは容易なことではない。森田さんはそれをやっている。大学で植物学をやっただけの知見では、これほどの観察力は得られるものではない。
だいたい森田さんの生業である公立中学の教師というのは、天国と地獄、豪雨と旱魃が同時にやってくる職業である。家庭でくつろぐ暇も独学をする暇もない。森田さんは、いったいいつ分類学を自学自習したのか。
外形はそっくりでも別な種とすべきものがある。たとえば近頃店頭にプリムラという名前で売られている矮生のクリンソウがある。中国か日本原産のものをヨーロッパで改良したものだが、サクラソウPrimulaの仲間である。森田さんの図鑑にPrimula属は15種が列挙されている。
私には、プリムラ・グラブラPrimula glabraとプリムラ・グリフシィーPrimula griffithiiを見分けることはできない。だが森田さんは、グラブラの注に「林縁など湿気のあるところ。ノドは黄色。花は約10個頭上につける」とし、グリフシィーには「高山帯放牧地など土地の肥えた林縁。花は青紫色。ノドは黄色」としている。
花の色などが異なっても同じ種であることはまれではない。たとえばヒマラヤ名物に青いケシ(Meconopsis aculeata)がある。森田さんは「畑のほとり、民家・学校のわきなど(に生育する)。ネパール以西のインドにはM.aculeataがほとんどといわれている。色違いと産地の違うものを並べてみる」として、23葉の図を提示している。私のようなしろうとが見たら、青と白と赤のケシが同じ種とはとうてい思えない。

この図鑑には楽しいことに、ところどころにプリムラや青いケシなどいくつかの花の群落や、薬草としての利用の姿が紹介されている。巻末には森田さんがつきあったヒマラヤマーモットやネズミとともに、親しかった人々が紹介されている。
美しい花にとりつかれた人にこういう注文をするのは無理だとは思うが、私のように牧畜に目が行くものとしては、羊やヤギが好むシバムギモドキなどの仲間も入れてほしかった。
森田さんは「いずれはこの図鑑をたたき台にしてよりよいものがつくられるといいと思う」という。私も山登りが好きで花が好きな人がこの言葉を受け継いでほしいと思うことしきりである。(森田千里氏の人となりについては雑誌「山と渓谷」2017・03が詳しい)

ところで、このすばらしい本は自費出版である。どこの出版社も怖がって手を出さなかったらしい。そこで本書注文は下記まで。価格は5000円。
森田千里 〒338-0003 さいたま市中央区本町東7-2-1-1060
電話048-856-0645。E-mail:hawa_morita@yahoo.co.jp
Comment
>どこの出版社も怖がって手を出さなかったらしい。

 その「怖がって」というのは「意味がよく分からない」ので、どういう意味だか詳しく教えて下さい。「売れそうにないから赤字を出すのを怖がって」と言う意味ですか?
bogus-simotukare (URL) 2017/03/04 Sat 05:09 [ Edit ]
このたびの拙稿を一部訂正します。

1、リグジン・ラダキーの死去日付は2017・01ではなく2016・10でした。2、森田さんの山荘名は「風の風来坊」ではなく、「風来坊」でした。いずれも聞き違いでした。3、自分の登山経験から植物限界を4000m強としましたが、5000mとするのが適切との注告を受けました。
また、リグジンには姓がないのかという質問を受けましたが、チベット系・モンゴル系の人には姓がありません。同じ名前の人を区別するときは、何とか村のタシなどのようにします。リグジンはチベット系ラダク人です。
阿部治平 (URL) 2017/03/05 Sun 04:57 [ Edit ]
bogus-simotukare と称する方へ
はい、出版関係の知り合いの話では、その通りです。何しろ図鑑はコストがかかる、インドヒマラヤでは愛好者が限られるとのことでした。返事が遅くなり申しわけありません。
阿部治平 (URL) 2017/03/11 Sat 05:03 [ Edit ]
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