2017.03.13 無念を語る「語り部」への期待
 ―論文「死者のざわめき」を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 本稿は、宗教人類学者の山形孝夫氏(1932~)が、『世界』(2017年4月号)に書いた「死者のざわめき―語り継がれる「記憶の森」」の紹介である。私は、この文章に不思議な感情の高揚を感じたので、是非多くの人に読んで欲しいと思い、自己流の要約文を書く。(直接の引用は、■から■と表示する)

《死者のざわめきだけが聞こえる》
 東日本大震災の二年後、筆者は、仙台で開催された志賀理江子写真展「螺旋海岸」で不思議な経験をした。
■人間も、自然も、動物も全く動く気配がなかった。すべては根っこのあたりから破壊され、息の根を止められて静止している。そのほかには何もなく、近く見つめすぎると、ただ、ざわめきだけが聞こえてくる。まるで、死者の「語り」のように聞こえてくる。イタコによる死者の口寄せのようにである。人間だけではない。大津波に呑みみ込まれたおびただしい数の奇妙な岩石も、海岸線を蔽うようにるいるいと重なる黒松の倒木の行列も、波間に消えた魚市場も、ぐにゃりと曲がった鉄格子の窓も、夜中のカラスも、要するに二〇〇枚を超す一〇〇号大の写真のひとこまひとこまが、何かを語りかけ、つぶやいている。いったい、わたしは何を見ているのか。全くわからないままに、死者のざわめきだけが聞こえていた。■

 山形は、そこで体験した「仮想空間」と、会場を出てから見えた「現実空間」を比較する。果たしてどちらが現実なのか。彼は、そう自らに問うた。
 多くの事例を示し思考を重ねながら、筆者の考え出した答えは、近代のもつ無機質への批判であり、戦前の日本や現代のウガンダに存在した「共同体」再現への欲求であり、新たな「語り部」の出現への小さな期待であった。

《近代国家・近代科学の批判》
 たとえば近代批判は次のように現れる。
ここでいう、「もうひとつのこの世」とは、死者と生者が共生し、語り部の存在する共同体を示していると、私は読んだ。
■このたびの3・1の大津波が露呈したのは、日常に隠されたもうひとつのこの世の現実ではなかったのか、とわたしは思った。
そうした経験の地平からすると、わたしたちの生きてきた囲い込みと排除の論理に立つ近代国民国家も、幾重にも防御された民主主義のシステムも、なぜかフィクションのように見えてくる。耳ざわりのよい言葉遊びの擬態のように見えてくる。そして、そのようなフィクションの中心に、あたかも戦後日本の繁栄と正義の証しのように、さながら国家統治の原理のように原発安全神話が君臨していたのではなかったか。いったい、どちらがほんとうなのか。■

 山形の論理を要約しながら続ける。
 マルクスとフロイトは、「宗教は悩んでいる者のためいき」であり、「人類一般の強迫神経症」といった。そのような自然と人間の一元論で「死者のざわめき」に迫ることができないのである。

《古代から前近代までの先達の知恵》
 その昔、「日本列島」に住む人間は、自然に宿る「霊」(または「カミ」)を信じた。折口信夫は、タタリとは霊が立ち現れる場所を指すコトバだったと言い、山折哲雄は「タタル霊」を鎮める祈祷者のなかに、空海や最澄がいたのだと考えた。
古代から中世にかけて、死者のタタリを占うシャーマンの世界と、タタリを鎮静化する仏教僧とが、「カミ」と「ホトケ」に分業化し、相互補完的に共存して、近代に至るまで「死者のざわめき」をやさしく鎮静化してきた。
■そうした構図が総崩れに崩れ落ちたのは、広島と長崎に落とされた原爆という名の近代物理学の知恵の結晶である〈悪魔の炎〉であったのだ。日本流の宗教的に構築された家族主義も天皇制を支柱とする日本式ナショナリズムも、この〈悪魔の炎〉によって、消滅し、機能を失ってしまった。それが第二次大戦の結末である。「死者のざわめき」の震源を辿ると、どうしてもこの〈悪魔の炎〉に辿り着く。
 その時から数えて七十余年、東日本を襲った3・11の大災害が暴露したのは、東北の海辺の町々に今にいたるまでひっそり命脈を保ちつづけてきた、思えば懐かしい日本的家族共同体であり、その消滅であったのだ。■

《能のシテとワキ―語り部への期待》 
 山形は最後に、安田登の著作『異界を旅する能―ワキという存在』を引いて、能におけるシテとワキの役割を説明する。シテは、無念を残して世を去った霊である。主に遊行僧によって演じられるワキは、シテの無念を「分ける人」(分キ)なのである。そして「語り部」でもあるのだ。もともと「死者のざわめき」とは、山形が書いた書評の対象『死者のさわめき―被災地信仰論』(磯前順一著)のタイトルであった。

 書きながら山形の心に聞こえてきたのは、被災地から聞こえてきた「語り部」になりたいという切実な声であったという。大川小学校の悲劇を生き延びた若者、わが子を失って途方にくれる悲しみの母、父は大川小の先生だった若者たちである。我々は、谷中村の田中正造、水俣の石牟礼道子という先駆者をもっている。
 山形の文章は、多くの3・11論が、社会科学からの立論であるのに対して、宗教論の立場にたっている。この立ち位置は、しばしば「絆」、「癒し」、「慰め」に親和的だという批判を浴びる。その論点を意識しながらも、山形的視点は人間の心情に、深く浸透するものであり、教条的一般論への鋭い批判となっていると痛感する。(2017/03/10)


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